春秋左氏伝 / 昭公十二年 昭子、季氏と訟えんとす
季平子立而不禮於南蒯。南蒯謂子仲。吾出季氏。而歸其室於公。子更其位。我以費為公臣。子仲許之。南蒯語叔仲穆子。且告之故。季悼子之卒也。叔孫昭子以再命為卿。及平子伐莒。克之。更受三命。叔仲子欲構二家。謂平子曰。三命踰父兄。非禮也。平子曰。然。故使昭子。昭子曰。叔孫氏有家禍。殺適立庶。故婼也及此。若因禍以斃之。則聞命矣。若不廢君命。則固有著矣。昭子朝而命吏曰。婼將與季氏訟。書辭無頗。季孫懼。而歸罪於叔仲子。故叔仲小。
新字:季平子立而不礼於南蒯。南蒯謂子仲。吾出季氏。而帰其室於公。子更其位。我以費為公臣。子仲許之。南蒯語叔仲穆子。且告之故。季悼子之卒也。叔孫昭子以再命為卿。及平子伐莒。克之。更受三命。叔仲子欲構二家。謂平子曰。三命踰父兄。非礼也。平子曰。然。故使昭子。昭子曰。叔孫氏有家禍。殺適立庶。故婼也及此。若因禍以斃之。則聞命矣。若不廃君命。則固有著矣。昭子朝而命吏曰。婼将与季氏訟。書辞無頗。季孫懼。而帰罪於叔仲子。故叔仲小。
書き下し
季平子立ちて南蒯に禮せず。南蒯子仲に謂ふ、「吾季氏を出だして、其の室を公に歸せん。子其の位に更はれ。我費を以って公臣と為らん」と。子仲之を許す。南蒯叔仲穆子に語り、且つ之に故を告ぐ。季悼子の卒するや、叔孫昭子再命を以って卿と為る。平子の莒を伐ちて、之に克つに及び、更に三命を受く。叔仲子二家を構へんと欲し、平子に謂ひて曰く、「三命は父兄を踰ゆ、禮に非ざるなり」と。平子曰く、「然り」と。故に昭子に使はす。昭子曰く、「叔孫氏家禍有り、適を殺して庶を立つ。故に婼や此に及ぶ。若し禍に因りて以って之を斃さば、則ち命を聞かん。若し君命を廢せずんば、則ち固より著有り」と。昭子朝して吏に命じて曰く、「婼將に季氏と訟へんとす。辭を書して頗すること無かれ」と。季孫懼れて、罪を叔仲子に歸す。故に叔仲小、
現代語訳
季平子(季孫意如、魯の執政)は家を継いだが、費の宰の南蒯を礼遇しなかった。南蒯は子仲(公子憖)に言った。「私は季氏を追い出して、その家の財産を公室に返そう。あなたは季氏の地位に代わってください。私は費の邑をもって公の臣となります」。子仲はこれを承知した。南蒯は叔仲穆子(叔仲小)にも話し、その理由を告げた。季悼子(平子の父)が死んだとき、叔孫昭子は再命(二度目の任命)で卿となった。平子が莒を攻めて勝つと、昭子はその功によってさらに三命を受けた。叔仲子は季氏と叔孫氏の二家を仲違いさせようとして、平子に言った。「三命は父や兄の位を越えるもので、礼に反します」。平子は言った。「そのとおりだ」。そこで昭子に(三命を辞退するよう)人をやって伝えた。昭子は言った。「叔孫氏には家の禍があり、嫡子が殺されて庶子が立てられました。それで私(婼)がこの地位に至ったのです。もしその禍に乗じて私を倒そうというのなら、ご命令に従いましょう。もし君命を廃するのでないなら、もとより位の序列は定まっています」。昭子は朝廷に出て、役人に命じた。「私は季氏と訴訟で争うつもりだ。訴えの言葉を書くのに偏りがないようにせよ」。季孫は恐れて、罪を叔仲子に押しつけた。そこで叔仲小と、
解説
この章句が説くこと
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