春秋左氏伝 / 昭公二年 叔向、陳無宇を弁ず
七月,壬寅,縊,尸諸周氏之衢,加木焉。晉少姜卒,公如晉,及河,晉侯使士文伯來辭曰:「非伉儷也,請君無辱。」公還,季孫宿遂致服焉。叔向言陳無宇於晉侯曰:「彼何罪?君使公族逆之,齊使上大夫送之,猶曰不共。君求以貪,國則不共,而執其使;君刑已頗,何以為盟主,且少姜有辭。」冬,十月,陳無宇歸。十一月,鄭印段如晉弔。
新字:七月,壬寅,縊,尸諸周氏之衢,加木焉。晋少姜卒,公如晋,及河,晋侯使士文伯来辞曰:「非伉儷也,請君無辱。」公還,季孫宿遂致服焉。叔向言陳無宇於晋侯曰:「彼何罪?君使公族逆之,斉使上大夫送之,猶曰不共。君求以貪,国則不共,而執其使;君刑已頗,何以為盟主,且少姜有辞。」冬,十月,陳無宇帰。十一月,鄭印段如晋弔。
書き下し
七月、壬寅、縊(くび)る。諸を周氏の衢に尸(さら)し、木を焉に加ふ。晉の少姜卒す。公晉に如き、河に及ぶ。晉侯士文伯をして來りて辭せしめて曰く、「伉儷に非ざるなり。請ふ君辱くすること無かれ」と。公還る。季孫宿遂に服を致す。叔向陳無宇を晉侯に言ひて曰く、「彼何の罪かある。君は公族をして之を逆へしめ、齊は上大夫をして之を送らしむ。猶ほ共(うやうや)しからずと曰ふ。君の求むるは貪を以ってし、國則ち共しからざるに、其の使を執ふ。君の刑已に頗(かたよ)れり。何を以ってか盟主と為らん。且つ少姜辭有り」と。冬、十月、陳無宇歸る。十一月、鄭の印段晉に如きて弔す。
現代語訳
七月壬寅の日、公孫黒は首をくくって死んだ。その死体を周氏の辻にさらし、罪状を書いた木札をその上に置いた。晋の少姜が亡くなった。昭公は弔問のために晋へ向かい、黄河まで来た。晋侯は士文伯を遣わして辞退させて言った。「正式の夫人ではありません。どうか君にはお越しくださいませんように」。昭公は引き返した。季孫宿が代わりに行き、喪服を贈った。叔向が陳無宇のことを晋侯に進言して言った。「彼に何の罪がありましょうか。君は公族(の大夫)を迎えに遣わし、斉は上大夫に送らせたのです。それでもなお不敬だと言われる。君の要求は貪欲に過ぎ、わが国のほうこそ礼を欠いているのに、相手の使者を捕らえました。君の刑罰はすでに偏っています。これでどうして盟主でいられましょう。そのうえ少姜も(陳無宇のために)とりなしていたではありませんか」。冬十月、陳無宇は斉に帰された。十一月、鄭の印段が晋に行き、少姜の死を弔問した。
解説
この章句が説くこと
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