韓非子 / 八説第四十七
明主之國,有貴臣,無重臣。貴臣者,爵尊而官大也;重臣者,言聽而力多者也。
新字:明主之国,有貴臣,無重臣。貴臣者,爵尊而官大也;重臣者,言聴而力多者也。
書き下し
明主の國には、貴臣有りて、重臣無し。貴臣なる者は、爵尊くして官大なるなり。重臣なる者は、言聽かれて力多き者なり。
現代語訳
明主の国には、貴い臣下はいるが、重い臣下はいない。貴い臣下とは、爵位が高く官職が大きい者のことである。重い臣下とは、進言がいつも聞き入れられ、実力を多く持つ者のことである。
解説
八説篇の結びで、臣下を「貴臣」と「重臣」に分けて区別する一段です。貴臣は爵位や官職が高いだけで、その地位は君主が功績に応じて与えたものです。重臣は君主が言うことを何でも聞き入れ、実質的な力を握ってしまった者で、君主の権力を脅かします。地位の高さと実権の大きさは別物で、前者は認めてよいが後者を生んではならない、というのが韓非の区別です。今の組織でも、役職が高い人がいることは問題ではありませんが、特定の人の意見が常に通り、誰も逆らえない状態になれば、それは組織にとって危うい重臣の出現と言えます。
この章句が説くこと
権限委譲貴臣権力重臣属人化の排除権限
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