史記 / 衛将軍驃騎列伝
其秋,匈奴入代,殺都尉朱英。其明年春,大將軍青出定襄,合騎侯敖為中將軍,太僕賀為左將軍,翕侯趙信為前將軍,衛尉蘇建為右將軍,郎中令李廣為後將軍,右內史李沮為彊弩將軍,咸屬大將軍,斬首數千級而還。月餘,悉復出定襄擊匈奴,斬首虜萬餘人。右將軍建、前將軍信并軍三千餘騎,獨逢單于兵,與戰一日餘,漢兵且盡。前將軍故胡人,降為翕侯,見急,匈奴誘之,遂將其餘騎可八百,奔降單于。右將軍蘇建盡亡其軍,獨以身得亡去,自歸大將軍。大將軍問其罪正閎、長史安、議郎周霸等:「建當云何?」霸曰:「自大將軍出,未嘗斬裨將。今建棄軍,可斬以明將軍之威。」閎、安曰:「不然。兵法『小敵之堅,大敵之禽也』。今建以數千當單于數萬,力戰一日餘,士盡,不敢有二心,自歸。自歸而斬之,是示後無反意也。不當斬。」大將軍曰:「青幸得以肺腑待罪行閒,不患無威,而霸說我以明威,甚失臣意。且使臣職雖當斬將,以臣之尊寵而不敢自擅專誅於境外,而具歸天子,天子自裁之,於是以見為人臣不敢專權,不亦可乎?」軍吏皆曰「善」。遂囚建詣行在所。入塞罷兵。是歲也,大將軍姊子霍去病年十八,幸,為天子侍中。
新字:其秋,匈奴入代,殺都尉朱英。其明年春,大将軍青出定襄,合騎侯敖為中将軍,太僕賀為左将軍,翕侯趙信為前将軍,衛尉蘇建為右将軍,郎中令李広為後将軍,右内史李沮為彊弩将軍,咸属大将軍,斬首数千級而還。月余,悉復出定襄撃匈奴,斬首虜万余人。右将軍建、前将軍信并軍三千余騎,独逢単于兵,与戦一日余,漢兵且尽。前将軍故胡人,降為翕侯,見急,匈奴誘之,遂将其余騎可八百,奔降単于。右将軍蘇建尽亡其軍,独以身得亡去,自帰大将軍。大将軍問其罪正閎、長史安、議郎周覇等:「建当云何?」覇曰:「自大将軍出,未嘗斬裨将。今建棄軍,可斬以明将軍之威。」閎、安曰:「不然。兵法『小敵之堅,大敵之禽也』。今建以数千当単于数万,力戦一日余,士尽,不敢有二心,自帰。自帰而斬之,是示後無反意也。不当斬。」大将軍曰:「青幸得以肺腑待罪行閒,不患無威,而覇説我以明威,甚失臣意。且使臣職雖当斬将,以臣之尊寵而不敢自擅専誅於境外,而具帰天子,天子自裁之,於是以見為人臣不敢専権,不亦可乎?」軍吏皆曰「善」。遂囚建詣行在所。入塞罷兵。是歳也,大将軍姊子霍去病年十八,幸,為天子侍中。
書き下し
其の秋、匈奴代に入り、都尉朱英を殺す。其の明年春、大将軍青定襄より出づ。合騎侯敖中将軍と為り、太僕賀左将軍と為り、翕侯趙信前将軍と為り、衛尉蘇建右将軍と為り、郎中令李広後将軍と為り、右内史李沮彊弩将軍と為り、咸大将軍に属し、首を斬ること数千級にして還る。月余にして、悉く復た定襄より出でて匈奴を撃ち、首虜を斬ること万余人。右将軍建・前将軍信軍を并すること三千余騎、独り単于の兵に逢ひ、与に戦ふこと一日余、漢の兵且に尽きんとす。前将軍は故の胡人にして、降りて翕侯と為る。急なるを見て、匈奴之を誘ふ。遂に其の余騎八百可りを将ゐて、奔りて単于に降る。右将軍蘇建尽く其の軍を亡ひ、独り身を以て亡げ去るを得て、自ら大将軍に帰る。大将軍其の罪を正閎・長史安・議郎周霸等に問ふ、「建は当に云何すべき」と。霸曰く、「大将軍の出でしより、未だ嘗て裨将を斬らず。今建軍を棄つ。斬りて以て将軍の威を明らかにすべし」と。閎・安曰く、「然らず。兵法に『小敵の堅は、大敵の禽なり』と。今建は数千を以て単于の数万に当たり、力戦すること一日余、士尽くるも、敢へて二心有らず、自ら帰る。自ら帰りて之を斬るは、是れ後に反る意無からしむるを示すなり。当に斬るべからず」と。大将軍曰く、「青幸ひに肺腑を以て罪を行間に待つを得たり。威無きを患へず。而るに霸我に説くに威を明らかにするを以てするは、甚だ臣の意を失ふ。且つ臣の職をして将を斬るに当たると雖も、臣の尊寵を以てして敢へて自ら擅に誅を境外に専らにせず、而して具に天子に帰し、天子自ら之を裁かば、是に於て以て人臣為りて敢へて権を専らにせざるを見す。亦可ならずや」と。軍吏皆曰く「善し」と。遂に建を囚へて行在所に詣る。塞に入りて兵を罷む。是の歳や、大将軍の姊の子霍去病年十八、幸せられて、天子の侍中と為る。
現代語訳
その秋、匈奴が代に侵入し、都尉の朱英を殺した。その翌年の春、大将軍衛青は定襄から出撃した。合騎侯公孫敖が中将軍、太僕公孫賀が左将軍、翕侯趙信が前将軍、衛尉蘇建が右将軍、郎中令李広が後将軍、右内史李沮が彊弩将軍となって、皆大将軍の指揮下に入り、敵の首数千を斬って帰還した。一か月余りして、全軍でまた定襄から出撃して匈奴を攻撃し、首や捕虜一万人余りを斬ったり捕らえたりした。右将軍蘇建と前将軍趙信は軍を合わせて三千騎余りとなり、単独で単于の兵に遭遇し、一日余り戦ったが、漢の兵は全滅しかけた。前将軍はもと匈奴の人で、漢に降って翕侯となっていた者であり、戦況が切迫したのを見て匈奴に誘われると、残りの騎兵約八百を率いて単于のもとに走って降伏した。右将軍蘇建はその軍をすべて失い、身一つで逃れて、自ら大将軍のもとに帰ってきた。大将軍は、軍正(軍法官)の閎、長史の安、議郎の周霸らに蘇建の罪について尋ねた。「蘇建はどう処分すべきか」。周霸は言った。「大将軍が出陣されて以来、まだ一度も副将を斬ったことがない。今、蘇建は軍を捨てた。斬って将軍の威光を明らかにすべきである」。閎と安は言った。「そうではない。兵法に『小勢の軍が頑強に戦っても、大軍の捕虜となるだけである』とある。今、蘇建は数千で単于の数万に当たり、一日余り力戦し、兵士が尽きても二心を抱かず、自ら帰ってきた。自ら帰ってきた者を斬れば、今後は皆帰ってこないようにせよと示すことになる。斬るべきではない」。大将軍は言った。「わたくし青は幸いにも天子の近親として軍中に身を置くことができている。威光がないことを心配してはいない。それなのに周霸が威光を明らかにせよと説くのは、わたしの考えとはまったく違う。それに、わたしの職権で将を斬ることができるとしても、わたしのように尊ばれ寵愛されている者が、あえて国外で勝手に誅殺を行うことはせず、詳しく天子に報告し、天子ご自身に裁いていただくことで、臣下として権力をほしいままにしない姿を示す。それもよいではないか」。軍吏たちは皆「よろしい」と言った。こうして蘇建を捕らえて天子の行在所に送った。長城の内に入って兵を解散した。この年、大将軍の姉の子の霍去病は十八歳で、天子に寵愛されて侍中となった。
解説
関連する章句
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史記 匈奴列伝其の秋、匈奴万騎入りて代郡の都尉朱英を殺し、千余人を略す。其の明年春、漢復た大将軍衛青を遣はし、六将軍、兵十余万騎を将ゐて、乃ち再び定襄より出づること数百里、匈奴を撃つ。首虜を得ること前後凡そ万九千余級。而して漢も亦両将軍を亡ひ、軍三千余騎。右将軍建は身を以て脱するを得たり。而して前将軍翕侯趙信は兵利あらず、匈奴に降る。趙信は、故の胡の小王にして、漢に降る。漢封じて翕侯と為す。前将軍を以て右将軍と軍を并せて分かれ行き、独り単于の兵に遇ふ。故に尽く没す。単于既に翕侯を得、以て自次王と為し、其の姊を用て之に妻はせ、与に漢を謀る。信単于に教へて益々北のかた幕を絶り、以て漢の兵を誘ひ罷れしめ、極に徼へて之を取らしめ、塞に近づく無からしむ。単于其の計に従ふ。其の明年、胡騎万人上谷に入り、数百人を殺す。其の明年春、漢驃騎将軍去病をして万騎を将ゐて隴西より出で、焉支山を過ぐること千余里、匈奴を撃たしめ、胡の首虜万八千余級を得、休屠王の天を祭るの金人を破り得たり。其の夏、驃騎将軍復た合騎侯と数万騎もて隴西・北地より出づること二千里、匈奴を撃つ。居延を過ぎ、祁連山を攻め、胡の首虜三万余人、裨小王以下七十余人を得たり。是の時匈奴も亦来りて代郡・鴈門に入り、数百人を殺略す。漢博望侯及び李将軍広をして右北平より出でしめ、匈奴の左賢王を撃つ。左賢王李将軍を囲む。卒四千人可り、且に尽きんとす。殺虜も亦当に過ぐ。会々博望侯の軍救ひ至り、李将軍脱するを得たり。漢の失亡数千人。合騎侯は驃騎将軍に期に後れ、及び博望侯と皆死に当たり、贖ひて庶人と為る。
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史記 衛将軍驃騎列伝而して卒す。天子之を悼み、属国の玄甲軍を発し、陳ぬること長安より茂陵に至り、冢を為りて祁連山に象る。之を諡し、武と広地とを并せて景桓侯と曰ふ。子嬗侯に代はる。嬗少く、字は子侯、上之を愛し、其の壮なるを幸ひて之を将たらしめんとす。居ること六歳、元封元年、嬗卒し、諡して哀侯と曰ふ。子無く、絶え、国除かる。驃騎将軍の死せしより後、大将軍の長子宜春侯伉法に坐して侯を失ふ。後五歳、伉の弟二人、陰安侯不疑及び発干侯登皆酎金に坐して侯を失ふ。侯を失ひて後二歳、冠軍侯の国除かる。其の後四年、大将軍青卒し、諡して烈侯と為す。子伉代はりて長平侯と為る。大将軍の単于を囲みしより後、十四年にして卒す。竟に復た匈奴を撃たざる者は、漢の馬少なく、而して方に南のかた両越を誅し、東のかた朝鮮を伐ち、羌・西南夷を撃つを以て、故を以て久しく胡を伐たず。大将軍其の平陽長公主を尚るを得たるの故を以て、長平侯伉侯に代はる。六歳にして、法に坐して侯を失ふ。左方は両大将軍及び諸裨将の名なり。最れ大将軍青、凡そ七たび出でて匈奴を撃ち、首虜を斬捕すること五万余級。一たび単于と戦ひ、河南の地を収め、遂に朔方郡を置く。再び益封せられ、凡そ万一千八百戸。三子を封じて侯と為し、侯は千三百戸。之を并せて、万五千七百戸。其の校尉裨将の大将軍に従ひて侯たる者九人。其の裨将及び校尉の已に将と為る者十四人。裨将為る者を李広と曰ふ。自ら伝有り。伝無き者を曰ふ、将軍公孫賀。賀は、義渠の人にして、其の先は胡種なり。賀の父渾邪、景帝の時平曲侯と為り、法に坐して侯を失ふ。賀は、武帝の太子為りし時の舎人なり。武帝立ちて八歳、太僕を以て軽車将軍と為り、馬邑に軍す。後四歳、軽車将軍を以て雲中より出づ。
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史記 衛将軍驃騎列伝軽車将軍を以て大将軍に従ひて功有り、封ぜられて楽安侯と為る。已に丞相と為り、法に坐して死す。将軍張次公は、河東の人なり。校尉を以て衛将軍青に従ひて功有り、封ぜられて岸頭侯と為る。其の後太后崩じ、将軍と為り、北軍に軍す。後一歳、将軍と為り、大将軍に従ふ。再び将軍と為り、法に坐して侯を失ふ。次公の父隆は、軽車の武射なり。射を善くするを以て、景帝之を幸近するなり。将軍蘇建は、杜陵の人なり。校尉を以て衛将軍青に従ひ、功有りて、平陵侯と為り、将軍を以て朔方を築く。後四歳、游撃将軍と為り、大将軍に従ひて朔方より出づ。後一歳、右将軍を以て再び大将軍に従ひて定襄より出で、翕侯を亡ひ、軍を失ひ、斬に当たり、贖ひて庶人と為る。其の後代郡の太守と為り、卒す。冢は大猶郷に在り。将軍趙信は、匈奴の相国を以て降り、翕侯と為る。武帝立ちて十七歳、前将軍と為り、単于と戦ひ、敗れて、匈奴に降る。将軍張騫は、使を以て大夏に通じ、還りて、校尉と為る。大将軍に従ひて功有り、封ぜられて博望侯と為る。後三歳、将軍と為り、右北平より出で、期を失ひ、斬に当たり、贖ひて庶人と為る。其の後使して烏孫に通じ、大行と為りて卒す。冢は漢中に在り。将軍趙食其は、祋祤の人なり。武帝立ちて二十二歳、主爵を以て右将軍と為り、大将軍に従ひて定襄より出で、迷ひて道を失ひ、斬に当たり、贖ひて庶人と為る。将軍曹襄は、平陽侯を以て後将軍と為り、大将軍に従ひて定襄より出づ。襄は、曹参の孫なり。将軍韓説は、弓高侯の庶孫なり。校尉を以て大将軍に従ひて功有り、龍頟侯と為る。酎金に坐して侯を失ふ。元鼎六年、待詔を以て横海将軍と為り、東越を撃ちて功有り、按道侯と為る。太初三年を以て游撃将軍と為り、五原の外の列城に屯す。
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史記 衛将軍驃騎列伝騎射を善くし、再び大将軍に従ふ。詔を受けて壮士を与へられ、剽姚校尉と為り、軽勇の騎八百と直ちに大軍を棄つること数百里にして利に赴き、首虜を斬捕すること当に過ぐ。是に於て天子曰く、「剽姚校尉去病、首虜を斬ること二千二十八級、及び相国・当戸、単于の大父行籍若侯産を斬り、季父羅姑比を生け捕り、再び軍に冠たり。千六百戸を以て去病を封じて冠軍侯と為す。上谷の太守郝賢四たび大将軍に従ひ、首虜を捕斬すること二千余人。千一百戸を以て賢を封じて衆利侯と為す」と。是の歳、両将軍の軍を失ひ、翕侯を亡ひ、軍功多からず。故に大将軍益封せず。右将軍建至る。天子誅せず、其の罪を赦し、贖ひて庶人と為す。
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史記 衛将軍驃騎列伝太史公曰く、蘇建余に語りて曰く、「吾嘗て大将軍の至って尊重にして、天下の賢大夫の称する毋きを責め、願はくは将軍古の名将の招選する所の賢者を観て、之を勉めよと(言へり)。大将軍謝して曰く、『魏其・武安の賓客を厚くせしより、天子常に歯を切す。彼の士大夫に親附し、賢を招き不肖を絀くるは、人主の柄なり。人臣は法を奉じ職を遵ふのみ、何ぞ士を招くに与らんや』と」と。驃騎も亦た此の意に放ふ、其の将たること此くのごとし。
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史記 衛将軍驃騎列伝渾邪王を万戸に封じ、漯陰侯と為す。其の裨王呼毒尼を封じて下摩侯と為し、鷹庇を煇渠侯と為し、禽を河綦侯と為し、大当戸銅離を常楽侯と為す。是に於て天子驃騎の功を嘉して曰く、「驃騎将軍去病師を率ゐて匈奴の西域王渾邪を攻む。王及び厥の衆萌咸相奔る。率ゐるに軍糧を以て接食し、并せて控弦万有余人を将ゐ、獟駻を誅し、首虜八千余級を獲、異国の王三十二人を降し、戦士は傷を離れず、十万の衆咸懐き集まり服す。仍りに之と労し、爰に河塞に及び、庶幾はくは患ひ無く、幸ひに既に永く綏んぜん。千七百戸を以て驃騎将軍に益封す」と。隴西・北地・上郡の戍卒の半ばを減じ、以て天下の繇を寛くす。居ること頃之、乃ち降る者を辺の五郡の故塞の外に分徙す。而して皆河南に在り、其の故俗に因りて、属国と為す。其の明年、匈奴右北平・定襄に入り、漢の千余人を殺略す。其の明年、天子諸将と議して曰く、「翕侯趙信単于の為に計を画し、常に以為へらく漢の兵は幕を度りて軽しく留まる能はずと。今大いに士卒を発せば、其の勢必ず欲する所を得ん」と。是の歳なり。春、上大将軍青・驃騎将軍去病をして各々五万騎を将ゐしめ、歩兵の転ずる者軍に踵ぐこと数十万。而して敢へて力戦して深く入るの士は皆驃騎に属す。驃騎始め為に定襄より出で、単于に当たらんとす。捕虜言ふ、単于東に在りと。乃ち更めて驃騎をして代郡より出でしめ、大将軍をして定襄より出でしむ。郎中令前将軍と為り、太僕左将軍と為り、主爵趙食其右将軍と為り、平陽侯襄後将軍と為り、皆大将軍に属す。兵即ち幕を度る。人馬凡そ五万騎、驃騎等と咸匈奴の単于を撃つ。趙信単于の為に謀りて曰く、「漢の兵既に幕を度らば、人馬罷れん。匈奴坐して虜を収むべきのみ」と。
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