春秋左氏伝 / 昭公五年 明夷の謙
以讒人入。其名曰牛。卒以餒死。明夷。日也。日之數十。故有十時。亦當十位。自王已下。其二為公。其三為卿。日上其中。食日為二。旦日為三。明夷之謙。明而未融。其當旦乎。故曰為子祀。日之謙當鳥。故曰明夷于飛。明之未融。故曰垂其翼。象日之動。故曰君子于行。當三在旦。故曰三日不食。離。火也。艮。山也。離為火。火焚山。山敗。於人為言。敗言為讒。故曰有攸往。主人有言。言必讒也。純離為牛。世亂讒勝。勝將適離。故曰其名曰牛。謙不足。飛不翔。垂不峻。翼不廣。故曰其為子後乎。吾子亞卿也。抑少不終。
新字:以讒人入。其名曰牛。卒以餒死。明夷。日也。日之数十。故有十時。亦当十位。自王已下。其二為公。其三為卿。日上其中。食日為二。旦日為三。明夷之謙。明而未融。其当旦乎。故曰為子祀。日之謙当鳥。故曰明夷于飛。明之未融。故曰垂其翼。象日之動。故曰君子于行。当三在旦。故曰三日不食。離。火也。艮。山也。離為火。火焚山。山敗。於人為言。敗言為讒。故曰有攸往。主人有言。言必讒也。純離為牛。世乱讒勝。勝将適離。故曰其名曰牛。謙不足。飛不翔。垂不峻。翼不広。故曰其為子後乎。吾子亜卿也。抑少不終。
書き下し
讒人を以て入らん。其の名を牛と曰ふ。卒に餒(う)ゑを以て死せん。明夷は日なり。日の數は十、故に十時有り、亦た十位に當たる。王より已下、其の二は公為り、其の三は卿為り。日は其の中に上る。食日を二と為し、旦日を三と為す。明夷の謙は、明にして未だ融(あき)らかならず、其れ旦に當たらんか。故に子の祀を為すと曰ふ。日の謙は鳥に當たる、故に明夷于(ここ)に飛ぶと曰ふ。明の未だ融らかならず、故に其の翼を垂ると曰ふ。日の動くに象る、故に君子于に行くと曰ふ。三に當たりて旦に在り、故に三日食はずと曰ふ。離は火なり。艮は山なり。離を火と為し、火山を焚けば、山敗る。人に於いては言と為す。敗言を讒と為す。故に往く攸有り、主人言有りと曰ふ。言は必ず讒ならん。純離を牛と為す。世亂れて讒勝ち、勝ちて將に離に適かんとす。故に其の名を牛と曰ふと曰ふ。謙は足らず、飛ぶも翔らず、垂るるも峻からず、翼は廣からず。故に其れ子の後為らんかと曰ふ。吾子は亞卿なり。抑も少しく終はらざらん」と。
現代語訳
讒言をする者を連れて帰り、その者の名は牛という。この子は最後には飢えて死ぬでしょう。明夷の卦(下が離、上が坤)の離は日です。日の数は十で、それゆえ一日には十の時があり、それはまた人の十の位に当たります。王から下って、二番目が公、三番目が卿です。日は日中に最も高く昇ります(これが王に当たります)。朝食時の日を二番目(公)とし、夜明けの日を三番目(卿)とします。明夷が謙に変わるのは、明るくなりかけてまだ明るくなりきらない形で、夜明けに当たるでしょう。だから(卿として)あなたの祭祀を継ぐと言ったのです。日が謙の卦に変わるのは鳥に当たります。だから爻辞に『明夷、ここに飛ぶ』とあるのです。明るさがまだ明るくなりきらないから『その翼を垂れる』とあるのです。日が動く姿にかたどって『君子ここに行く』とあるのです。三番目に当たり、夜明けにあるから『三日食らわず』とあるのです。離は火であり、艮(謙の下卦)は山です。離を火とし、火が山を焼けば山は崩れます。これを人に当てはめれば言葉であり、崩れた言葉とは讒言です。だから『往くところあり、主人に言あり』とあるのです。その言葉は必ず讒言でしょう。離を重ねた純離の卦は牛にかたどります。世が乱れて讒言が勝ち、勝てば離に行き着く。だから『その名を牛という』と言ったのです。謙の卦は満ち足りない形で、飛んでも高く翔らず、翼を垂れても垂れきらず、翼も広くない。だから『あなたの後継ぎになるだろう』と言ったのです。あなたは亜卿(次席の卿)です。この子もそうなりましょうが、しかし少々、終わりを全うしないでしょう」。
解説
この章句が説くこと
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