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春秋左氏伝 / 襄公二十九年 高止の放逐

秋九月。齊公孫蠆。公孫灶。放其大夫高止於北燕。乙未出。書曰出奔。罪高止也。高止好以事自為功。且專。故難及之。冬。孟孝伯如晉。報范叔也。為高氏之難故。高豎以盧叛。十月。庚寅。閭丘嬰帥師圍盧。高豎曰。苟請高氏有後。請致邑。齊人立敬仲之曾孫酀。良敬仲也。十一月。乙卯。高豎致盧而出奔晉。晉人城綿而寘旃。鄭伯有使公孫黑如楚。辭曰。楚鄭方惡而使余往。是殺余也。伯有曰。世行也。子皙曰。可則往。難則已。何世之有。伯有將強使之。子皙怒。將伐伯有氏。大夫和之。

新字:秋九月。斉公孫蠆。公孫灶。放其大夫高止於北燕。乙未出。書曰出奔。罪高止也。高止好以事自為功。且専。故難及之。冬。孟孝伯如晋。報范叔也。為高氏之難故。高豎以盧叛。十月。庚寅。閭丘嬰帥師囲盧。高豎曰。苟請高氏有後。請致邑。斉人立敬仲之曽孫酀。良敬仲也。十一月。乙卯。高豎致盧而出奔晋。晋人城綿而寘旃。鄭伯有使公孫黒如楚。辞曰。楚鄭方悪而使余往。是殺余也。伯有曰。世行也。子皙曰。可則往。難則已。何世之有。伯有将強使之。子皙怒。将伐伯有氏。大夫和之。

書き下し

秋九月、齊の公孫蠆・公孫灶、其の大夫高止を北燕に放つ。乙未、出づ。書して出奔と曰ふは、高止を罪するなり。高止は好んで事を以て自ら功と為し、且つ專なり。故に難之に及ぶ。冬、孟孝伯、晉に如く。范叔に報ゆるなり。高氏の難の為の故に、高豎、盧を以て叛く。十月庚寅、閭丘嬰、師を帥ゐて盧を圍む。高豎曰く、「苟も高氏をして後有らしめば、請ふ邑を致さん」と。齊人、敬仲の曾孫酀(えん)を立つ。敬仲を良とするなり。十一月乙卯、高豎、盧を致して晉に出奔す。晉人、綿に城きて旃(これ)を寘く。鄭の伯有、公孫黑をして楚に如かしむ。辭して曰く、「楚・鄭方に惡し。而るに余をして往かしむ、是れ余を殺すなり」と。伯有曰く、「世々の行なり」と。子皙曰く、「可なれば則ち往き、難ければ則ち已む。何の世か之れ有らん」と。伯有將に強ひて之を使はさんとす。子皙怒り、將に伯有氏を伐たんとす。大夫之を和す。

現代語訳

秋九月、斉の公孫蠆(子尾)と公孫竈(子雅)は、大夫の高止(高子容)を北燕に追放した。乙未の日、高止は国を出た。『春秋』が「出奔」と記したのは、高止に罪があるとしたのである。高止は事あるごとにそれを自分の手柄とし、そのうえ独断専行した。そのため禍が彼に及んだのである。冬、孟孝伯が晋に行った。范叔(范献子)の聘問に答礼するためである。高氏の難があったため、高止の子の高豎は盧の邑に拠って背いた。十月庚寅の日、閭丘嬰が軍を率いて盧を包囲した。高豎は言った。「もし高氏に跡継ぎを立てていただけるなら、邑をお返しします」。斉の人々は敬仲(高傒、高氏の祖)の曾孫の酀を立てて高氏を継がせた。敬仲の功績をよしとしたのである。十一月乙卯の日、高豎は盧を返上して晋に亡命した。晋の人々は綿に城を築いて彼をそこに置いた。鄭の伯有は公孫黒(字は子皙)を楚へ使いに行かせようとした。子皙は辞退して言った。「楚と鄭は今まさに仲が悪い。それなのに私を行かせるのは、私を殺すことだ」。伯有は言った。「そちらの家が代々務めてきた役目だ」。子皙は言った。「行けるときは行き、難しいときはやめる。代々も何もあるものか」。伯有は無理にでも行かせようとした。子皙は怒って、伯有の家を攻めようとした。大夫たちが二人を和解させた。

解説

前半は斉の高止の追放である。先に晋の女斉が「專なれば速やかに及ぶ」と予言したとおり、事あるごとに手柄を独占し独断した高止は、子尾・子雅によって北燕へ追われた。子の高豎は盧邑に拠って抵抗したが、高氏の祭祀の存続を条件に邑を明け渡した。斉が高氏の祖敬仲の功をたたえて別の子孫を立てたのは、個人を罰しても名家の祀りは絶やさないという当時の処分の作法である。後半は鄭の伯有と子皙の衝突で、関係の悪化した楚へ行けと命じられた子皙は「私を殺す気か」と拒み、伯有は「家の代々の務めだ」と押しつけた。子皙の「可なれば往き、難ければやむ」は、慣例より状況を優先せよという反論である。大夫たちが仲裁したが、この対立がやがて伯有の滅亡につながる。前例を理由に危険な任務を押しつけることが、どれほどの反発を生むかを示している。

この章句が説くこと

専断追放前例対立家名

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