春秋左氏伝 / 昭公四年 申豊、蔵冰を説く
大雨雹。季武子問於申豐曰。雹可禦乎。對曰。聖人在上。無雹。雖有不為災。古者日在北陸。而藏冰西陸。朝覿而出之。其藏冰也。深山窮谷。固陰沍寒。於是乎取之。其出之也。朝之祿位。賓食喪祭。於是乎用之。其藏之也。黑牡秬黍。以享司寒。其出之也。桃弧棘矢。以除其災。其出入也。時食肉之祿。冰皆與焉。大夫命婦。喪浴用冰。祭寒而藏之。獻羔而啟之。公始用之。火出而畢賦。自命夫命婦。至於老疾。無不受冰。山人取之。縣人傳之。輿人納之。隸人藏之。夫冰以風壯。而以風出。其藏之也周。其用之也遍。則冬無愆陽。夏無伏陰。春無凄風。秋無苦雨。雷出不震。無菑霜雹癘疾不降。民不夭札。今藏川池之冰。棄而不用。風不越而殺。雷不發而震。雹之為菑。誰能禦之。七月之卒章。藏冰之道也。
新字:大雨雹。季武子問於申豊曰。雹可禦乎。対曰。聖人在上。無雹。雖有不為災。古者日在北陸。而蔵冰西陸。朝覿而出之。其蔵冰也。深山窮谷。固陰沍寒。於是乎取之。其出之也。朝之禄位。賓食喪祭。於是乎用之。其蔵之也。黒牡秬黍。以享司寒。其出之也。桃弧棘矢。以除其災。其出入也。時食肉之禄。冰皆与焉。大夫命婦。喪浴用冰。祭寒而蔵之。献羔而啓之。公始用之。火出而畢賦。自命夫命婦。至於老疾。無不受冰。山人取之。県人伝之。輿人納之。隸人蔵之。夫冰以風壮。而以風出。其蔵之也周。其用之也遍。則冬無愆陽。夏無伏陰。春無凄風。秋無苦雨。雷出不震。無菑霜雹癘疾不降。民不夭札。今蔵川池之冰。棄而不用。風不越而殺。雷不発而震。雹之為菑。誰能禦之。七月之卒章。蔵冰之道也。
書き下し
大いに雹(ひよう)雨(ふ)る。季武子申豐に問ひて曰く、「雹は禦ぐ可きか」と。對へて曰く、「聖人上に在れば、雹無し。有りと雖も災を為さず。古は日北陸に在りて冰を藏し、西陸にして朝に覿(み)えて之を出す。其の冰を藏するや、深山窮谷、固陰沍寒(ごかん)、是に於いてか之を取る。其の之を出すや、朝の祿位、賓食喪祭、是に於いてか之を用ゐる。其の之を藏するや、黑牡秬黍(きょしょ)、以って司寒を享す。其の之を出すや、桃弧棘矢、以って其の災を除く。其の出入するや時あり。食肉の祿、冰皆焉に與る。大夫命婦、喪浴に冰を用ゐる。寒を祭りて之を藏し、羔を獻じて之を啟く。公始めて之を用ゐ、火出でて畢(ことごと)く賦す。命夫命婦より、老疾に至るまで、冰を受けざる無し。山人之を取り、縣人之を傳へ、輿人之を納れ、隸人之を藏す。夫れ冰は風を以って壯(かた)まり、風を以って出づ。其の之を藏するや周く、其の之を用ゐるや遍し。則ち冬に愆陽無く、夏に伏陰無く、春に凄風無く、秋に苦雨無し。雷出でて震はず、菑霜雹無く、癘疾降らず、民夭札せず。今川池の冰を藏し、棄てて用ゐず。風越えずして殺し、雷發せずして震ふ。雹の菑を為す、誰か能く之を禦がん。七月の卒章は、冰を藏するの道なり」と。
現代語訳
大量の雹が降った。季武子が申豊に尋ねた。「雹は防げるものか」。申豊は答えた。「聖人が上にいれば雹は降りません。降っても災いにはなりません。昔は、太陽が北陸(虚・危の星宿、真冬)にあるときに氷を蔵に納め、西陸(昴・畢の星宿、春分の頃)になって、朝に星が見えるころ氷を取り出しました。氷を納めるときは、深い山の奥深い谷の、陰が固く凍りついた寒い所から取りました。取り出すときは、朝廷で禄と位のある者が、賓客の饗応や喪葬・祭祀に用いました。氷を納めるときは、黒い牡の家畜と黒黍を供えて寒さの神を祭りました。取り出すときは、桃の木の弓と棘の矢で災いを払いました。出し入れには定まった時がありました。肉を食べる禄を受ける者は、みな氷の分配にあずかりました。大夫とその夫人は、喪の沐浴に氷を用いました。寒さの神を祭って氷を納め、子羊を供えて蔵を開きました。公がまず用い、大火星が見えるころにすべて配り終えました。命を受けた大夫とその夫人から、老人や病人に至るまで、氷を受けない者はいませんでした。山人が氷を切り出し、県人がそれを運び、輿人が蔵に納め、隷人がそれを保管しました。そもそも氷は(冬の)風で固くなり、(春の)風に合わせて取り出すものです。納めるときに行き届き、用いるときに遍くゆき渡れば、冬に季節外れの暖かさがなく、夏に隠れた寒さがなく、春に冷たい風がなく、秋に長雨がありません。雷が鳴っても激しくなく、霜や雹の災いがなく、疫病もはやらず、民は若死にしません。いまは川や池の氷を納めるだけで、それも捨てて用いていません。それで風は吹き散らさずに(万物を)損ない、雷は鳴るべき時でないのに激しく轟きます。雹が災いとなるのを、誰が防げましょう。『詩』の「七月」の最後の章は、氷を納める道を詠んだものです」。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
-
『墨子』七患故に食に備粟無ければ、以て凶饑を待つ可からず。庫に備兵無ければ、義有りと雖も、無義を征する能わず。城郭、備え全からざれば、以て自ら守る可からず。心に備慮無ければ、以て卒に應ずる可からず。是の故に慶忌は之を去るの心無くんば、輕々しく出づる能わず。夫れ桀に湯を待つの備無し、故に放たる。紂に武王を待つの備無し、故に殺さる。桀紂は貴きこと天子と為り、富は天下を有つ。然れども皆な百里の君に滅亡せらるるは、何ぞや。富貴有りて備えを為さざればなり。故に備えなる者は、國の重んずる所なり。
-
『墨子』公孟子墨子、公孟子に謂いて曰く、「喪禮は、君と父母と妻と後子と死すれば、三年の喪服、伯父・叔父・兄弟は期、族人は五月、姑・姊・甥は皆な數月の喪有り。或いは喪せざるの間を以て、詩三百を誦し、詩三百を歌い、詩三百を舞う。若し子の言を用いば、則ち君子は何れの日を以て聴治せん。庶人は何れの日を以て事に従わん」と。公孟子曰く、「國亂るれば則ち之を治め、治まれば則ち禮樂を為す。國治まれば則ち事に従い、國富めば則ち禮樂を為す」と。子墨子曰く、「國の治まるは、之を治むればなり。治むること廢すれば、則ち國の治まるも亦た廢す。國の富むや、事に従えばなり。事に従うこと廢すれば、則ち國の富むも亦た廢す。故に國を治むと雖も、之を勸めて饜くこと無く、然る後に可なり。今、子曰く、『國治まれば則ち禮樂を為し、亂るれば則ち之を治む』と。是れ譬うれば猶お噎して井を穿ち、死して醫を求むるがごときなり。古者、三代の暴王、桀・紂・幽・厲は、薾に聲樂を為して、其の民を顧みず。是を以て身は刑僇と為り、國は戾虚と為る者は、皆な此の道に従えばなり」と。
-
尚書・說命中惟れ事を事とするに、乃ち其れ備え有り、備え有れば患い無し。
-
孫子・虚実篇故に前に備うれば則ち後寡なく、後に備うれば則ち前寡なし。左に備うれば則ち右寡なく、右に備うれば則ち左寡なし。備えざる所無ければ、則ち寡なからざる所無し。寡なき者は人に備うる者なり、衆き者は人をして己に備えしむる者なり。
-
葉隠・聞書第一覺りの士というのは、事に逢って仕(し)たるように、前方に、それぞれの仕様(しよう)を吟味し置いて、その時に出合い、仕果(しはた)す者である。不覺の士というのは、その時に至って前方に穿鑿せぬのは、不覺の士と申す。
-
『墨子』備城門城下の里中の家人、各おの葆すること亦た左右前後、城上の如くす。城小さく人衆ければ、鄉の老弱を葆離し、國中及び大城に也す。㓂至らば、必ず攻めんことを度り、主人、先ず城編を削る。唯だ燒くこと勿かれ。冦、城下に在らば、時に吏卒の署を換え、而も亦た養を換うる毋かれ。養は城に上るを得る毋かれ。宼、城下に在らば、諸盆罋を牧め、城下に耕積す。百步に一積、積は五百。城門の内、室有るを得ず。周官・桓吏を為り、四尺を倪と為す。行棧の内閈、二關一堞。城場の外を除き、池を去ること百步、墻垣樹木の小大、盡く壊し代え除去す。寇の從りて來たる所、若しくは昵道・傒近、若しくは城塲は、皆な扈樓を為る。竹箭を天中に立つ。守堂の下に大樓を為り、髙く城に臨む。堂下、周く散じ、道中、客に應ず。客、見ゆるを待つ。時に三老・左葆・官中の者を召し、與に事を計る。之を為すこと奈何と。子墨子曰く、穴士の守を問う。邪びに穴を備うる者は、城内に髙樓を為りて以て此の十四者を謹み具うれば、則ち民も亦た上を疑わず。然る後に城、守る可し。十四者、一も無くんば、則ち善き者と雖も守る能わざるなり。
人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。
古典の入門書『人生の教科書』(PDF)と、師導の全機能1か月がセットで700円。二十四の悩みに、論語・老子・孫子から徒然草・五輪書までが答えます。
本の中身を見る