春秋左氏伝 / 昭公七年 章華台の落成
楚子成章華之臺。願以諸侯落之。大宰薳啟彊曰。臣能得魯侯。薳啟彊來召公。辭曰。昔先君成公。命我先大夫嬰齊曰。吾不忘先君之好。將使衡父照臨楚國。鎮撫其社稷。以輯寧爾民。嬰齊受命于蜀。奉承以來。弗敢失隕。而致諸宗祧曰。我先君共王。引領北望。日月以冀。傳序相授。於今四王矣。嘉惠未至。唯襄公之辱臨我喪。孤與其二三臣。悼心失圖。社稷之不皇。況能懷思君德。今君若步玉趾。辱見寡君。寵靈楚國。以信蜀之役。致君之嘉惠。是寡君既受貺矣。何蜀之敢望。其先君鬼神實嘉賴之。豈唯寡君。君若不來。使臣請問行期。寡君將承質幣而見于蜀。以請先君之貺。公將往。夢襄公祖。梓慎曰。君不果行。襄公之適楚也。夢周公祖而行。今襄公實祖。君其不行。子服惠伯曰。行。先君未嘗適楚。故周公祖以道之。襄公適楚矣。而祖以道。君不行何之。三月。公如楚。鄭伯勞于師之梁。孟僖子為介。不能相儀。及楚。不能荅郊勞。
新字:楚子成章華之台。願以諸侯落之。大宰薳啓彊曰。臣能得魯侯。薳啓彊来召公。辞曰。昔先君成公。命我先大夫嬰斉曰。吾不忘先君之好。将使衡父照臨楚国。鎮撫其社稷。以輯寧爾民。嬰斉受命于蜀。奉承以来。弗敢失隕。而致諸宗祧曰。我先君共王。引領北望。日月以冀。伝序相授。於今四王矣。嘉恵未至。唯襄公之辱臨我喪。孤与其二三臣。悼心失図。社稷之不皇。況能懐思君徳。今君若歩玉趾。辱見寡君。寵霊楚国。以信蜀之役。致君之嘉恵。是寡君既受貺矣。何蜀之敢望。其先君鬼神実嘉頼之。豈唯寡君。君若不来。使臣請問行期。寡君将承質幣而見于蜀。以請先君之貺。公将往。夢襄公祖。梓慎曰。君不果行。襄公之適楚也。夢周公祖而行。今襄公実祖。君其不行。子服恵伯曰。行。先君未嘗適楚。故周公祖以道之。襄公適楚矣。而祖以道。君不行何之。三月。公如楚。鄭伯労于師之梁。孟僖子為介。不能相儀。及楚。不能荅郊労。
書き下し
楚子章華の臺を成し、諸侯を以て之を落さんことを願ふ。大宰薳啟彊曰く、「臣能く魯侯を得ん」と。薳啟彊來たりて公を召す。辭して曰く、「昔先君成公、我が先大夫嬰齊に命じて曰く、『吾先君の好を忘れず、將に衡父をして楚國に照臨し、其の社稷を鎮撫して、以て爾の民を輯寧せしめんとす』と。嬰齊命を蜀に受け、奉承して以て來たり、敢へて失隕せずして、諸を宗祧に致す。曰く、我が先君共王、領を引きて北望し、日月以て冀ふ。傳序相授けて、今に於いて四王なり。嘉惠未だ至らず。唯だ襄公の辱くも我が喪に臨めるのみ。孤と其の二三臣と、心を悼みて圖を失ひ、社稷をすら之れ皇(いとま)あらず、況んや能く君の德を懷思せんや。今君若し玉趾を步し、辱くも寡君に見え、楚國を寵靈して、以て蜀の役を信にし、君の嘉惠を致さば、是れ寡君既に貺を受けたり。何ぞ蜀を之れ敢へて望まん。其の先君の鬼神實に之を嘉賴せん、豈に唯だ寡君のみならんや。君若し來たらずんば、使臣請ふ行期を問はん。寡君將に質幣を承けて蜀に見え、以て先君の貺を請はんとす」と。公將に往かんとす。襄公の祖するを夢む。梓慎曰く、「君果たして行かざらん。襄公の楚に適くや、周公の祖するを夢みて行けり。今襄公實に祖す。君其れ行かざれ」と。子服惠伯曰く、「行け。先君未だ嘗て楚に適かず、故に周公祖して以て之を道(みちび)けり。襄公楚に適けり、而して祖して以て道く。君行かずして何くにか之かん」と。三月、公楚に如く。鄭伯師之梁に勞ふ。孟僖子介為り、儀を相くる能はず。楚に及び、郊勞に荅ふる能はず。
現代語訳
楚子(霊王)は章華台を完成させ、諸侯を招いて落成の祝いをしたいと願った。太宰の薳啓彊が言った。「私は魯侯を連れて来ることができます」。薳啓彊は魯に来て昭公を招き、こう口上を述べた。「昔、貴国の先君成公は、わが国の先の大夫嬰斉(子重)にこう命じられました。『私は先君以来の友好を忘れない。衡父(公衡、成公の子)を楚国に遣わして、その社稷を鎮め安んじ、あなたがたの民を和らげさせよう』。嬰斉は蜀の会盟の場でこのお言葉を受け、謹んで持ち帰り、失うことなく宗廟に報告いたしました。以来、わが先君共王は首を伸ばして北の魯を望み、月日を重ねて待ち望んでまいりました。王位は代々受け継がれて、今に至るまで四代の王を数えますが、ご厚意はまだ届いておりません。ただ貴国の襄公が、恐れ多くもわが国の喪(康王の葬儀)に臨んでくださっただけです。そのとき私ども(わが君)と二、三の臣下は、悲しみに心を痛めて何も考えられず、社稷のことにさえ手が回らないありさまで、まして君の徳を思い慕う余裕などございませんでした。いまもし君が御足労くださってわが君にお会いになり、楚国に恩寵を与えて蜀の会盟の約束を果たし、ご厚意をお届けくださるならば、わが君はそれで賜り物をいただいたことになります。どうして蜀のときの約束(衡父の派遣)などを望みましょう。わが国の先君の霊もきっとそれを喜び頼みとするでしょう。わが君だけのことではありません。もし君がおいでにならないのであれば、使者の私にご出発の日取りをお尋ねさせてください。わが君は礼物を携えて蜀まで出向いてお会いし、先君の約束の賜り物をお願いするつもりです」。昭公は行こうとしたが、先代の襄公が道祖神を祭って旅立ちを見送る夢を見た。梓慎が言った。「君はきっとお出かけにならないでしょう。襄公が楚へ行かれたときは、周公が道祖神を祭る夢を見て出発なさいました。いまは襄公ご自身が祭っておられます。君はお出かけにならないほうがよい」。子服恵伯が言った。「お出かけなさいませ。先君(襄公)はそれまで楚に行ったことがなかったので、周公が道祖神を祭って導かれたのです。襄公は楚へ行ったことがあるので、自ら道祖神を祭って君を導いておられるのです。君が行かずにどこへ行くというのですか」。三月、昭公は楚へ行った。鄭伯が師之梁でねぎらった。孟僖子が介添え役であったが、儀礼の補佐をうまく務められなかった。楚に着いても、郊外でのねぎらいに対して礼に適った返答をすることができなかった。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『春秋左氏伝』僖公二十七年 民に義・信・礼を教う晉侯始めて入りて其の民を教へ、二年にして、之を用ゐんと欲す。子犯曰く、「民未だ義を知らず、未だ其の居に安んぜず」と。是に於いてか出でて襄王を定め、入りて民を利するを務む、民生を懷ふ。將に之を用ゐんとす。子犯曰く、「民未だ信を知らず、未だ其の用を宣べず」と。是に於いてか原を伐ちて以て之に信を示す。民の資を易ふる者、豐かなるを求めず、明らかに其の辭を徵す。公曰く、「可なるか」と。子犯曰く、「民未だ禮を知らず、未だ其の共を生ぜず」と。是に於いてか大いに蒐して以て之に禮を示す。執秩を作りて以て其の官を正す。民聽きて惑はず、而る後に之を用ゐる。穀の戍を出だし、宋の圍みを釋き、一戰にして霸たるは、文の教へなり。
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論語・八佾篇孔子季氏を謂う、「八佾庭に舞わす。是れをも忍ぶ可くんば、孰れをか忍ぶ可からざらん。」
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論語・八佾篇子曰く、君に事えて礼を尽くせば、人以て諂いと為すなり。
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論語・八佾篇子、太廟に入り、事毎に問う。或曰く、『誰か鄒人の子を礼を知ると謂うや、太廟に入りて事毎に問う。』子これを聞きて曰く、『是れ礼なり。』
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論語・学而篇有子曰く、「礼の用は和を貴しと為す。先王の道も斯を美と為す。小大之に由れども、行われざる所有り。和を知りて和すれども、礼を以て之を節せざれば、亦行う可からざるなり。」
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論語・八佾篇子曰く、『夏の礼、吾能く之を言う。杞は徵すに足らず。殷の礼、吾能く之を言う。宋は徵すに足らず。文献足らざる故なり。足らば、則ち吾能く之を徵せん。』
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