春秋左氏伝 / 昭公四年 豎牛、叔孫を餓えしむ
長而後使逆之。田於丘蕕。遂遇疾焉。豎牛欲亂其室而有之。強與孟盟。不可。叔孫為孟鍾曰。爾未際。饗大夫以落之。既具。使豎牛請。日入弗謁。出命之日。及賓至。聞鍾聲。牛曰。孟有北婦人之客。怒將往。牛止之。賓出。使拘而殺諸外。牛又強與仲盟。不可。仲與公御萊書。觀於公。公與之環。使牛入示之。入不示。出命佩之。牛謂叔孫見仲而何。叔孫曰。何為。曰不見。既自見矣。公與之環而佩之矣。遂逐之。奔齊。疾急。命召仲。牛許而不召。杜洩見。告之飢渴。授之戈。對曰。求之而至。又何去焉。豎牛曰。夫子疾病。不欲見人。使寘饋于個而退。牛弗進。則置虛命徹。
新字:長而後使逆之。田於丘蕕。遂遇疾焉。豎牛欲乱其室而有之。強与孟盟。不可。叔孫為孟鍾曰。爾未際。饗大夫以落之。既具。使豎牛請。日入弗謁。出命之日。及賓至。聞鍾声。牛曰。孟有北婦人之客。怒将往。牛止之。賓出。使拘而殺諸外。牛又強与仲盟。不可。仲与公御萊書。観於公。公与之環。使牛入示之。入不示。出命佩之。牛謂叔孫見仲而何。叔孫曰。何為。曰不見。既自見矣。公与之環而佩之矣。遂逐之。奔斉。疾急。命召仲。牛許而不召。杜洩見。告之飢渇。授之戈。対曰。求之而至。又何去焉。豎牛曰。夫子疾病。不欲見人。使寘饋于個而退。牛弗進。則置虚命徹。
書き下し
長じて而る後に之を逆へしむ。丘蕕に田して、遂に疾に遇ふ。豎牛其の室を亂して之を有たんと欲す。強ひて孟と盟はんとするも、可かず。叔孫孟の為に鍾を為りて曰く、「爾未だ際(まじ)はらず。大夫を饗して以て之を落せ」と。既に具はる。豎牛をして日を請はしむ。入りて謁せず。出でて之に日を命ず。賓至るに及び、鍾の聲を聞く。牛曰く、「孟に北婦人の客有り」と。怒りて將に往かんとす。牛之を止む。賓出づ。拘へて諸を外に殺さしむ。牛又強ひて仲と盟はんとするも、可かず。仲公の御萊書と公に觀る。公之に環を與ふ。牛をして入りて之を示さしむ。入りて示さず。出でて之を佩びよと命ず。牛叔孫に謂ふ、「仲を見えしめば何如」と。叔孫曰く、「何為れぞ」と。曰く、「見えしめずとも、既に自ら見えたり。公之に環を與へて之を佩べり」と。遂に之を逐ふ。齊に奔る。疾急なり。仲を召せと命ず。牛許して召さず。杜洩見ゆ。之に飢渴を告げ、之に戈を授く。對へて曰く、「之を求めて至る、又何ぞ去らん」と。豎牛曰く、「夫子疾病なり、人を見るを欲せず」と。饋を個に寘きて退かしむ。牛進めず。則ち虛を置きて徹せしむ。
現代語訳
息子たちが成長してから、叔孫はようやく彼らを呼び寄せた。叔孫は丘蕕で狩りをして、そのまま病にかかった。豎牛は叔孫家を乱して自分のものにしようと企んだ。まず長子の孟丙に無理に盟約を結ばせようとしたが、孟丙は承知しなかった。叔孫は孟丙のために鐘を鋳させて言った。「おまえはまだ大夫たちと交わりがない。大夫を饗応して、この鐘の落成祝いをせよ」。準備が整うと、孟丙は豎牛に頼んで叔孫に日取りを伺わせた。豎牛は奥に入っても叔孫に取り次がず、出てきて勝手に日取りを伝えた。客が到着して鐘の音が聞こえると、豎牛は叔孫に言った。「孟丙は北の婦人(国姜を奪った公孫明の家)の客を招いております」。叔孫は怒って出向こうとしたが、豎牛がそれを止めた。客が帰ったあと、叔孫は孟丙を捕らえさせ、外で殺させた。豎牛はさらに次子の仲壬に無理に盟約を結ばせようとしたが、仲壬も承知しなかった。仲壬は昭公の御者の萊書と一緒に公宮に遊びに行き、公から玉の環を賜った。仲壬は豎牛に頼んで、奥に入ってそれを父に見せてもらおうとした。豎牛は入っても見せず、出てきて「身につけよ」と父の命令を偽った。そのうえで豎牛は叔孫に言った。「仲壬を公にお目見えさせてはいかがでしょう」。叔孫が「なぜだ」と言うと、豎牛は言った。「お目見えさせなくても、もう勝手にお目見えしております。公が環を下さり、それを身につけております」。叔孫はとうとう仲壬を追放し、仲壬は斉に逃れた。病が重くなると、叔孫は仲壬を呼び戻せと命じた。豎牛は承知したふりをして呼ばなかった。家臣の杜洩が面会すると、叔孫は飢えと渇きを訴え、戈を授けて豎牛を討たせようとした。杜洩は答えた。「あの者はあなたが求めて呼び寄せた者です。どうして今さら除くことができましょう」。豎牛は言った。「ご主人は病が重く、人に会いたくないとのことです」。そして食事を脇の部屋に置いて下がらせた。豎牛はそれを進めず、空の器を置いて下げるよう命じた(食べたように見せかけたのである)。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
-
『春秋左氏伝』荘公二十八年 驪姫、二五を賂う二十八年春、齊侯衛を伐つ。戰ひて、衛の師を敗る。之を數むるに王命を以ってし、賂を取りて還る。晉の獻公賈に娶りて、子無し。齊姜に烝して、秦の穆夫人及び大子申生を生む。又二女を戎に娶る。大戎の狐姬重耳を生み、小戎子夷吾を生む。晉驪戎を伐ち、驪戎の男、女はすに驪姬を以ってす。歸りて、奚齊を生む。其の娣卓子を生む。驪姬嬖せられ、其の子を立てんと欲し、外嬖梁五と、東關嬖五とに賂ひ、公に言はしめて曰く、「曲沃は、君の宗なり。蒲と二屈とは、君の疆なり。以って主無かる可からず。宗邑に主無ければ則ち民威れず、疆埸に主無ければ則ち戎心を啟く。戎の心を生じ、民其の政を慢るは、國の患ひなり。若し大子をして曲沃に主たらしめ、而して重耳・夷吾をして蒲と屈とに主たらしめば、則ち以って民を威し戎を懼れしめ、且つ君の伐を旌す可し」と。俱に曰はしむ、「狄の廣莫、晉に于いて都と爲る。晉の土を啟く、亦た宜ならずや」と。晉侯之を說ぶ。夏、大子をして曲沃に居らしめ、重耳は蒲城に居り、夷吾は屈に居る。羣公子皆鄙にあり、唯だ二姬の子のみ絳に在り。二五卒に驪姬と羣公子を譖して奚齊を立つ。晉人之を二耦と謂ふ。
-
『甲陽軍鑑』品第四十七長坂長閑·跡部大炊助申す、それはあの旁、信玄公御心をよく存ぜられずしてさやう也、あの曲淵ほどの者は旗本の事は申すに及ばず、甲州·信州·上州へかけては二千も三千もあらん、其上主又は寄親をさやうに悪口申す、頭の下知につかざるは大悪事なりとて、則ち長坂長閑·跡部大炊介御機嫌を見合せ、曲淵が板垣弥次郎へ雑言の次第申上る、信玄公聞し召しおほきにわらひ給ふ、
-
説苑・雜言祁射子、秦の惠王に見え、惠王之を說ぶ。是に於いて唐姑之を讒し、復た見ゆるに、惠王怒りを懷きて以て之を待つ。其の說く所異なるに非ざるなり、聽く所の易わればなり。故に徵を以て羽と為すは、絃の罪に非ざるなり。甘きを以て苦しと為すは、味を限るの過ちなり。
-
論語・顔淵篇子張、明を問う。子曰く、「浸潤の譖、膚受の愬、行われざれば、明と謂う可きのみ。浸潤の譖、膚受の愬、行われざれば、遠しと謂う可きのみ。」
-
『甲陽軍鑑』品第十三ある時両人談合して己々が所領を沢山にとらんと思ひ、扇谷殿へ申けるは、御台所入り是なくして事不弁にましますに、家老衆は江戸河越の国中に徘徊の儀、末の御代にはあの衆の子共扇谷御子孫へ敵対申、御子孫は公方のごとく成給ひ家老衆は両上杉殿御仕合に少シもたがひ申まじ、御分別有べき由申上る処に扇谷殿武州江戸太田道灌を召寄殺し給ふ、是を聞て残る上田·見田·荻谷を始め道灌が一類城主共のことは申に及ばず少しも身を持たる衆大形身がまへクチ〳〵をいたし居、
-
論語・憲問篇公伯寮、子路を季孫に愬う。子服景伯以て告げて曰く、「夫子固より公伯寮に惑志有り。吾が力猶お能く諸を市朝に肆さん。」子曰く、「道の将に行われんとするや、命なり。道の将に廃れんとするや、命なり。公伯寮其れ命を如何せん。」
人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。
古典の入門書『人生の教科書』(PDF)と、師導の全機能1か月がセットで700円。二十四の悩みに、論語・老子・孫子から徒然草・五輪書までが答えます。
本の中身を見る