貞観政要 / 規諫太子
貞觀十三年,太子右庶子張玄素以承乾頗以游畋廢學,上書諫曰:
新字:貞観十三年,太子右庶子張玄素以承乾頗以游畋廃学,上書諫曰:
書き下し
貞観十三年、太子右庶子張玄素は、承乾の頗る游畋(ゆうでん)を以て学を廃するを以て、書を上りて諫めて曰く、
現代語訳
貞観十三年、太子右庶子の張玄素は、承乾が狩りに耽って学問をやめてしまったので、上書して諫めた。
解説
貞観十三年、太子右庶子の張玄素が、承乾が狩りに夢中になって学問をやめてしまったことを見かね、上書して諫めた場面です。張玄素は以前、太宗が洛陽の宮殿を大がかりに造営しようとした際、「これでは亡んだ隋の煬帝よりひどい」とまで言い切って工事を止めさせた人物です。皇帝に対してさえひるまなかった人が、今度は太子に対しても同じように諫言します。相手が皇帝であろうと太子であろうと、言うべきことは変わらない。ここに張玄素という人の一貫した姿勢が表れています。相手の立場や機嫌を見て、言うことを変える人はたくさんいます。しかし、目上には強く出て目下には甘くする、あるいはその逆といった態度では、本当の意味での諫言にはなりません。誰に対しても同じ基準で物を言えるかどうかが、その人が信頼に値するかどうかの分かれ目です。家庭でも近所付き合いでも、地位の上下によって態度を変えない人こそが、周りから頼りにされるのです。
この章句が説くこと
張玄素の諫言遊畋廃学相手を選ばない姿勢諫言公正
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