司馬法 / 天子之義
上苟以不善在己,必悔其過;下苟以不善在己,必遠其罪。上下分惡若此,讓之至也。
新字:上苟以不善在己,必悔其過;下苟以不善在己,必遠其罪。上下分悪若此,譲之至也。
書き下し
上苟も不善を以て己に在りとせば、必ず其の過ちを悔ゆ。下苟も不善を以て己に在りとせば、必ず其の罪に遠ざかる。上下悪を分かつこと此くの若きは、譲の至りなり。
現代語訳
(大敗しても誅罰を加えないのは、上下ともに不善の責任は自分にあると考えるようにするためである。)上に立つ者がもし不善の責任は自分にあると考えれば、必ずその過ちを悔い改める。下の者がもし不善の責任は自分にあると考えれば、必ず罪から遠ざかる。上下がこのように悪を分かち合うのが、譲り合いの極みである。
解説
大勝しても賞さない話と対になる、大敗しても罰しない話の結論部分である。負けたとき、上も下も「悪いのは自分だ」と引き受ければ、上は過ちを悔いて改め、下は罪から遠ざかる。責任をなすりつけ合うのではなく、分かち合う。これもまた譲の極みだとする。敗戦の後に責任者探しが始まれば、人は失敗を隠し、次の戦ではさらに悪い結果を招く。司馬法は、罰を控えることで責任の所在をあいまいにするのではなく、各自が自分の側の過ちを見つめる気風を育てようとしている。現代の失敗の振り返りでも、個人を責めるより各自が自分の関わりを語れる場を作るほうが、同じ過ちを繰り返さない。
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