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春秋左氏伝 / 昭公七年 礼は人の幹なり

九月。公至自楚。孟僖子病不能相禮。乃講學之。苟能禮者從之。及其將死也。召其大夫曰。禮。人之幹也。無禮無以立。吾聞將有達者。曰孔丘。聖人之後也。而滅於宋。其祖弗父何。以有宋而授厲公。及正考父佐戴。武。宣。三命茲益共。故其鼎銘云。一命而僂。再命而傴。三命而俯。循牆而走。亦莫余敢侮。饘於是。鬻於是。以餬余口。其共也如是。臧孫紇有言曰。聖人有明德者。若不當世。其後必有達人。今其將在孔丘乎。我若獲沒必屬說與何忌於夫子。使事之而學禮焉。以定其位。故孟懿子。與南宮敬叔。師事仲尼。仲尼曰。能補過者。君子也。詩曰。君子是則是效。孟僖子可則效已矣。單獻公棄親用羈。冬。十月。辛酉。襄頃之族。殺獻公而立成公。

新字:九月。公至自楚。孟僖子病不能相礼。乃講学之。苟能礼者従之。及其将死也。召其大夫曰。礼。人之幹也。無礼無以立。吾聞将有達者。曰孔丘。聖人之後也。而滅於宋。其祖弗父何。以有宋而授厲公。及正考父佐戴。武。宣。三命茲益共。故其鼎銘云。一命而僂。再命而傴。三命而俯。循牆而走。亦莫余敢侮。饘於是。鬻於是。以餬余口。其共也如是。臧孫紇有言曰。聖人有明徳者。若不当世。其後必有達人。今其将在孔丘乎。我若獲没必属説与何忌於夫子。使事之而学礼焉。以定其位。故孟懿子。与南宮敬叔。師事仲尼。仲尼曰。能補過者。君子也。詩曰。君子是則是効。孟僖子可則効已矣。単献公棄親用羈。冬。十月。辛酉。襄頃之族。殺献公而立成公。

書き下し

九月、公楚より至る。孟僖子病みて禮を相くる能はず。乃ち之を講學し、苟も禮を能くする者あれば之に從ふ。其の將に死せんとするに及びて、其の大夫を召して曰く、「禮は、人の幹なり。禮無ければ以って立つ無し。吾聞く、將に達者有らんとす、孔丘と曰ふ、と。聖人の後なり。而して宋に滅ぶ。其の祖弗父何、以って宋を有つべくして厲公に授く。正考父に及びて、戴・武・宣を佐け、三命茲に益々共む。故に其の鼎の銘に云ふ、『一命して僂み、再命して傴み、三命して俯す。牆に循ひて走る。亦た余を敢へて侮る莫し。是に饘し、是に鬻して、以って余が口を餬す』と。其の共なるや是くの如し。臧孫紇言へる有りて曰く、『聖人の明德有る者、若し世に當たらずんば、其の後必ず達人有り』と。今其れ將に孔丘に在らんか。我若し沒するを獲ば、必ず說と何忌とを夫子に屬して、之に事へて禮を學ばしめ、以って其の位を定めよ」と。故に孟懿子と南宮敬叔と、仲尼に師事す。仲尼曰く、「能く過ちを補ふ者は、君子なり。詩に曰く、『君子是れ則り是れ效ふ』と。孟僖子は則り效ふべきのみ」と。單の獻公親を棄てて羈を用ふ。冬、十月、辛酉、襄・頃の族、獻公を殺して成公を立つ。

現代語訳

九月、公(魯の昭公)が楚から帰国した。(この旅の途中)孟僖子(仲孫貜、魯の卿)は儀礼の補佐役を務めることができず、それを恥じた。そこで帰国後に礼を学び、少しでも礼に通じた者がいれば就いて学んだ。死に臨むと、配下の大夫たちを呼んで言った。「礼は人の幹である。礼がなければ立つことができない。聞くところでは、やがて世に顕れる人物がいるという。孔丘という。聖人の子孫であるが、その家は宋で滅んだ。その祖先の弗父何は、宋を保有できる立場にありながら(弟の)厲公に譲った。正考父の代になって、戴公・武公・宣公を補佐し、三度の任命を受けるたびにますます恭しくした。それでその鼎の銘には『一度命を受けては頭を垂れ、二度目には背をかがめ、三度目には身を伏せる。塀に沿って道の端を小走りに行く。それでも誰も私を侮る者はない。この鼎で粥を煮、この鼎で粥をすすって、わが口を糊する』とある。その恭しさはこのようであった。臧孫紇(臧武仲)はこう言っている。『明徳のある聖人が、もしその世で位に就かなければ、その子孫に必ず世に顕れる人物が出る』と。いまそれは孔丘のことであろうか。私がもし無事に死ぬことができたら、必ず説(南宮敬叔)と何忌(孟懿子)をあの方に託し、仕えて礼を学ばせ、それによって彼らの地位を安定させよ」。それで孟懿子と南宮敬叔は、仲尼(孔子)に師事した。仲尼は言った。「自分の過ちを補うことのできる者は、君子である。『詩』に『君子はこれを手本とし、これにならう』とある。孟僖子こそ手本としてならうべき人である」。単の献公(周の卿士)は親族を捨てて他国から来た者を用いた。冬十月辛酉の日、襄公・頃公の一族が献公を殺して成公を立てた。

解説

孔子の名が『左伝』に大きく現れる場面の一つである。孟僖子は昭公に従って楚へ行った際、途中の儀礼で補佐役を果たせなかった。それを恥じて帰国後に礼を学び直し、死に臨んで二人の息子を孔丘に託すよう遺言する。実際に孟僖子が死ぬのは十七年後で、この記事は先のことをここにまとめて書いたものである。この年の孔子は十七歳ほど、まだ無名の若者だった。遺言の中心にある「禮は、人の幹なり」は、礼を飾りではなく人が立つための骨格と見る言葉である。正考父の鼎の銘は、位が上がるほど身を低くした謙譲の手本として後世よく引かれる。孔子の評は「能く過ちを補ふ者は、君子なり」。失敗しなかった人ではなく、失敗を埋めにいった人を讃えている。地位のある者が自分の不足を認めて学び直し、次の世代を若い師に預けるという判断は、いつの時代も簡単ではない。

この章句が説くこと

礼学び直し謙譲後継者過ちを補う師

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