三略 / 中略
故聖王御世,觀盛衰,度得失,而為之制。故諸侯二師,方伯三師,天子六師。世亂則叛逆生,王澤竭則盟誓相誅伐。
新字:故聖王御世,観盛衰,度得失,而為之制。故諸侯二師,方伯三師,天子六師。世乱則叛逆生,王沢竭則盟誓相誅伐。
書き下し
故に聖王の世を御するや、盛衰を観、得失を度りて、之が制を為す。故に諸侯は二師、方伯は三師、天子は六師なり。世乱るれば則ち叛逆生じ、王沢竭くれば則ち盟誓相ひ誅伐す。
現代語訳
だから聖王が世を治めるにあたっては、盛衰の動きを観察し、得失を測ったうえで制度を定めた。それゆえ諸侯は二軍、方伯は三軍、天子は六軍というように軍の規模が定められた。世が乱れれば反逆が生じ、王の恵沢が尽きれば、誓いを交わした者どうしが互いに攻め合うようになる。
解説
制度は思いつきで作るものではなく、時代の盛衰と利害得失をよく見極めたうえで定めるものだ、という一段です。ここで挙げられる軍の規模の序列は、身分に応じて持てる力の上限を定めた仕組みであり、力の突出を防いで秩序を保つための設計でした。しかし後段は、その制度も万能ではないと告げます。世が乱れれば反逆が起こり、上に立つ者の恵みが尽きれば、かつて誓い合った同盟すら互いを攻める関係に変わる。制度は秩序を支えますが、支える中身が失われれば制度だけでは持ちません。経営に引きつければ、規程や権限表を整えることは大切ですが、それだけで組織は保てないということです。制度が機能するのは、それを支える信頼と、実際に人々に届く恩恵があるときだけ。ルールを増やす前に、いま自社の恵沢が現場まで届いているかを確かめる必要があります。
この章句が説くこと
制度設計盛衰の観察秩序の維持王沢
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