春秋左氏伝 / 昭公元年 子産、子南を放つ
國之大節有五。女皆奸之。畏君之威。聽其政。尊其貴。事其長。養其親。五者所以為國也。今君在國。女用兵焉。不畏威也。奸國之紀。不聽政也。子皙上大夫。女嬖大夫。而弗下之。不尊貴也。幼而不忌。不事長也。兵其從兄。不養親也。君曰。余不女忍殺。宥女以遠。勉速行乎。無重而罪。五月。庚辰。鄭放游楚於吳。將行子南。子產咨於大叔。大叔曰。吉不能亢身。焉能亢宗。彼國政也。非私難也。子圖鄭國。利則行之。又何疑焉。周公殺管叔而蔡蔡叔。夫豈不愛。王室故也。吉若獲戾。子將行之。何有於諸游。
新字:国之大節有五。女皆奸之。畏君之威。聴其政。尊其貴。事其長。養其親。五者所以為国也。今君在国。女用兵焉。不畏威也。奸国之紀。不聴政也。子皙上大夫。女嬖大夫。而弗下之。不尊貴也。幼而不忌。不事長也。兵其従兄。不養親也。君曰。余不女忍殺。宥女以遠。勉速行乎。無重而罪。五月。庚辰。鄭放游楚於呉。将行子南。子産咨於大叔。大叔曰。吉不能亢身。焉能亢宗。彼国政也。非私難也。子図鄭国。利則行之。又何疑焉。周公殺管叔而蔡蔡叔。夫豈不愛。王室故也。吉若獲戻。子将行之。何有於諸游。
書き下し
「國の大節五有り、女(なんぢ)皆之を奸(をか)せり。君の威を畏れ、其の政を聽き、其の貴を尊び、其の長に事へ、其の親を養ふ。五つの者は國を為むる所以なり。今君國に在るに、女兵を用ゐる、威を畏れざるなり。國の紀を奸す、政を聽かざるなり。子皙は上大夫、女は嬖大夫にして、之に下らず、貴を尊ばざるなり。幼にして忌(はばか)らず、長に事へざるなり。其の從兄に兵す、親を養はざるなり。君曰く、『余女を殺すに忍びず、女を宥して以って遠ざけん。勉めて速やかに行け、而(なんぢ)の罪を重ぬること無かれ』と」。五月、庚辰、鄭游楚を吳に放つ。將に子南を行(や)らんとして、子產大叔に咨(はか)る。大叔曰く、「吉は身を亢(まも)ること能はず、焉んぞ能く宗を亢らん。彼は國の政なり、私の難に非ざるなり。子鄭國を圖り、利なれば則ち之を行へ、又何ぞ疑はん。周公は管叔を殺して蔡叔を蔡(はな)てり。夫れ豈に愛せざらんや、王室の故なり。吉若し戾(つみ)を獲ば、子將に之を行はんとす。何ぞ諸游に有らん」と。
現代語訳
(子産が游楚(子南)の罪を数え上げて言った。)「国の大きな規範は五つある。おまえはそのすべてを犯した。君主の威光を畏れること、その政令に従うこと、身分の高い者を尊ぶこと、年長者に仕えること、親族を養うこと。この五つが国を治めるよりどころである。いま君主が国都におられるのに、おまえは武器を用いた。これは威光を畏れないことである。国の綱紀を犯した。これは政令に従わないことである。子皙(公孫黒)は上大夫であり、おまえは寵を受けているだけの下位の大夫でありながら、彼にへりくだらなかった。これは貴い者を尊ばないことである。年少でありながら憚らなかった。これは年長者に仕えないことである。従兄に武器を向けた。これは親族を養わないことである。君はこう仰せである。『私はおまえを殺すに忍びない。おまえを赦して遠くへやることにする。努めて速やかに去れ。罪を重ねてはならぬ』」。五月庚辰の日、鄭は游楚を呉に追放した。子南を追放するにあたって、子産は(游氏の宗主である)大叔(游吉)に相談した。大叔は言った。「私は自分の身さえ守れないのに、どうして一族を守れましょう。これは国の政治であって、一族の私的な災難ではありません。あなたが鄭国のために考え、利があるならば実行なさい。何をためらうことがありましょう。周公は管叔を殺し、蔡叔を追放しました。どうして兄弟を愛さなかったことがありましょう。王室のためだったのです。私がもし罪を得たなら、あなたは私にも同じ処置をなさるでしょう。まして游氏の者たちに何の遠慮がありましょう」。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『春秋左氏伝』昭公二年 子産、公孫黒を裁く秋、鄭の公孫黑將に亂を作さんとし、游氏を去りて其の位に代はらんと欲す。傷疾作りて果たさず。駟氏と諸大夫と之を殺さんと欲す。子產鄙に在り、之を聞き、及ばざるを懼れ、遽(でんしゃ)に乘りて至る。吏をして之を數(せ)めしめて曰く、「伯有の亂、大國の事を以って、未だ爾を討ぜざるなり。爾亂心有りて厭くこと無し。國女に堪へず。專ら伯有を伐つ、而(なんぢ)の罪一なり。昆弟室を爭ふ、而の罪二なり。薰隧の盟に、女君位を矯む、而の罪三なり。死罪三有り、何を以ってか之に堪へん。速やかに死せずんば、大刑將に至らんとす」と。再拜稽首して辭して曰く、「死は朝夕に在り、天を助けて虐を為すこと無かれ」と。子產曰く、「人誰か死せざらん。凶人の終へざるは、命なり。凶事を作し、凶人と為る。天を助けずして、其れ凶人を助けんや」と。「請ふ印を以って褚師と為さん」と。子產曰く、「印や若し才あらば、君將に之に任ぜん。不才ならば、將に朝夕に女に從はんとす。女罪を之れ恤へずして、又何をか請はん。速やかに死せずんば、司寇將に至らんとす」と。
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史記 衛将軍驃騎列伝其の秋、匈奴代に入り、都尉朱英を殺す。其の明年春、大将軍青定襄より出づ。合騎侯敖中将軍と為り、太僕賀左将軍と為り、翕侯趙信前将軍と為り、衛尉蘇建右将軍と為り、郎中令李広後将軍と為り、右内史李沮彊弩将軍と為り、咸大将軍に属し、首を斬ること数千級にして還る。月余にして、悉く復た定襄より出でて匈奴を撃ち、首虜を斬ること万余人。右将軍建・前将軍信軍を并すること三千余騎、独り単于の兵に逢ひ、与に戦ふこと一日余、漢の兵且に尽きんとす。前将軍は故の胡人にして、降りて翕侯と為る。急なるを見て、匈奴之を誘ふ。遂に其の余騎八百可りを将ゐて、奔りて単于に降る。右将軍蘇建尽く其の軍を亡ひ、独り身を以て亡げ去るを得て、自ら大将軍に帰る。大将軍其の罪を正閎・長史安・議郎周霸等に問ふ、「建は当に云何すべき」と。霸曰く、「大将軍の出でしより、未だ嘗て裨将を斬らず。今建軍を棄つ。斬りて以て将軍の威を明らかにすべし」と。閎・安曰く、「然らず。兵法に『小敵の堅は、大敵の禽なり』と。今建は数千を以て単于の数万に当たり、力戦すること一日余、士尽くるも、敢へて二心有らず、自ら帰る。自ら帰りて之を斬るは、是れ後に反る意無からしむるを示すなり。当に斬るべからず」と。大将軍曰く、「青幸ひに肺腑を以て罪を行間に待つを得たり。威無きを患へず。而るに霸我に説くに威を明らかにするを以てするは、甚だ臣の意を失ふ。且つ臣の職をして将を斬るに当たると雖も、臣の尊寵を以てして敢へて自ら擅に誅を境外に専らにせず、而して具に天子に帰し、天子自ら之を裁かば、是に於て以て人臣為りて敢へて権を専らにせざるを見す。亦可ならずや」と。軍吏皆曰く「善し」と。遂に建を囚へて行在所に詣る。塞に入りて兵を罷む。是の歳や、大将軍の姊の子霍去病年十八、幸せられて、天子の侍中と為る。
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史記 東越列伝乃ち便宜を以て兵を案じて大農の軍に告げ、而して使ひをして王の頭を奉じて馳せて天子に報ぜしむ。詔して両将の兵を罷め、曰く、「郢等は首悪なり、独り無諸の孫繇君丑は謀に与らず」と。乃ち郎中将をして丑を立てて越繇王と為し、閩越の先の祭祀を奉ぜしむ。
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『秘本玉くしげ』上 役人も重く罰すさればたとひいささかの事にもせよ、此すぢあらば、その起るところの本を委細によくよく吟味して是非をただし、下の非あらば、その張本のともがらをおもく刑し玉ふべきは勿論の事、又上に非あらば、その非を行へる役人を重く罰し玉ふべき也。
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『塩鉄論』後刑篇大夫曰く、古の君子は、善を善しとして惡を惡む。人君は惡民を畜わず、農夫は無用の苗を畜わず。無用の苗は、苗の害なり、無用の民は、民の賊なり。一害を鉏きて眾苗成り、一惡を刑して萬民悅ぶ。周公・孔子と雖も刑を釋てて惡を用うる能わず。家に姐子有れば、器皿居らず、況んや姐民をや。民なる者は愛に敖りて刑に聽う。故に刑は民を正す所以、鉏は苗を別かつ所以なり。
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『呻吟語』外篇・治道・民を富ますは王道の首務余は每食肉味無しと雖も、而して蔬食菜羹嘗て足る。因りて嘆じて曰く、「嗟夫、天下をして皆な此の如くならしめて後に盜誅す可きなり」と。枵腹菜色なれば、盜むも亦た死し、盜まざるも亦た死す。夫れ廉を守りて死を俟つは、此れ士君子の難しとする所なり。奈何ぞ士君子の行を能くせざるを以て遂に之を誅せんや。此れ民を富ますが王道の首務為る所以なり。
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