春秋左氏伝 / 昭公五年 不穀の過ちなり
祁午。張趯。籍談。女齊。梁丙。張骼。輔躒。苗賁皇。皆諸侯之選也。韓襄為公族大夫。韓須受命而使矣。箕襄。邢帶。叔禽。叔椒。子羽。皆大家也。韓賦七邑。皆成縣也。羊舌四族。皆彊家也。晉人若喪韓起。楊肸。五卿。八大夫。輔韓須。楊石。因其十家九縣。長轂九百。其餘四十縣。遺守四千。奮其武怒。以報其大恥。伯華謀之。中行伯魏舒帥之。其蔑不濟矣。君將以親易怨。實無禮以速寇。而未有其備。使群臣往遺之禽。以逞君心。何不可之有。王曰。不穀之過也。大夫無辱。厚為韓子禮。王欲敖叔向以其所不知而不能。亦厚其禮。韓起反。鄭伯勞諸圉。辭不敢見。禮也。
新字:祁午。張趯。籍談。女斉。梁丙。張骼。輔躒。苗賁皇。皆諸侯之選也。韓襄為公族大夫。韓須受命而使矣。箕襄。邢帯。叔禽。叔椒。子羽。皆大家也。韓賦七邑。皆成県也。羊舌四族。皆彊家也。晋人若喪韓起。楊肸。五卿。八大夫。輔韓須。楊石。因其十家九県。長轂九百。其余四十県。遺守四千。奮其武怒。以報其大恥。伯華謀之。中行伯魏舒帥之。其蔑不済矣。君将以親易怨。実無礼以速寇。而未有其備。使群臣往遺之禽。以逞君心。何不可之有。王曰。不穀之過也。大夫無辱。厚為韓子礼。王欲敖叔向以其所不知而不能。亦厚其礼。韓起反。鄭伯労諸圉。辞不敢見。礼也。
書き下し
祁午・張趯・籍談・女齊・梁丙・張骼・輔躒・苗賁皇有り。皆諸侯の選なり。韓襄は公族大夫為り。韓須は命を受けて使ひす。箕襄・邢帶・叔禽・叔椒・子羽、皆大家なり。韓の賦七邑は、皆成縣なり。羊舌の四族は、皆彊家なり。晉人若し韓起・楊肸を喪はば、五卿・八大夫、韓須・楊石を輔け、其の十家九縣に因りて、長轂九百、其の餘の四十縣、遺守四千、其の武怒を奮ひて、以て其の大恥に報いん。伯華之を謀り、中行伯・魏舒之を帥ゐば、其れ濟らざること蔑(な)からん。君將に親しみを以て怨みに易へんとし、實に禮無くして以て寇を速(まね)き、而も未だ其の備へ有らず。群臣をして往きて之に禽を遺(おく)らしめて、以て君の心を逞しくせんとす。何の可ならざることか之れ有らん」と。王曰く、「不穀の過ちなり。大夫辱むること無かれ」と。厚く韓子の為に禮す。王叔向を敖(あなど)るに其の知らざる所を以てせんと欲して能はず。亦た其の禮を厚くす。韓起反る。鄭伯諸を圉に勞ふ。辭して敢へて見えず。禮なり。
現代語訳
祁午・張趯・籍談・女斉・梁丙・張骼・輔躒・苗賁皇がおります。みな諸侯の中から選り抜かれた人材です。韓襄は公族大夫であり、韓須はすでに命を受けて使者を務めております。箕襄・邢帯・叔禽・叔椒・子羽は、みな大きな家の者です。韓氏が軍賦を出す七つの邑は、どれも完全な県です。羊舌氏の四つの一族は、どれも強い家です。晋の人々がもし韓起と楊肸(羊舌肸)を失えば、五卿と八大夫が韓須と楊石(羊舌肸の子)を助け、その十家九県の力を頼みに、戦車九百乗を出し、残りの四十県が守備に四千乗を残して、武の怒りを奮い立たせ、大いなる恥辱に報いてくるでしょう。伯華(羊舌赤)が計略を立て、中行伯(荀呉)と魏舒が率いれば、成功しないはずがありません。君は親しみを怨みに取り替えようとし、まことに無礼をはたらいて敵を招きながら、まだその備えもない。そして我ら群臣を戦場に送って、敵の獲物として差し出し、君の心を満足させようとなさる。何のいけないことがありましょう」。王は言った。「私の過ちであった。大夫よ、もう言わないでくれ」。そして韓子(韓起)を手厚くもてなした。王は叔向が知らないことを持ち出してやり込めようとしたが、できなかった。そこで叔向にも手厚い礼をもってもてなした。韓起が帰途につくと、鄭伯が圉でねぎらおうとしたが、韓起は辞退してあえて会わなかった。これは礼にかなったことである。
解説
この章句が説くこと
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