春秋左氏伝 / 昭公五年 晋、備えを失はず
朝聘有珪。享覜有璋。小有述職。大有巡功。設机而不倚。爵盈而不飲。宴有好貨。飧有陪鼎。入有郊勞。出有贈賄。禮之至也。國家之敗。失之道也。則禍亂興。城濮之役。晉無楚備。以敗於邲。邲之役。楚無晉備。以敗於鄢。自鄢以來。晉不失備。而加之以禮。重之以睦。是以楚弗能報。而求親焉。既獲姻親。又欲恥之。以召寇讎。備之若何。誰其重此。若有其人。恥之可也。若其未有。君亦圖之。晉之事君。臣曰可矣。求諸侯而麇至。求昏而薦女。君親送之。上卿及上大夫致之。猶欲恥之。君其亦有備矣。不然奈何。韓起之下。趙成。中行吳。魏舒。范鞅。知盈。羊舌肸之下。
新字:朝聘有珪。享覜有璋。小有述職。大有巡功。設机而不倚。爵盈而不飲。宴有好貨。飧有陪鼎。入有郊労。出有贈賄。礼之至也。国家之敗。失之道也。則禍乱興。城濮之役。晋無楚備。以敗於邲。邲之役。楚無晋備。以敗於鄢。自鄢以来。晋不失備。而加之以礼。重之以睦。是以楚弗能報。而求親焉。既獲姻親。又欲恥之。以召寇讎。備之若何。誰其重此。若有其人。恥之可也。若其未有。君亦図之。晋之事君。臣曰可矣。求諸侯而麇至。求昏而薦女。君親送之。上卿及上大夫致之。猶欲恥之。君其亦有備矣。不然奈何。韓起之下。趙成。中行呉。魏舒。范鞅。知盈。羊舌肸之下。
書き下し
朝聘に珪有り、享覜に璋有り。小は述職有り、大は巡功有り。机を設けて倚らず、爵盈ちて飲まず。宴に好貨有り、飧に陪鼎有り。入るに郊勞有り、出づるに贈賄有り。禮の至りなり。國家の敗るるは、之が道を失へばなり。則ち禍亂興る。城濮の役、晉楚の備へ無くして、以て邲に敗る。邲の役、楚晉の備へ無くして、以て鄢に敗る。鄢より以來、晉備へを失はず、而して之に加ふるに禮を以てし、之を重ぬるに睦を以てす。是を以て楚報ゆる能はずして、親しみを求む。既に姻親を獲て、又之を恥づかしめんと欲し、以て寇讎を召く。之に備ふること若何。誰か其れ此を重んぜん。若し其の人有らば、之を恥づかしむるも可なり。若し其れ未だ有らずんば、君亦た之を圖れ。晉の君に事ふる、臣は可なりと曰はん。諸侯を求むれば麇(むら)がり至り、昏を求むれば女を薦む。君親ら之を送り、上卿及び上大夫之を致す。猶ほ之を恥づかしめんと欲す、君其れ亦た備へ有らん。然らずんば奈何せん。韓起の下に、趙成・中行吳・魏舒・范鞅・知盈有り。羊舌肸の下に、
現代語訳
(薳啓彊の言葉の続き)朝見や聘問には圭を用い、饗応や謁見には璋を用います。小さなことでは諸侯が天子に職務を報告し、大きなことでは天子が諸侯の功績を巡察します。几(ひじかけ)を置いても寄りかからず、杯が満ちていても飲み干しません。宴には好ましい贈り物があり、食事には添えの鼎が並びます。入国のときには郊外でのねぎらいがあり、出国のときには贈り物があります。これが礼の極みです。国家が敗れるのは、この道を失うからで、そうなれば禍乱が起こります。城濮の戦いのあと、晋は楚への備えを怠ったために、邲で敗れました。邲の戦いのあと、楚は晋への備えを怠ったために、鄢陵で敗れました。鄢陵の戦い以来、晋は備えを失わず、そのうえ礼を加え、和睦を重ねてきました。そのため楚は報復することができず、かえって親しみを求めたのです。そしていま婚姻による親戚関係を得ておきながら、また晋を辱めようとして、仇敵を招き寄せようとしています。それに対する備えはどうなのでしょうか。誰がその備えの重任を担えるのでしょうか。もしそれを担える人物がいるなら、晋を辱めるのもよいでしょう。もしまだいないのなら、君もよくお考えください。晋がわが君に仕える態度は、私から見て十分なものです。諸侯を求めれば群がってやって来させ、婚姻を求めれば娘を差し出しました。晋の君は自ら娘を送り、上卿と上大夫が送り届けてきました。それでもなお辱めようとなさるのなら、君にはきっと備えがおありなのでしょう。そうでなければどうなさるおつもりですか。韓起の下には、趙成・中行呉・魏舒・范鞅・知盈がおります。羊舌肸の下には、
解説
この章句が説くこと
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『春秋左氏伝』昭公五年 始めを敬して終はりを思ふ晉の韓宣子楚に如きて女を送る。叔向介為り。鄭の子皮・子大叔、諸を索氏に勞ふ。大叔叔向に謂ひて曰く、「楚王の汏侈已甚し。子其れ之を戒めよ」と。叔向曰く、「汏侈已甚しきは、身の災ひなり。焉んぞ能く人に及ばん。若し吾が幣帛を奉じ、吾が威儀を慎み、之を守るに信を以てし、之を行ふに禮を以てし、始めを敬して終はりを思はば、終に復せざる無し。從ひて儀を失はず、敬して威を失はず、之を道くに訓辭を以てし、之を奉ずるに舊法を以てし、之を考ふるに先王を以てし、之を度るに二國を以てせば、汏侈と雖も我を若何せん」と。楚に及ぶ。楚子其の大夫を朝せしめて曰く、「晉は吾が仇敵なり。苟も志を得ば、其の他を恤ふる無けん。今其の來たる者は、上卿・上大夫なり。若し吾韓起を以て閽と為し、羊舌肸を以て司宮と為さば、以て晉を辱むるに足り、吾も亦た志を得ん。可ならんか」と。大夫對ふる莫し。薳啟彊曰く、「可なり。苟も其の備へ有らば、何の故に可ならざらん。匹夫を恥づかしむるすら以て備へ無かるべからず、況んや國を恥づかしむるをや。是を以て聖王は禮を行ふに務めて、人を恥づかしむるを求めず。
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『墨子』魯問魯君、子墨子に謂いて曰く、「吾れ齊の吾を攻めんことを恐る。救う可きか」と。子墨子曰く、「可なり。昔者、三代の聖王、禹・湯・文・武は、百里の諸侯なり。忠を説き義を行いて、天下を取る。三代の暴王、桀・紂・幽・厲は、讐怨し暴を行いて、天下を失う。吾れ願わくは主君の、上は天を尊び鬼に事え、下は百姓を愛し利し、厚く皮幣を為り、辭令を卑くし、函く徧く四隣の諸侯を禮し、國を敺りて以て齊に事えんことを。患い救う可きなり。願うに非ざれば為す可き者無し」と。
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『春秋左氏伝』昭公元年 垂櫜して入る小國恃みを失ひて、諸侯を懲らさば、憾みざる者莫からしめ、君命に距違して、壅塞して行はれざる所有らんことを是れ懼る。然らずんば、敝邑は館人の屬なり。其れ敢へて豐氏の祧を愛しまんや」と。伍舉其の備へ有るを知るなり、請ふ櫜を垂れて入らんと。之を許す。正月乙未、入りて逆へて出づ。遂に虢に會す。宋の盟を尋ぬるなり。祁午趙文子に謂ひて曰く、「宋の盟に、楚人晉に志を得たり。今令尹の不信、諸侯の聞く所なり。子戒めずんば、懼らくは又宋の如くならん。子木の信、諸侯に稱せらるるも、猶ほ晉を詐りて駕す。況んや不信の尤なる者をや。楚重ねて晉に志を得ば、晉の恥なり。子晉國に相として、以て盟主と為ること、今に於て七年なり。再び諸侯を合し、三たび大夫を合し、齊・狄を服し、東夏を寧んじ、秦の亂を平らげ、淳于に城く。師徒頓れず、
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『春秋左氏伝』昭公十八年 小国、守りを忘るれば危うし七月、鄭の子產火の故の為に、大いに社を為(つく)り、四方に祓禳して、火災を振除す。禮なり。乃ち兵を簡(えら)びて大いに蒐す。將に蒐の為に除(はら)はんとす。子大叔の廟は道の南に在り、其の寢は道の北に在り。其の庭小なり。期を過ぐること三日なり。除徒をして道の南、廟の北に陳せしめて曰く、「子產女(なんぢ)を過ぎて、速やかに除けと命ぜば、乃ち而(なんぢ)が鄉(む)かふ所に毀て」と。子產朝す。過ぎて之を怒る。除く者南に毀つ。子產衝に及び、從者をして之を止めしめて曰く、「北方を毀て」と。火の作るや、子產兵を授けて陴に登らしむ。子大叔曰く、「晉乃ち討ずること無からんや」と。子產曰く、「吾之を聞く、小國守を忘るれば則ち危うし、と。況んや災有るをや。國の小とす可からざるは、備へ有るが故なり」と。既にして晉の邊吏鄭を讓(せ)めて曰く、「鄭國災有り。晉君・大夫敢へて寧居せず、卜筮走望して、牲玉を愛しまず。鄭の災有るは、寡君の憂ひなり。今執事撊然として兵を授けて陴に登らしむ。將に誰を以て罪せんとする」と。
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『春秋左氏伝』宣公十二年 士季、備えを説く楚の潘黨之を逐ひ、熒澤に及ぶ。六麋を見て、一麋を射て以て顧みて獻じて、曰く、「子に軍事有り、獸人乃ち鮮を給せざること無からんや。敢へて從者に獻ず」と。叔黨命じて之を去らしむ。趙旃卿を求めて未だ得ず、且つ楚の師を致す者を失へるを怒り、戰ひを挑まんことを請ふ、許さず。盟を召かんことを請ふ、之を許す。魏錡と皆命ぜられて往く。郤獻子曰く、「二憾往けり、備へずんば必ず敗れん」と。彘子曰く、「鄭人戰ひを勸むれども、敢へて從はざるなり。楚人成を求むれども、好みすること能はざるなり。師に成命無し、多く備へて何をか為さん」と。士季曰く、「之に備ふるは善し。若し二子楚を怒らせ、楚人我に乘ぜば、師を喪ふこと日無からん。之に備ふるに如かず。楚の惡無くんば、備へを除きて盟はん、何ぞ好みを損せん。若し惡を以て來らば、備へ有れば敗れず。且つ諸侯相見ゆと雖も、軍衛徹せざるは、警めなり」と。彘子可かず。士季鞏朔・韓穿をして七覆を敖の前に帥ゐしむ、故に上軍敗れず。
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史記 秦本紀其の秋、甘茂・庶長封をして宜陽を伐たしむ。四年、宜陽を抜き、首を斬ること六万。河を渉り、武遂に城く。魏の太子来朝す。武王力有りて戯を好む。力士任鄙・烏獲・孟説皆大官に至る。王孟説と鼎を挙げ、臏を絶つ。八月、武王死す。孟説を族す。武王魏の女を取りて后と為すも、子無し。異母弟を立つ。是を昭襄王と為す。昭襄の母は楚人にして、姓は羋氏、宣太后と号す。武王の死せし時、昭襄王燕に質為り。燕人送り帰し、立つを得たり。昭襄王の元年、厳君疾相と為る。甘茂出でて魏に之く。二年、彗星見る。庶長壮大臣・諸侯・公子と逆を為し、皆誅せらる。恵文后に及ぶまで皆良死を得ず。悼武王の后出でて魏に帰る。三年、王冠す。楚王と黄棘に会し、楚に上庸を与ふ。四年、蒲阪を取る。彗星見る。五年、魏王来たりて応亭に朝す。復た魏に蒲阪を与ふ。六年、蜀侯煇反き、司馬錯蜀を定む。庶長奐楚を伐ち、首を斬ること二万。涇陽君斉に質たり。日食し、昼晦し。七年、新城を抜く。樗里子卒す。八年、将軍羋戎をして楚を攻めしめ、新市を取る。斉は章子をして、魏は公孫喜をして、韓は暴鳶をして共に楚の方城を攻めしめ、唐眛を取る。趙中山を破り、其の君亡げ、竟に斉に死す。魏の公子勁・韓の公子長諸侯と為る。九年、孟嘗君薛文来たりて秦に相たり。奐楚を攻め、八城を取り、其の将景快を殺す。十年、楚の懐王入りて秦に朝す。秦之を留む。薛文金を以て免るるを受く。楼緩丞相と為る。十一年、斉・韓・魏・趙・宋・中山の五国共に秦を攻め、塩氏に至りて還る。秦韓・魏に河北及び封陵を与へて以て和す。彗星見る。楚の懐王走りて趙に之く。趙受けず、之を秦に還す。即ち死し、帰葬す。十二年、楼緩免ぜられ、穣侯魏冉相と為る。楚に粟五万石を予ふ。
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