晏子春秋 / 外篇上・景公欲誅斷所愛橚者晏於諫
景公登箐室而望,見人有斷雍門之橚者。公令吏拘之,顧謂晏子趣誅之。晏子默然不對。公曰:「雍門之橚,寡人所甚愛也。比見斷之,故令夫子誅之,默然而不應,何也?」晏子對曰:「嬰聞之,古者人君出,則辟道十里,非畏也。冕前有旒,惡多所見也;纊紘充耳,惡多所聞也;泰帶重半鈞,舄履倍重,不欲輕也。刑死之罪,日中之朝,君過之,則赦之。嬰未嘗聞為人君,而自坐其民者也。」公曰:「赦之,無使夫子復言。」
新字:景公登箐室而望,見人有断雍門之橚者。公令吏拘之,顧謂晏子趣誅之。晏子黙然不対。公曰:「雍門之橚,寡人所甚愛也。比見断之,故令夫子誅之,黙然而不応,何也?」晏子対曰:「嬰聞之,古者人君出,則辟道十里,非畏也。冕前有旒,悪多所見也;纊紘充耳,悪多所聞也;泰帯重半鈞,舄履倍重,不欲軽也。刑死之罪,日中之朝,君過之,則赦之。嬰未嘗聞為人君,而自坐其民者也。」公曰:「赦之,無使夫子復言。」
書き下し
景公箐室に登りて望み、人の雍門の橚を断つ者有るを見る。公吏をして之を拘えしめ、顧みて晏子に謂い、趣ぎ之を誅せしむ。晏子黙然として対えず。公曰く、「雍門の橚は、寡人の甚だ愛する所なり。比ろ断たるるを見る。故に夫子をして之を誅せしむ。黙然として応えざるは何ぞや」と。晏子対えて曰く、「嬰之を聞く、古の人君出ずれば、則ち道を辟くること十里なるは、畏るるに非ざるなり。冕の前に旒有るは、多く見る所を悪めばなり。纊紘の耳を充たすは、多く聞く所を悪めばなり。泰帯の重さ半鈞、舄履の倍重きは、軽きを欲せざればなり。刑死の罪も、日中の朝に、君之を過ぎれば、則ち之を赦す。嬰未だ嘗て人君と為りて、自ら其の民を坐する者を聞かざるなり」と。公曰く、「之を赦せ。夫子をして復た言わしむる無かれ」と。
現代語訳
景公は箐室に登って眺め、雍門の橚(木)を切っている者がいるのを見ました。公は役人に捕らえさせ、晏子を振り返って、急いで誅するように言いました。晏子は黙って答えませんでした。公は言いました。「雍門の橚は、私がたいへん愛している物だ。このごろ切られたのを見た。だからあなたに誅させようとしたのに、黙って答えないのは何故か」。晏子は答えました。「私はこう聞いています。昔の君主は外出するとき、十里にわたって道を空けさせましたが、それは臣民を恐れたからではありません。冕の前に玉飾りの垂れがあるのは、多くを見たくないからです。綿の玉を耳に垂れるのは、多くを聞きたくないからです。大帯が半鈞の重さで、履が倍重いのは、軽々しくしたくないからです。死刑に値する罪でも、昼の朝廷で、君がそこを通りかかれば、これを赦します。私は、君主でありながら自分の民を罪に坐らせた者を、まだ聞いたことがありません」。公は言いました。「赦せ。あなたにもう言わせることはない」。
解説
この章句が説くこと
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史記 衛将軍驃騎列伝其の秋、匈奴代に入り、都尉朱英を殺す。其の明年春、大将軍青定襄より出づ。合騎侯敖中将軍と為り、太僕賀左将軍と為り、翕侯趙信前将軍と為り、衛尉蘇建右将軍と為り、郎中令李広後将軍と為り、右内史李沮彊弩将軍と為り、咸大将軍に属し、首を斬ること数千級にして還る。月余にして、悉く復た定襄より出でて匈奴を撃ち、首虜を斬ること万余人。右将軍建・前将軍信軍を并すること三千余騎、独り単于の兵に逢ひ、与に戦ふこと一日余、漢の兵且に尽きんとす。前将軍は故の胡人にして、降りて翕侯と為る。急なるを見て、匈奴之を誘ふ。遂に其の余騎八百可りを将ゐて、奔りて単于に降る。右将軍蘇建尽く其の軍を亡ひ、独り身を以て亡げ去るを得て、自ら大将軍に帰る。大将軍其の罪を正閎・長史安・議郎周霸等に問ふ、「建は当に云何すべき」と。霸曰く、「大将軍の出でしより、未だ嘗て裨将を斬らず。今建軍を棄つ。斬りて以て将軍の威を明らかにすべし」と。閎・安曰く、「然らず。兵法に『小敵の堅は、大敵の禽なり』と。今建は数千を以て単于の数万に当たり、力戦すること一日余、士尽くるも、敢へて二心有らず、自ら帰る。自ら帰りて之を斬るは、是れ後に反る意無からしむるを示すなり。当に斬るべからず」と。大将軍曰く、「青幸ひに肺腑を以て罪を行間に待つを得たり。威無きを患へず。而るに霸我に説くに威を明らかにするを以てするは、甚だ臣の意を失ふ。且つ臣の職をして将を斬るに当たると雖も、臣の尊寵を以てして敢へて自ら擅に誅を境外に専らにせず、而して具に天子に帰し、天子自ら之を裁かば、是に於て以て人臣為りて敢へて権を専らにせざるを見す。亦可ならずや」と。軍吏皆曰く「善し」と。遂に建を囚へて行在所に詣る。塞に入りて兵を罷む。是の歳や、大将軍の姊の子霍去病年十八、幸せられて、天子の侍中と為る。
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史記 東越列伝乃ち便宜を以て兵を案じて大農の軍に告げ、而して使ひをして王の頭を奉じて馳せて天子に報ぜしむ。詔して両将の兵を罷め、曰く、「郢等は首悪なり、独り無諸の孫繇君丑は謀に与らず」と。乃ち郎中将をして丑を立てて越繇王と為し、閩越の先の祭祀を奉ぜしむ。
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『春秋左氏伝』昭公二年 子産、公孫黒を裁く秋、鄭の公孫黑將に亂を作さんとし、游氏を去りて其の位に代はらんと欲す。傷疾作りて果たさず。駟氏と諸大夫と之を殺さんと欲す。子產鄙に在り、之を聞き、及ばざるを懼れ、遽(でんしゃ)に乘りて至る。吏をして之を數(せ)めしめて曰く、「伯有の亂、大國の事を以って、未だ爾を討ぜざるなり。爾亂心有りて厭くこと無し。國女に堪へず。專ら伯有を伐つ、而(なんぢ)の罪一なり。昆弟室を爭ふ、而の罪二なり。薰隧の盟に、女君位を矯む、而の罪三なり。死罪三有り、何を以ってか之に堪へん。速やかに死せずんば、大刑將に至らんとす」と。再拜稽首して辭して曰く、「死は朝夕に在り、天を助けて虐を為すこと無かれ」と。子產曰く、「人誰か死せざらん。凶人の終へざるは、命なり。凶事を作し、凶人と為る。天を助けずして、其れ凶人を助けんや」と。「請ふ印を以って褚師と為さん」と。子產曰く、「印や若し才あらば、君將に之に任ぜん。不才ならば、將に朝夕に女に從はんとす。女罪を之れ恤へずして、又何をか請はん。速やかに死せずんば、司寇將に至らんとす」と。
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『春秋左氏伝』昭公元年 子産、子南を放つ「國の大節五有り、女(なんぢ)皆之を奸(をか)せり。君の威を畏れ、其の政を聽き、其の貴を尊び、其の長に事へ、其の親を養ふ。五つの者は國を為むる所以なり。今君國に在るに、女兵を用ゐる、威を畏れざるなり。國の紀を奸す、政を聽かざるなり。子皙は上大夫、女は嬖大夫にして、之に下らず、貴を尊ばざるなり。幼にして忌(はばか)らず、長に事へざるなり。其の從兄に兵す、親を養はざるなり。君曰く、『余女を殺すに忍びず、女を宥して以って遠ざけん。勉めて速やかに行け、而(なんぢ)の罪を重ぬること無かれ』と」。五月、庚辰、鄭游楚を吳に放つ。將に子南を行(や)らんとして、子產大叔に咨(はか)る。大叔曰く、「吉は身を亢(まも)ること能はず、焉んぞ能く宗を亢らん。彼は國の政なり、私の難に非ざるなり。子鄭國を圖り、利なれば則ち之を行へ、又何ぞ疑はん。周公は管叔を殺して蔡叔を蔡(はな)てり。夫れ豈に愛せざらんや、王室の故なり。吉若し戾(つみ)を獲ば、子將に之を行はんとす。何ぞ諸游に有らん」と。
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