春秋左氏伝 / 昭公十年 義は利の本なり
然則歸乎。曰。君伐焉歸。公召之而後入。公卜使王黑以靈姑銔率。吉。請斷三尺焉而用之。五月。庚辰。戰于稷。欒高敗。又敗諸莊。國人追之。又敗諸鹿門。欒施。高彊。來奔。陳鮑分其室。晏子謂桓子。必致諸公。讓德之主也。謂懿德。凡有血气。皆有爭心。故利不可強。思義為愈。義。利之本也。蘊利生孽。姑使無蘊乎。可以滋長。桓子盡致諸公。而請老于莒。桓子召子山。私具幄幕器用。從者之衣屨。而反棘焉。子商亦如之。而反其邑。子周亦如之。而與之夫于。反子城。子公。公孫捷。而皆益其祿。凡公子公孫之無祿者。私分之邑。國之貧約孤寡者。私與之粟。曰。詩云。陳錫載周。能施也。桓公是以霸。公與桓子莒之旁邑。辭。穆孟姬為之請高唐。陳氏始大。
新字:然則帰乎。曰。君伐焉帰。公召之而後入。公卜使王黒以霊姑銔率。吉。請断三尺焉而用之。五月。庚辰。戦于稷。欒高敗。又敗諸荘。国人追之。又敗諸鹿門。欒施。高彊。来奔。陳鮑分其室。晏子謂桓子。必致諸公。譲徳之主也。謂懿徳。凡有血气。皆有争心。故利不可強。思義為愈。義。利之本也。蘊利生孽。姑使無蘊乎。可以滋長。桓子尽致諸公。而請老于莒。桓子召子山。私具幄幕器用。従者之衣屨。而反棘焉。子商亦如之。而反其邑。子周亦如之。而与之夫于。反子城。子公。公孫捷。而皆益其禄。凡公子公孫之無禄者。私分之邑。国之貧約孤寡者。私与之粟。曰。詩云。陳錫載周。能施也。桓公是以覇。公与桓子莒之旁邑。辞。穆孟姫為之請高唐。陳氏始大。
書き下し
然らば則ち歸らんか」と。曰く、「君伐たる、焉くにか歸らん」と。公之を召して而る後に入る。公王黑をして靈姑銔を以って率ゐしめんことを卜す。吉なり。三尺を斷ちて之を用ゐんことを請ふ。五月、庚辰、稷に戰ふ。欒・高敗る。又諸を莊に敗る。國人之を追ふ。又諸を鹿門に敗る。欒施・高彊來奔す。陳・鮑其の室を分つ。晏子桓子に謂ふ、「必ず諸を公に致せ。讓は德の主なり。懿德と謂ふ。凡そ血气有るものは、皆爭心有り。故に利は強ふべからず。義を思ふを愈れりと為す。義は、利の本なり。利を蘊めば孽を生ず。姑く蘊むこと無からしめんか。以って滋長すべし」と。桓子盡く諸を公に致して、老を莒に請ふ。桓子子山を召し、私かに幄幕・器用・從者の衣屨を具へて、棘を反す。子商も亦た之の如くして、其の邑を反す。子周も亦た之の如くして、之に夫于を與ふ。子城・子公・公孫捷を反して、皆其の祿を益す。凡そ公子・公孫の祿無き者には、私かに之に邑を分ち、國の貧約孤寡なる者には、私かに之に粟を與ふ。曰く、「詩に云ふ、『陳錫して周を載む』と。能く施すなり。桓公是を以って霸たり」と。公桓子に莒の旁邑を與ふ。辭す。穆孟姬之が為に高唐を請ふ。陳氏始めて大なり。
現代語訳
(従者は言った)「それならお帰りになりますか」。晏子は言った。「君が攻められているのに、どこへ帰れようか」。公(景公)が晏子を召したので、そこで宮中に入った。公は王黒に霊姑銔(れいこへい、公の旗)を持たせて軍を率いさせることを占った。吉と出た。王黒は旗を三尺切り詰めて用いたいと願い出た(君の旗をそのまま用いるのをはばかったのである)。五月庚辰の日、稷で戦った。欒氏・高氏は敗れた。さらに荘(都の大通り)で彼らを破った。国人が追撃し、さらに鹿門で破った。欒施(子旗)と高彊(子良)は魯に亡命してきた。陳氏と鮑氏はその家財を分け取った。晏子は桓子(陳無宇)に言った。「必ずそれを公に差し出しなさい。譲ることは徳の根本であり、これを美徳という。およそ血気のある者は、皆争う心を持っている。だから利は無理に取ってはならない。義を思うほうがまさる。義は利の根本である。利をため込めば災いを生む。ひとまずため込まないようにしなさい。そうすれば利はおのずと増えていく」。桓子は分け取ったものをすべて公に差し出し、莒の地に引退したいと願い出た。桓子は(欒・高に追われていた公子の)子山を呼び戻し、ひそかに幕屋や器具、従者の衣服や履物まで用意してやり、棘の邑を返した。子商にも同じようにして、その邑を返した。子周にも同じようにして、夫于の邑を与えた。子城・子公・公孫捷を呼び戻して、皆その禄を増やした。およそ公子・公孫で禄のない者には、ひそかに自分の邑を分け与え、国内の貧しく困窮した者や孤児・寡婦には、ひそかに粟を与えた。そして言った。「『詩』に『(文王は)恵みを広く施して周を興した』とある。よく施したということだ。(斉の)桓公もこれによって覇者となった」。公は桓子に莒のそばの邑を与えようとした。桓子は辞退した。穆孟姫(景公の母)が桓子のために高唐を与えるよう願い出た。陳氏はこうして初めて強大になった。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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司馬法・天子之義上苟も不善を以て己に在りとせば、必ず其の過ちを悔ゆ。下苟も不善を以て己に在りとせば、必ず其の罪に遠ざかる。上下悪を分かつこと此くの若きは、譲の至りなり。
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司馬法・嚴位自ら子(よ)するに循わざるを以てし、賢を争うに以て為し、人其の心を説(よろこ)ばしめ、其の力を效(いた)す。
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司馬法・天子之義上苟も善を伐(ほこ)らざれば、則ち驕らず。下苟も善を伐らざれば、必ず等を亡(な)くす。上下善を伐らざること此くの若きは、譲の至りなり。
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『春秋左氏伝』襄公十三年 譲は礼の主なり君子曰く、「讓は禮の主なり。范宣子讓りて、其の下皆讓る。欒黶汰(おご)ると為すも、敢へて違はず。晉國以て平らかにして、數世之に賴る。善に刑(のつと)ればなり。一人善に刑れば、百姓休和す。務めざるべけんや。書に曰く、『一人慶有れば、兆民之に賴る。其の寧きこと惟れ永し』と。其れ是の謂ひか。周の興るや、其の詩に曰く、『文王に儀刑すれば、萬邦孚を作す』と。善に刑るを言ふなり。其の衰ふるに及びてや、其の詩に曰く、『大夫均しからず、我事に從ひて獨り賢(らう)す』と。讓らざるを言ふなり。世の治まるや、君子は能を尚びて其の下に讓り、小人は農力して以て其の上に事ふ。是を以て上下禮有りて、讒慝黜遠せらる。爭はざるに由るなり。之を懿德と謂ふ。其の亂るるに及びてや、君子は其の功を稱して以て小人に加へ、小人は其の技を伐(ほこ)りて以て君子を馮(しの)ぐ。是を以て上下禮無く、亂虐並び生ず。善を爭ふに由るなり。之を昏德と謂ふ。國家の敝るるは、恆に必ず之に由る」と。
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