春秋左氏伝 / 襄公三十年 澶淵の会と信
冬。十月。叔孫豹會晉趙武。齊公孫蠆。宋向戌。衛北宮佗。鄭罕虎。及小邾之大夫。會于澶淵。既而無歸於宋。故不書其人。君子曰。信其不可不慎乎。澶淵之會。卿不書。不信也夫。諸侯之上卿。會而不信。寵名皆棄。不信之不可也如是。詩曰。文王陟降。在帝左右。信之謂也。又曰。淑慎爾止。無載爾偽。不信之謂也。書曰。某人某人會于澶淵。宋災故。尤之也。不書魯大夫。諱之也。鄭子皮授子產政。辭曰。國小而偪。族大寵多。不可為也。子皮曰。虎帥以聽。
新字:冬。十月。叔孫豹会晋趙武。斉公孫蠆。宋向戌。衛北宮佗。鄭罕虎。及小邾之大夫。会于澶淵。既而無帰於宋。故不書其人。君子曰。信其不可不慎乎。澶淵之会。卿不書。不信也夫。諸侯之上卿。会而不信。寵名皆棄。不信之不可也如是。詩曰。文王陟降。在帝左右。信之謂也。又曰。淑慎爾止。無載爾偽。不信之謂也。書曰。某人某人会于澶淵。宋災故。尤之也。不書魯大夫。諱之也。鄭子皮授子産政。辞曰。国小而偪。族大寵多。不可為也。子皮曰。虎帥以聴。
書き下し
冬、十月、叔孫豹、晉の趙武・齊の公孫蠆・宋の向戌・衛の北宮佗・鄭の罕虎、及び小邾の大夫に會し、澶淵に會す。既にして宋に歸すこと無し。故に其の人を書せず。君子曰く、「信は其れ慎まざるべからざるか。澶淵の會に、卿を書せざるは、不信なればなり。諸侯の上卿、會して信ならず、寵名皆棄つ。不信の不可なるや是くの如し。詩に曰く、『文王陟降し、帝の左右に在り』と。信の謂なり。又曰く、『淑く爾の止を慎め、爾の偽を載すること無かれ』と。不信の謂なり」と。書して「某人某人澶淵に會す、宋の災の故なり」と曰ふは、之を尤むるなり。魯の大夫を書せざるは、之を諱むなり。鄭の子皮子產に政を授く。辭して曰く、「國小にして偪り、族大にして寵多し。為むべからざるなり」と。子皮曰く、「虎帥ゐて以て聽かん。
現代語訳
冬十月、魯の叔孫豹は、晋の趙武、斉の公孫蠆、宋の向戌、衛の北宮佗、鄭の罕虎、および小邾の大夫と会し、澶淵で会合した。しかし結局、宋に財物を届けることはなかった。そのため『春秋』は参加者の名を記さなかった。君子は言った。「信義は慎まなければならないものだ。澶淵の会で卿の名を記さなかったのは、信義を守らなかったからである。諸侯の上卿たちが会合して約束を守らなければ、その地位も名誉もすべて捨てることになる。不信がいけないことはこのとおりである。『詩』に『文王は天に昇り降りして、上帝の左右にある』とあるのは、信義を守った者のことを言うのである。また『よくおまえの振る舞いを慎め、偽りを重ねるな』とあるのは、不信を戒めたものである」。『春秋』が「某人・某人が澶淵で会した。宋の火災のためである」と書いたのは、約束を果たさなかったことを咎めたのである。魯の大夫の名を書かなかったのは、自国の恥をはばかって隠したのである。鄭の子皮(罕虎)は子産に政権を授けようとした。子産は辞退して言った。「国は小さいうえに大国に迫られ、一族は大きく、寵を受けている者が多いので、治めることはできません」。子皮は言った。「私、虎が一族を率いてあなたの命に従います。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
-
『韓非子』難一第三十六身死して蟲流れ戸を出でて葬られざるは、是れ臣重ければなり。臣重きの実は、主を擅にするなり。主を擅にするの臣有らば、則ち君令下に究まらず、臣情上に通ぜず。
-
『韓非子』難二第三十七桓公曰く、「吾聞く、人に君たる者は人を索むるに労し、人を使うに佚すと。吾仲父を得ること已に難し。仲父を得るの後、何為れぞ易からざらんや。」
-
老子・第29章将に天下を取りて之を為さんと欲するも、吾れ其の已むを得ざるを見る。天下は神器なり、為すべからざるなり、執るべからざるなり。為す者は之を敗り、執る者は之を失う。故に物は或いは行き或いは随い、或いは歔き或いは吹き、或いは強く或いは羸く、或いは挫け或いは隳る。是を以て聖人は甚を去り、奢を去り、泰を去る。
-
『韓非子』外儲説右下第三十五一。賞罰共にすれば則ち禁令行はれず。何を以て之を明らかにする。之を明らかにするに造父・於期を以てす。
-
『韓非子』備內第十七人主の患は人を信ずるに在り。人を信ずれば則ち人に制せらる。
-
『韓非子』八説第四十七明主の國には、貴臣有りて、重臣無し。貴臣なる者は、爵尊くして官大なるなり。重臣なる者は、言聽かれて力多き者なり。
人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。
古典の入門書『人生の教科書』(PDF)と、師導の全機能1か月がセットで700円。二十四の悩みに、論語・老子・孫子から徒然草・五輪書までが答えます。
本の中身を見る