春秋左氏伝 / 昭公五年 朝する者を執ふるは誘なり
鄭罕虎如齊。娶於子尾氏。晏子驟見之。陳桓子問其故。對曰。能用善人。民之主也。夏。莒牟夷以牟婁及防茲來奔。牟夷非卿而書。尊地也。莒人愬于晉。晉侯欲止公。范獻子曰。不可。人朝而執之。誘也。討不以師。而誘以成之。惰也。為盟主而犯此二者。無乃不可乎。請歸之。間而以師討焉。乃歸公。秋。七月。公至自晉。莒人來討。不設備。戊辰。叔弓敗諸蚡泉。莒未陳也。
新字:鄭罕虎如斉。娶於子尾氏。晏子驟見之。陳桓子問其故。対曰。能用善人。民之主也。夏。莒牟夷以牟婁及防茲来奔。牟夷非卿而書。尊地也。莒人愬于晋。晋侯欲止公。范献子曰。不可。人朝而執之。誘也。討不以師。而誘以成之。惰也。為盟主而犯此二者。無乃不可乎。請帰之。間而以師討焉。乃帰公。秋。七月。公至自晋。莒人来討。不設備。戊辰。叔弓敗諸蚡泉。莒未陳也。
書き下し
鄭の罕虎齊に如き、子尾氏に娶る。晏子驟(しばしば)之に見ゆ。陳桓子其の故を問ふ。對へて曰く、「能く善人を用ゐるは、民の主なり」と。夏、莒の牟夷牟婁及び防・茲を以て來奔す。牟夷は卿に非ずして書す、地を尊べばなり。莒人晉に愬(うった)ふ。晉侯公を止めんと欲す。范獻子曰く、「不可なり。人朝して之を執ふるは、誘ふなり。討つに師を以てせずして、誘ひて以て之を成すは、惰なり。盟主と為りて此の二者を犯すは、乃ち不可なること無からんや。請ふ之を歸し、間ありて師を以て焉を討たん」と。乃ち公を歸す。秋、七月、公晉より至る。莒人來討す。備へを設けず。戊辰、叔弓諸を蚡泉に敗る。莒未だ陳せざればなり。
現代語訳
鄭の罕虎(子皮)が斉へ行き、子尾氏の娘をめとった。晏子はたびたび罕虎に会いに行った。陳桓子(陳無宇)がそのわけを問うと、晏子は答えた。「善い人を用いることのできる人物は、民の主となる人だからです」。夏、莒の牟夷が牟婁と防・茲の地を携えて魯に亡命してきた。牟夷は卿ではないのに『春秋』がその名を書いたのは、土地を重んじたからである。莒の人々が晋に訴えた。晋侯(平公)は、晋に来ていた昭公を足止めして拘留しようとした。范献子(士鞅)が言った。「いけません。人が朝見に来たのを捕らえるのは、だまし討ちです。軍を起こして討伐せず、だまし討ちで事を片づけるのは、怠慢です。盟主でありながらこの二つを犯すのは、よろしくないのではありませんか。どうか魯公をお帰しになり、機会を見て軍を出して討伐なさいますように」。そこで昭公を帰国させた。秋七月、昭公は晋から帰国した。莒の人々が魯に攻めてきたが、備えを固めていなかった。戊辰の日、叔弓が蚡泉で莒軍を破った。莒がまだ陣を整えていなかったからである。
解説
この章句が説くこと
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史記 淮陰侯列伝信数しば蕭何と語る。何之を奇とす。南鄭に至るに、諸将の道に行きて亡ぐる者数十人。信度るに、何等已に数しば上に言ふも、上我を用ゐずと、即ち亡ぐ。何信の亡ぐるを聞き、以て聞するに及ばず、自ら之を追ふ。人有りて上に言ひて曰く、「丞相何亡げたり」と。上大いに怒り、左右の手を失ふが如し。居ること一二日、何来りて上に謁す。上且つ怒り且つ喜び、何を罵りて曰く、「若亡ぐるは、何ぞや」と。何曰く、「臣敢へて亡げざるなり。臣は亡ぐる者を追ふ」と。上曰く、「若追ふ所の者は誰ぞ」と。何曰く、「韓信なり」と。上復た罵りて曰く、「諸将の亡ぐる者は十を以て数ふるも、公追ふ所無し。信を追ふは、詐りなり」と。何曰く、「諸将は得易きのみ。信の如き者に至りては、国士無双なり。王必ず長く漢中に王たらんと欲せば、信を事とする所無し。必ず天下を争はんと欲せば、信に非ずんば与に事を計る所の者無し。顧ふに王の策安くに決する所かのみ」と。王曰く、「吾も亦東せんと欲するのみ。安んぞ能く郁郁として久しく此に居らんや」と。何曰く、「王の計必ず東せんと欲せば、能く信を用ゐば、信即ち留まらん。用ゐること能はずんば、信終に亡げんのみ」と。王曰く、「吾公の為に以て将と為さん」と。何曰く、「将と為すと雖も、信必ず留まらじ」と。王曰く、「以て大将と為さん」と。何曰く、「幸甚なり」と。是に於て王信を召して之を拝せんと欲す。何曰く、「王素より慢にして礼無し。今大将を拝すること小児を呼ぶが如きのみ。此れ乃ち信の去る所以なり。王必ず之を拝せんと欲せば、良日を択び、斎戒し、壇場を設け、礼を具へて、乃ち可なるのみ」と。王之を許す。諸将皆喜び、人人各自ら以て大将を得んと為す。大将を拝するに至りて、乃ち韓信なり。一軍皆驚く。
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史記 管晏列伝管仲夷吾は、潁上の人なり。少き時常に鮑叔牙と游び、鮑叔、其の賢なるを知れり。管仲貧困にして、常に鮑叔を欺くも、鮑叔、終に善く之を遇し、以て言を為さず。已にして鮑叔、斉の公子小白に事へ、管仲は公子糾に事ふ。小白立ちて桓公と為り、公子糾死するに及び、管仲囚はる。鮑叔遂に管仲を進む。管仲既に用ひられ、政に斉に任ず。斉の桓公以て覇たり、諸侯を九合し、天下を一匡したるは、管仲の謀なり。
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『韓非子』亡徵第十五境内の傑、事とされずして、封外の士を求め、功伐を以て課試せずして、好んで名問を以て舉錯し、羈旅起り貴くして以て故常を陵ぐ者は、亡ぶ可きなり。
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