春秋左氏伝 / 昭公四年 申の会
夏。諸侯如楚。魯。衛。曹。邾。不會。曹邾辭以難。公辭以時祭。衛侯辭以疾。鄭伯先待于申。六月丙午。楚子合諸侯于申。椒舉言於楚子曰。臣聞諸侯無歸。禮以為歸。今君始得諸侯。其慎禮矣。霸之濟否。在此會也。夏啟有鈞臺之享。商湯有景亳之命。周武有孟津之誓。成有岐陽之蒐。康有酆宮之朝。穆有塗山之會。齊桓有召陵之師。晉文有踐土之盟。君其何用。宋向戌。鄭公孫僑。在諸侯之良也。君其選焉。王曰。吾用齊桓。王使問禮於左師與子產。左師曰。小國習之。大國用之。敢不薦聞。獻公合諸侯之禮六。子產曰。小國共職。敢不薦守。獻伯子男會公之禮六。君子謂合左師善守先代。子產善相小國。
新字:夏。諸侯如楚。魯。衛。曹。邾。不会。曹邾辞以難。公辞以時祭。衛侯辞以疾。鄭伯先待于申。六月丙午。楚子合諸侯于申。椒舉言於楚子曰。臣聞諸侯無帰。礼以為帰。今君始得諸侯。其慎礼矣。覇之済否。在此会也。夏啓有鈞台之享。商湯有景亳之命。周武有孟津之誓。成有岐陽之蒐。康有酆宮之朝。穆有塗山之会。斉桓有召陵之師。晋文有践土之盟。君其何用。宋向戌。鄭公孫僑。在諸侯之良也。君其選焉。王曰。吾用斉桓。王使問礼於左師与子産。左師曰。小国習之。大国用之。敢不薦聞。献公合諸侯之礼六。子産曰。小国共職。敢不薦守。献伯子男会公之礼六。君子謂合左師善守先代。子産善相小国。
書き下し
夏、諸侯楚に如く。魯・衛・曹・邾、會せず。曹・邾は辭するに難を以ってし、公は辭するに時祭を以ってし、衛侯は辭するに疾を以ってす。鄭伯先づ申に待つ。六月丙午、楚子諸侯を申に合す。椒舉楚子に言ひて曰く、「臣聞く、諸侯歸する無し、禮以って歸と為す、と。今君始めて諸侯を得たり、其れ禮を慎め。霸の濟否は、此の會に在り。夏啟に鈞臺の享有り、商湯に景亳の命有り、周武に孟津の誓有り、成に岐陽の蒐有り、康に酆宮の朝有り、穆に塗山の會有り、齊桓に召陵の師有り、晉文に踐土の盟有り。君其れ何をか用ゐん。宋の向戌・鄭の公孫僑は、諸侯の良に在り。君其れ焉を選べ」と。王曰く、「吾は齊桓を用ゐん」と。王左師と子產とに禮を問はしむ。左師曰く、「小國は之を習ひ、大國は之を用ゐる。敢へて聞く所を薦めざらんや」と。公の諸侯を合するの禮六を獻ず。子產曰く、「小國は職を共にす、敢へて守る所を薦めざらんや」と。伯・子・男の公に會するの禮六を獻ず。君子謂ふ、「合左師は善く先代を守り、子產は善く小國を相く」と。
現代語訳
夏、諸侯が楚に赴いた。魯・衛・曹・邾は会合に参加しなかった。曹と邾は国内の難事を理由に断り、魯の昭公は季節の祭祀を理由に断り、衛侯は病気を理由に断った。鄭伯は先に申に着いて待っていた。六月丙午の日、楚王(霊王)は申で諸侯を会合させた。椒挙が楚王に言った。「私はこう聞いております。諸侯は(力によって)帰服するのではなく、礼によって帰服するのだ、と。いま君は初めて諸侯を得られました。どうか礼を慎んでください。覇業が成るかどうかは、この会合にかかっています。夏の啓には鈞台での饗宴があり、商の湯王には景亳での命令があり、周の武王には孟津での誓いがあり、成王には岐陽での狩りがあり、康王には酆宮での朝見があり、穆王には塗山での会合があり、斉の桓公には召陵での出兵があり、晋の文公には践土での盟約がありました。君はどれを手本になさいますか。宋の向戌と鄭の公孫僑(子産)は、諸侯の中でもすぐれた人物です。どうか二人にお選ばせください」。王は言った。「私は斉の桓公にならおう」。王は左師(向戌)と子産に礼を尋ねさせた。左師は言った。「小国は礼を習い、大国はそれを用いるものです。どうして聞き知っていることを申し上げずにおれましょう」。そして公爵が諸侯を会合させる礼を六つ献じた。子産は言った。「小国は職分を務めるものです。どうして守ってきたことを申し上げずにおれましょう」。そして伯・子・男の爵の者が公に会う礼を六つ献じた。君子は言った。「合の左師(向戌)は先代の礼をよく守り、子産は小国をよく補佐した」。
解説
この章句が説くこと
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『慎思録』巻之五卑幼の輩、居れば則ち長者の位を避け、行けば則ち随ひ行き、言語応対は、則ち恂恂として謙遜す。是れ礼の当に然るべき所なり。後世の卑幼は此の礼に循はず。往往長者の位に居り、先生と並び行き、言語応対は、則ち尊長と抗敵す。唯速やかに成人の列に進まんことを欲し、等を躐え節を凌ぐ。分に安んぜざるの甚だしきなり。是を以て驕惰の心を養成して、教ふべからざるに至る。歎ずべきかな。
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史記 魏公子列伝魏に隠士有り、侯嬴と曰ふ、年七十、家貧しく、大梁の夷門の監者為り。公子これを聞き、往きて請ひ、厚くこれに遺らんと欲す。受くるを肯んぜずして曰く、「臣、身を脩め行ひを絜くすること数十年、終に監門の困しみの故を以て公子の財を受けず」と。公子是に於いて乃ち酒を置きて大いに賓客を会す。坐定まり、公子車騎を従へ、左を虚しくして、自ら夷門の侯生を迎ふ。侯生、敝れたる衣冠を摂め、直ちに上りて公子の上坐に載り、譲らず、以て公子を観んと欲す。公子轡を執ること愈々恭し。侯生また公子に謂ひて曰く、「臣に客の市の屠中に在る有り、願はくは車騎を枉げてこれに過れ」と。公子車を引きて市に入る。侯生下りてその客朱亥に見え、俾倪して故らに久しく立ち、その客と語り、微かに公子を察す。公子の顔色愈々和らぐ。是の時に当たり、魏の将相・宗室・賓客堂に満ち、公子の酒を挙ぐるを待つ。市人皆公子の轡を執るを観る。従騎皆竊かに侯生を罵る。侯生、公子の色の終に変ぜざるを視て、乃ち客に謝して車に就く。家に至り、公子、侯生を引きて上坐に坐せしめ、遍く賓客に賛す、賓客皆驚く。酒酣にして、公子起ち、寿を侯生の前に為す。侯生因りて公子に謂ひて曰く、「今日、嬴の公子の為にするもまた足れり。嬴は乃ち夷門の抱関者なり、而るに公子親ら車騎を枉げ、自ら嬴を衆人広坐の中に迎ふ、宜しく過る所有るべからざるに、今公子故らにこれに過る。然れども嬴は公子の名を就さんと欲す、故に久しく公子の車騎を市中に立たしめ、客に過りて以て公子を観る、公子愈々恭し。市人皆嬴を以て小人と為し、而して公子を以て長者にして能く士に下ると為すなり」と。是に於いて酒を罷め、侯生遂に上客と為る。
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