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春秋左氏伝 / 襄公三十年 孰か子産を殺さん

子產是以惡其為人也。使次己位。子產使都鄙有章。上下有服。田有封洫。廬井有伍。大人之忠儉者。從而與之。泰侈者因而斃之。豐卷將祭。請田焉。弗許。曰。唯君用鮮。眾給而已。子張怒。退而徵役。子產奔晉。子皮止之。而逐豐卷。豐卷奔晉。子產請其田里。三年而復之。反其田里。及其入焉。從政一年。輿人誦之曰。取我衣冠而褚之。取我田疇而伍之。孰殺子產。吾其與之。及三年。又誦之曰。我有子弟。子產誨之。我有田疇。子產殖之。子產而死。誰其嗣之。

新字:子産是以悪其為人也。使次己位。子産使都鄙有章。上下有服。田有封洫。廬井有伍。大人之忠倹者。従而与之。泰侈者因而斃之。豊巻将祭。請田焉。弗許。曰。唯君用鮮。衆給而已。子張怒。退而徴役。子産奔晋。子皮止之。而逐豊巻。豊巻奔晋。子産請其田里。三年而復之。反其田里。及其入焉。従政一年。輿人誦之曰。取我衣冠而褚之。取我田疇而伍之。孰殺子産。吾其与之。及三年。又誦之曰。我有子弟。子産誨之。我有田疇。子産殖之。子産而死。誰其嗣之。

書き下し

子產是を以て其の人と為りを惡む。己の位に次がしむ。子產都鄙をして章有らしめ、上下をして服有らしめ、田に封洫有り、廬井に伍有り。大人の忠儉なる者は、從ひて之に與し、泰侈なる者は、因りて之を斃す。豐卷將に祭らんとして、田せんことを請ふ。許さず。曰く、「唯だ君のみ鮮を用ふ。眾は給するのみ」と。子張怒り、退きて役を徵す。子產晉に奔らんとす。子皮之を止めて豐卷を逐ふ。豐卷晉に奔る。子產其の田里を請ひ、三年にして之を復し、其の田里と其の入とを反す。政に從ふこと一年、輿人之を誦して曰く、「我が衣冠を取りて之を褚へ、我が田疇を取りて之を伍す。孰か子產を殺さん、吾其れ之に與せん」と。三年に及びて、又之を誦して曰く、「我に子弟有り、子產之を誨ふ。我に田疇有り、子產之を殖す。子產にして死せば、誰か其れ之を嗣がん」と。

現代語訳

子産はこのことから伯石の人柄を嫌ったが、それでも自分に次ぐ地位に置いた。子産は、都と地方にそれぞれの規則を設け、身分の上下に応じた服制を定め、田地には境界の盛り土と用水路を設け、農家は五戸ごとに組にまとめた。大夫のうち忠実で倹約な者は、その意に従って引き立て、奢り高ぶる者は、その過ちに乗じて失脚させた。豊巻(子張)が祭祀を行おうとして、供物にするための狩猟を願い出たが、子産は許さず、「新鮮な獲物を供えるのは君主だけである。ほかの者は手元にあるもので足りる」と言った。子張は怒り、退出して兵を徴発した(子産を攻めようとした)。子産は晋に逃れようとしたが、子皮がこれを引き止め、豊巻を追放した。豊巻は晋に亡命した。子産は豊巻の田地と屋敷を没収しないよう願い、三年後に豊巻を呼び戻して、その田地と屋敷、そしてそこからの収入を返した。子産が政治に携わって一年たつと、人々はこう歌った。「わしらの衣服や冠は取り上げてしまい込まれ、田畑は取り上げて組に分けられた。子産を殺す者がいれば、わしらも加わるぞ」。三年たつと、また歌った。「わしらの子弟は子産が教えてくれた。わしらの田畑は子産が実らせてくれた。子産が死んだら、誰がその後を継いでくれようか」。

解説

子産の改革とその評価の変化を描いた有名な一段である。子産は都と地方の制度を整え、身分に応じた服制を定め、田地に境界と水路を設け、農家を五戸の組にまとめた。忠実で倹約な大夫は引き立て、奢る者は失脚させる。豊巻が私的な狩りを願うと礼に反するとして許さず、豊巻が兵を集めると子皮の後ろ盾で追放したが、三年後には呼び戻して財産を返した。厳しさと寛大さの配分がよく計算されている。読みどころは輿人(民衆)の歌である。一年目は「孰か子産を殺さん、吾其れ之に与せん」と恨まれ、三年目には「子産にして死せば、誰か其れ之を嗣がん」と慕われる。改革は始めのうち負担ばかりが目に見え、成果は時間をおいて現れる。評価が逆転するまで方針を保てたのは、子皮が後ろで支え続けたからでもある。改革への初期の反発をどう受け止め、何年の単位で成果を測るかを考えさせる話である。

この章句が説くこと

改革制度設計寛厳世論長期的視点

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