春秋左氏伝 / 昭公七年 鶺鴒原に在り
子皮之族。飲酒無度。故馬師氏與子皮氏有惡。齊師還自燕之月。罕朔殺罕魋。罕朔奔晉。韓宣子問其位於子產。子產曰。君之羈臣。苟得容以逃死。何位之敢擇。卿違。從大夫之位。罪人。以其罪降。古之制也。朔於敝邑。亞大夫也。其官馬師也。獲戾而逃。唯執政所寘之。得免其死。為惠大矣。又敢求位。宣子為子產之敏也。使從嬖大夫。秋。八月。衛襄公卒。晉大夫言於范獻子曰。衛事晉為睦。晉不禮焉。庇其賊人。而取其地。故諸侯貳。詩曰。鶺鴒在原。兄弟急難。又曰。死喪之威。兄弟孔懷。兄弟之不睦。於是乎不弔。況遠人誰敢歸之。今又不禮於衛之嗣。衛必叛我。是絕諸侯也。獻子以告韓宣子。宣子說。使獻子如衛弔。且反戚田。衛齊惡告喪于周。且請命。王使臣簡公如衛弔。且追命襄公曰。叔父陟恪。在我先王之左右。以佐事上帝。余敢忘高圉。亞圉。
新字:子皮之族。飲酒無度。故馬師氏与子皮氏有悪。斉師還自燕之月。罕朔殺罕魋。罕朔奔晋。韓宣子問其位於子産。子産曰。君之羈臣。苟得容以逃死。何位之敢択。卿違。従大夫之位。罪人。以其罪降。古之制也。朔於敝邑。亜大夫也。其官馬師也。獲戻而逃。唯執政所寘之。得免其死。為恵大矣。又敢求位。宣子為子産之敏也。使従嬖大夫。秋。八月。衛襄公卒。晋大夫言於范献子曰。衛事晋為睦。晋不礼焉。庇其賊人。而取其地。故諸侯貳。詩曰。鶺鴒在原。兄弟急難。又曰。死喪之威。兄弟孔懐。兄弟之不睦。於是乎不弔。況遠人誰敢帰之。今又不礼於衛之嗣。衛必叛我。是絶諸侯也。献子以告韓宣子。宣子説。使献子如衛弔。且反戚田。衛斉悪告喪于周。且請命。王使臣簡公如衛弔。且追命襄公曰。叔父陟恪。在我先王之左右。以佐事上帝。余敢忘高圉。亜圉。
書き下し
子皮の族、酒を飲むこと度無し。故に馬師氏と子皮氏と惡有り。齊師燕より還るの月、罕朔罕魋を殺す。罕朔晉に奔る。韓宣子其の位を子產に問ふ。子產曰く、「君の羈臣、苟も容れらるるを得て以って死を逃れば、何の位か之れ敢へて擇ばん。卿違れば、大夫の位に從ひ、罪人は其の罪を以って降す、古の制なり。朔は敝邑に於いて亞大夫なり。其の官は馬師なり。戾を獲て逃る。唯だ執政の之を寘く所のままなり。其の死を免るるを得ば、惠為ること大なり。又敢へて位を求めんや」と。宣子子產の敏なるが為に、嬖大夫に從はしむ。秋、八月、衛の襄公卒す。晉の大夫范獻子に言ひて曰く、「衛の晉に事ふるや睦を為す。晉焉に禮せず、其の賊人を庇ひて、其の地を取る。故に諸侯貳く。詩に曰く、『鶺鴒原に在り、兄弟難を急にす』と。又曰く、『死喪の威、兄弟孔だ懷ふ』と。兄弟の睦まじからざる、是に於いてか弔はず。況んや遠人誰か敢へて之に歸せん。今又衛の嗣に禮せずんば、衛必ず我に叛かん。是れ諸侯を絕つなり」と。獻子以って韓宣子に告ぐ。宣子說び、獻子をして衛に如きて弔はしめ、且つ戚の田を反す。衛の齊惡喪を周に告げ、且つ命を請ふ。王臣簡公をして衛に如きて弔はしめ、且つ襄公に追命して曰く、「叔父陟恪して、我が先王の左右に在りて、以って上帝に佐け事へよ。余敢へて高圉・亞圉を忘れんや」と。
現代語訳
子皮(罕虎、鄭の執政)の一族は酒を飲むのに節度がなかった。そのため馬師氏(罕朔の家)と子皮氏とは仲が悪かった。斉の軍が燕から引き揚げた月に、罕朔が罕魋(子皮の弟)を殺した。罕朔は晋に亡命した。韓宣子(韓起、晋の執政)は罕朔をどの位に遇すべきかを子産に尋ねた。子産は言った。「君の国に身を寄せる亡命の臣は、かりそめにも受け入れられて死を逃れることができれば、どうして位を選んだりできましょう。卿が国を去れば大夫の位に就き、罪人はその罪に応じて位を下げるのが、古来の制度です。朔はわが国では亜大夫(下大夫)で、官は馬師でした。罪を犯して逃げたのですから、ただ執政がどこに置かれるかに任せるだけです。死を免れることができれば、それだけで大きな恩恵です。そのうえ位を求めるなどできましょうか」。宣子は子産の機敏さを評価し、罕朔を嬖大夫(下位の大夫)の列に置いた。秋八月、衛の襄公が死んだ。晋の大夫が范献子(士鞅)に言った。「衛は晋に仕えて親密であるのに、晋は衛に礼を尽くさず、衛の賊臣(孫林父)をかばい、その土地(戚)を取った。それで諸侯は二心を抱いている。『詩』に『鶺鴒(せきれい)が野原にいる、兄弟は急いで難を救う』とあり、また『死と喪の恐ろしいとき、兄弟こそが深く思いやる』とある。兄弟の国が睦まじくなければ、こうしたときにも弔問しない。まして遠い国の人々の誰が晋に帰服しようか。いままた衛の後継ぎに礼を尽くさなければ、衛は必ずわれわれに叛くだろう。それは諸侯との縁を自ら絶つことだ」。献子はこれを韓宣子に告げた。宣子は喜び、献子を衛に行かせて弔問させ、また戚の田を衛に返した。衛の斉悪は周に喪を告げ、あわせて襄公への命を請うた。周王は卿士の簡公を衛に遣わして弔問させ、さらに襄公に追って命を下して言った。「叔父(同姓の諸侯である衛侯への呼び方)は天に昇り、わが先王の左右にあって、上帝に仕えるのを助けよ。私はどうして(周の先祖である)高圉・亜圉のことを忘れようか(そなたのことも忘れはしない)」。
解説
この章句が説くこと
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論語・八佾篇子貢、告朔の餼羊を去らんと欲す。子曰く、「賜や、爾は其の羊を愛しむ、我は其の礼を愛しむ。」
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『春秋左氏伝』昭公十三年 存亡の道君苟くも信有らば、諸侯貳せず、何をか患へん。之に告ぐるに文辭を以ってし、之を董すに武師を以ってせば、齊許さずと雖も、君の庸多からん。天子の老、請ふ王賦を帥ゐて、元戎十乘、以って先づ行を啟かん。遲速は唯だ君のままなり」と。叔向齊に告げて曰く、「諸侯盟を求めて、已に此に在り。今君利とせず、寡君以って請ふと為す」と。對へて曰く、「諸侯貳を討たば、則ち尋盟有り。若し皆命を用ひば、何の盟をか之れ尋めん」と。叔向曰く、「國家の敗るるは、事有りて業無ければ、事則ち經ならず。業有りて禮無ければ、經則ち序あらず。禮有りて威無ければ、序則ち共ならず。威有りて昭らかならざれば、共則ち明らかならず。明らかならずして共を棄つれば、百事終はらず、傾覆する所由なり。是の故に明王の制、諸侯をして歲ごとに聘して以って業を志し、間朝して以って禮を講じ、再朝して會して以って威を示し、再會して盟ひて以って昭明を顯さしむ。業を好に志し、禮を等に講じ、威を眾に示し、明を神に昭らかにす。古より以來、未だ之を或いは失はざるなり。存亡の道、恆に是に由りて興る。晉禮もて盟を主る、
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論語・八佾篇孔子季氏を謂う、「八佾庭に舞わす。是れをも忍ぶ可くんば、孰れをか忍ぶ可からざらん。」
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