塩鉄論 / 後刑篇
大夫曰:「古之君子、善善而惡惡。人君不畜惡民、農夫不畜無用之苗。無用之苗、苗之害也、無用之民、民之賊也。鉏一害而眾苗成、刑一惡而萬民悅。雖周公、孔子不能釋刑而用惡。家之有姐子、器皿不居、況姐民乎!民者敖於愛而聽刑。故刑所以正民、鉏所以別苗也。」
新字:大夫曰:「古之君子、善善而悪悪。人君不畜悪民、農夫不畜無用之苗。無用之苗、苗之害也、無用之民、民之賊也。鉏一害而衆苗成、刑一悪而万民悦。雖周公、孔子不能釈刑而用悪。家之有姐子、器皿不居、況姐民乎!民者敖於愛而聴刑。故刑所以正民、鉏所以別苗也。」
書き下し
大夫曰く、古の君子は、善を善しとして惡を惡む。人君は惡民を畜わず、農夫は無用の苗を畜わず。無用の苗は、苗の害なり、無用の民は、民の賊なり。一害を鉏きて眾苗成り、一惡を刑して萬民悅ぶ。周公・孔子と雖も刑を釋てて惡を用うる能わず。家に姐子有れば、器皿居らず、況んや姐民をや。民なる者は愛に敖りて刑に聽う。故に刑は民を正す所以、鉏は苗を別かつ所以なり。
現代語訳
大夫が言った。「昔の君子は、善を善しとし悪を憎んだ。君主は悪しき民を養わず、農夫は役に立たない苗を残さない。役に立たない苗は苗にとっての害であり、役に立たない民は民にとっての賊である。害となる一本を鋤き取れば多くの苗が実り、一人の悪を罰すれば万民が喜ぶ。周公や孔子であっても、刑を捨てて悪人を用いることはできなかった。家に驕った子がいれば器物ひとつ残らない。まして驕った民ならなおさらだ。民というものは、慈しまれれば驕り、刑があってこそ従う。だから刑は民を正すためのものであり、鋤は苗をより分けるためのものだ」
解説
この章句が説くこと
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史記 衛将軍驃騎列伝其の秋、匈奴代に入り、都尉朱英を殺す。其の明年春、大将軍青定襄より出づ。合騎侯敖中将軍と為り、太僕賀左将軍と為り、翕侯趙信前将軍と為り、衛尉蘇建右将軍と為り、郎中令李広後将軍と為り、右内史李沮彊弩将軍と為り、咸大将軍に属し、首を斬ること数千級にして還る。月余にして、悉く復た定襄より出でて匈奴を撃ち、首虜を斬ること万余人。右将軍建・前将軍信軍を并すること三千余騎、独り単于の兵に逢ひ、与に戦ふこと一日余、漢の兵且に尽きんとす。前将軍は故の胡人にして、降りて翕侯と為る。急なるを見て、匈奴之を誘ふ。遂に其の余騎八百可りを将ゐて、奔りて単于に降る。右将軍蘇建尽く其の軍を亡ひ、独り身を以て亡げ去るを得て、自ら大将軍に帰る。大将軍其の罪を正閎・長史安・議郎周霸等に問ふ、「建は当に云何すべき」と。霸曰く、「大将軍の出でしより、未だ嘗て裨将を斬らず。今建軍を棄つ。斬りて以て将軍の威を明らかにすべし」と。閎・安曰く、「然らず。兵法に『小敵の堅は、大敵の禽なり』と。今建は数千を以て単于の数万に当たり、力戦すること一日余、士尽くるも、敢へて二心有らず、自ら帰る。自ら帰りて之を斬るは、是れ後に反る意無からしむるを示すなり。当に斬るべからず」と。大将軍曰く、「青幸ひに肺腑を以て罪を行間に待つを得たり。威無きを患へず。而るに霸我に説くに威を明らかにするを以てするは、甚だ臣の意を失ふ。且つ臣の職をして将を斬るに当たると雖も、臣の尊寵を以てして敢へて自ら擅に誅を境外に専らにせず、而して具に天子に帰し、天子自ら之を裁かば、是に於て以て人臣為りて敢へて権を専らにせざるを見す。亦可ならずや」と。軍吏皆曰く「善し」と。遂に建を囚へて行在所に詣る。塞に入りて兵を罷む。是の歳や、大将軍の姊の子霍去病年十八、幸せられて、天子の侍中と為る。
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史記 東越列伝乃ち便宜を以て兵を案じて大農の軍に告げ、而して使ひをして王の頭を奉じて馳せて天子に報ぜしむ。詔して両将の兵を罷め、曰く、「郢等は首悪なり、独り無諸の孫繇君丑は謀に与らず」と。乃ち郎中将をして丑を立てて越繇王と為し、閩越の先の祭祀を奉ぜしむ。
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『春秋左氏伝』昭公二年 子産、公孫黒を裁く秋、鄭の公孫黑將に亂を作さんとし、游氏を去りて其の位に代はらんと欲す。傷疾作りて果たさず。駟氏と諸大夫と之を殺さんと欲す。子產鄙に在り、之を聞き、及ばざるを懼れ、遽(でんしゃ)に乘りて至る。吏をして之を數(せ)めしめて曰く、「伯有の亂、大國の事を以って、未だ爾を討ぜざるなり。爾亂心有りて厭くこと無し。國女に堪へず。專ら伯有を伐つ、而(なんぢ)の罪一なり。昆弟室を爭ふ、而の罪二なり。薰隧の盟に、女君位を矯む、而の罪三なり。死罪三有り、何を以ってか之に堪へん。速やかに死せずんば、大刑將に至らんとす」と。再拜稽首して辭して曰く、「死は朝夕に在り、天を助けて虐を為すこと無かれ」と。子產曰く、「人誰か死せざらん。凶人の終へざるは、命なり。凶事を作し、凶人と為る。天を助けずして、其れ凶人を助けんや」と。「請ふ印を以って褚師と為さん」と。子產曰く、「印や若し才あらば、君將に之に任ぜん。不才ならば、將に朝夕に女に從はんとす。女罪を之れ恤へずして、又何をか請はん。速やかに死せずんば、司寇將に至らんとす」と。
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