論語 / 八佾篇
子入太廟、每事問。或曰:『孰謂鄒人之子知禮乎?入太廟、毎事問。』子聞之曰:『是禮也。』
新字:子入太廟、毎事問。或曰:『孰謂鄒人之子知礼乎?入太廟、毎事問。』子聞之曰:『是礼也。』
書き下し
子、太廟に入り、事毎に問う。或曰く、『誰か鄒人の子を礼を知ると謂うや、太廟に入りて事毎に問う。』子これを聞きて曰く、『是れ礼なり。』
現代語訳
孔子が太廟に入り、すべてのことを尋ねた。ある人が言った。「あの鄒の人は礼を知っていると言うが、廟に入ってなんでも質問しているではないか。」孔子はそれを聞いて言った。「それこそが礼なのだ。」
解説
リーダーが「こんなことを聞いたら無知だと思われる」と躊躇すれば、組織は硬直化します。孔子のように、知っていることであっても基本に立ち返り、改めて問い、確認する姿勢こそが、組織から思い込みや慣れを排除し、健全な状態を保ちます。「問うこと」は無知の表明ではなく、確実性を重んじるリーダーの責任ある態度です。
この章句が説くこと
礼学ぶ姿勢質問
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