春秋左氏伝 / 昭公元年 后子、秦の命運を語る
秦后子有寵於桓。如二君於景。其母曰。弗去懼選。癸卯。鍼適晉。其車千乘。書曰。秦伯之弟鍼出奔晉。罪秦伯也。后子享晉侯。造舟于河。十里舍車。自雍及絳。歸取酬幣。終事八反。司馬侯問焉。曰。子之車盡於此而已乎。對曰。此之謂多矣。若能少此。吾何以得見。女叔齊以告公。且曰。秦公子必歸。臣聞君子能知其過。必有令圖。令圖。天所贊也。后子見趙孟。趙孟曰。吾子其曷歸。對曰。鍼懼選於寡君。是以在此。將待嗣君。趙孟曰。秦君何如。對曰。無道。趙孟曰。亡乎。對曰。何為。一世無道。國未艾也。國於天地。有與立焉。不數世淫。弗能斃也。趙孟曰。天乎。對曰。有焉。趙孟曰。其幾何。對曰。鍼聞之。國無道而年穀和熟。天贊之也。鮮不五稔。趙孟視蔭曰。朝夕不相及。誰能待五。后子出而告人曰。趙孟將死矣。主民。翫歲而愒日。其與幾何。
新字:秦后子有寵於桓。如二君於景。其母曰。弗去懼選。癸卯。鍼適晋。其車千乗。書曰。秦伯之弟鍼出奔晋。罪秦伯也。后子享晋侯。造舟于河。十里舎車。自雍及絳。帰取酬幣。終事八反。司馬侯問焉。曰。子之車尽於此而已乎。対曰。此之謂多矣。若能少此。吾何以得見。女叔斉以告公。且曰。秦公子必帰。臣聞君子能知其過。必有令図。令図。天所賛也。后子見趙孟。趙孟曰。吾子其曷帰。対曰。鍼懼選於寡君。是以在此。将待嗣君。趙孟曰。秦君何如。対曰。無道。趙孟曰。亡乎。対曰。何為。一世無道。国未艾也。国於天地。有与立焉。不数世淫。弗能斃也。趙孟曰。天乎。対曰。有焉。趙孟曰。其幾何。対曰。鍼聞之。国無道而年穀和熟。天賛之也。鮮不五稔。趙孟視蔭曰。朝夕不相及。誰能待五。后子出而告人曰。趙孟将死矣。主民。翫歳而愒日。其与幾何。
書き下し
秦の后子は桓に寵有り、景に於いて二君の如し。其の母曰く、「去らずんば選(せ)めらるるを懼る」と。癸卯、鍼晉に適く。其の車千乘。書して「秦伯の弟鍼晉に出奔す」と曰ふは、秦伯を罪するなり。后子晉侯を享す。舟を河に造(なら)べ、十里にして車を舍(お)き、雍より絳に及ぶ。歸りて酬幣を取り、事を終ふるまで八たび反る。司馬侯焉に問ひて曰く、「子の車は此に盡くるのみか」と。對へて曰く、「此れを之れ多しと謂ふ。若し能く此れより少なからば、吾何を以ってか見ゆるを得ん」と。女叔齊以って公に告げ、且つ曰く、「秦の公子必ず歸らん。臣聞く、君子能く其の過ちを知れば、必ず令圖有り。令圖は、天の贊(たす)くる所なり」と。后子趙孟に見ゆ。趙孟曰く、「吾子其れ曷(いつ)か歸らん」と。對へて曰く、「鍼は寡君に選めらるるを懼る、是を以って此に在り。將に嗣君を待たんとす」と。趙孟曰く、「秦君は何如」と。對へて曰く、「無道なり」と。趙孟曰く、「亡びんか」と。對へて曰く、「何為れぞ。一世無道なるも、國未だ艾(た)えざるなり。國は天地に於いて、與(とも)に立つもの有り。數世淫せずんば、斃るること能はざるなり」と。趙孟曰く、「天か」と。對へて曰く、「有り」と。趙孟曰く、「其れ幾何ぞ」と。對へて曰く、「鍼之を聞く、國無道にして年穀和熟するは、天之を贊くるなり。五稔ならざること鮮(すくな)し」と。趙孟蔭(ひかげ)を視て曰く、「朝夕相及ばず、誰か能く五を待たん」と。后子出でて人に告げて曰く、「趙孟將に死せんとす。民に主として、歲を翫(もてあそ)びて日を愒(むさぼ)る。其れ幾何ぞ」と。
現代語訳
秦の后子(鍼、秦の景公の弟)は父の桓公に寵愛され、兄の景公の代には、まるで君主が二人いるかのような勢いであった。その母が言った。「国を去らなければ、罪を数え立てられるのが恐ろしい」。癸卯の日、鍼は晋へ行った。その車は千乗であった。『春秋』が「秦伯の弟鍼、晋に出奔す」と書いているのは、(弟を追い出した)秦伯の罪を責めたのである。后子は晋侯を饗応した。黄河に舟を並べて橋とし、十里ごとに車を置いて、秦の雍から晋の絳まで連ね、引き出物を取りに帰らせること、饗応が終わるまでに八往復した。司馬侯(女叔斉)が尋ねた。「あなたの車はこれで全部ですか」。后子は答えた。「これでも多いと言われるほどです。もしこれより少なかったら、私はどうしてお目にかかることができたでしょう」。女叔斉はこれを晋侯に報告し、さらに言った。「秦の公子はきっと国に帰るでしょう。君子は自分の過ちを知ることができれば、必ずよい計画を持つと聞いています。よい計画は天が助けるものです」。后子は趙孟(趙武、晋の執政)に会った。趙孟は言った。「あなたはいつ帰国なさるのか」。答えて言った。「私は主君に罪を数え立てられるのを恐れて、ここにおります。次の君主の代を待つつもりです」。趙孟は言った。「秦君はどのような人か」。答えて言った。「無道です」。趙孟は言った。「では秦は滅びるか」。答えて言った。「どうして滅びましょう。一代が無道であっても、国はまだ尽きません。国というものは天地の間にあって、ともに支えるものがあります。数代にわたって淫乱が続かなければ、倒れることはありません」。趙孟は言った。「天命によるのか」。答えて言った。「天命もあります」。趙孟は言った。「どれほど続くか」。答えて言った。「私はこう聞いています。国が無道でも穀物がよく実るのは、天が助けているのである。五年は実らないことはまずない、と」。趙孟は日影を見て言った。「朝には夕べのことも分からぬ身だ。誰が五年を待てようか」。后子は退出して人に言った。「趙孟はまもなく死ぬだろう。民の主でありながら、歳月をもてあそび、日を惜しんで無為に過ごしている。どれほど持つだろうか」。
解説
この章句が説くこと
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孟子・梁惠王章句下魯の平公將に出でんとす。嬖人臧倉なる者請うて曰く、「他日、君出づれば、則ち必ず有司に之く所を命ず。今、輿に乘り已に駕す。有司未だ之く所を知らず。敢て請う。」公曰く、「將に孟子を見んとす。」曰く、「何ぞや。君の為す所、身を輕んじて以て匹夫に先だつとは。以て賢と為すか。禮義は賢者由り出づ。而るに孟子の後喪は前喪に踰えたり。君、見る無かれ。」公曰く、「諾。」樂正子、入り見えて曰く、「君、奚為れぞ孟軻を見ざるや。」曰く、「或ひと寡人に告げて曰く、『孟子の後喪は前喪を踰えたり。』是を以て往きて見ざるなり。」曰く、「何ぞや。君の所謂踰ゆとは。前には士を以てし、後には大夫を以てし、前には三鼎を以てし、後には五鼎を以てしたるか。」曰く、「否。棺槨衣衾の美を謂うなり。」曰く、「所謂踰ゆるには非ざるなり。貧富同じからざればなり。」樂正子、孟子に見えて曰く、「克、君に告ぐ。君、來たり見んと為す。嬖人に臧倉なる者有り、君を沮む。君是を以て來たることを果たさざるなり。」曰く、「行くも之を使しむる或り、止まるも之を尼むる或り。行止は人の能くする所に非ざるなり。吾の魯侯に遇わざるは、天なり。臧氏の子、焉ぞ能く予をして遇わしめざらんや。」
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孔子家語・五儀解哀公孔子に問いて曰く、「夫れ国家の存亡禍福は、信に天命有りて、唯だ人のみに非ざるか。」孔子対えて曰く、「存亡禍福は、皆己のみ。天災地妖は、加うる能わざるなり。」公曰く、「善いかな。吾子の言、豈に其の事有るか。」孔子曰く、「昔者殷王帝辛の世、雀の大鳥を城隅に生む有り。之を占いて曰く、『凡そ小を以て大を生ずれば、則ち国家必ず王として名必ず昌んならん』と。是に於て帝辛雀の徳を介として、国政を修めず、亢暴極まり無く、朝臣救うこと莫く、外寇乃ち至りて、殷国以て亡ぶ。此れ即ち己を以て天時に逆らい、福を詭りて反りて禍と為す者なり。又其の先世殷王太戊の時、道缺け法圮れ、以て夭櫱・桑穀朝に致し、七日にして大いに拱す。之を占う者曰く、『桑穀は野木にして朝に合生せず、意者国亡びんか』と。太戊恐駭し、身を側めて行を修め、先王の政を思い、養民の道を明らかにす。三年の後、遠方義を慕いて重訳して至る者、十有六国。此れ即ち己を以て天時に逆らい、禍を得て福と為す者なり。故に天災地妖は、人主を儆む所以の者なり。寤夢征怪は、人臣を儆む所以の者なり。災妖は善政に勝たず、寤夢は善行に勝たず。能く此を知る者は、至治の極なり。唯だ明王のみ此に達す。」公曰く、「寡人鄙固此くの如きに、亦た君子の教を聞くを得ざりしなり。」
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