春秋左氏伝 / 襄公二十九年 君子屢盟えば乱長ず
十二月。己巳。鄭大夫盟於伯有氏。裨諶曰。是盟也。其與幾何。詩曰。君子屢盟。亂是用長。今是長。亂之道也。禍未歇也。必三年而後能紓然明曰。政將焉往。裨諶曰。善之代不善。天命也。其焉辟。子產舉不踰等。則位班也。擇善而舉。則世隆也。天又除之。奪伯有魄。子西即世。將焉辟之。天禍鄭久矣。其必使子產息之。乃猶可以戾。不然。將亡矣。
新字:十二月。己巳。鄭大夫盟於伯有氏。裨諶曰。是盟也。其与幾何。詩曰。君子屡盟。乱是用長。今是長。乱之道也。禍未歇也。必三年而後能紓然明曰。政将焉往。裨諶曰。善之代不善。天命也。其焉辟。子産舉不踰等。則位班也。択善而舉。則世隆也。天又除之。奪伯有魄。子西即世。将焉辟之。天禍鄭久矣。其必使子産息之。乃猶可以戻。不然。将亡矣。
書き下し
十二月己巳、鄭の大夫、伯有氏に盟ふ。裨諶曰く、「是の盟や、其れ幾何(いくばく)に與(あづか)らん。詩に曰く、『君子屢々盟ひ、亂是を用て長ず』と。今是れ長ず、亂の道なり。禍未だ歇まざるなり。必ず三年にして而る後に能く紓びん」と。然明曰く、「政將に焉くにか往かん」と。裨諶曰く、「善の不善に代はるは、天命なり。其れ焉んぞ辟けん。子產は、舉ぐるに等を踰えず、則ち位班なり。善を擇びて舉ぐ、則ち世隆し。天又之を除く、伯有の魄を奪ひ、子西世に即く。將た焉んぞ之を辟けん。天の鄭に禍すること久し。其れ必ず子產をして之を息めしめん。乃ち猶ほ以て戾(さだ)まるべし。然らずんば、將に亡びんとす」と。
現代語訳
十二月己巳の日、鄭の大夫たちは伯有の家で盟約を結んだ。裨諶は言った。「この盟約はどれほど長く保たれようか。『詩経』に『君子がしばしば盟を結ぶと、乱はそれによってかえって大きくなる』とある。今のこれは乱を大きくしているのであり、乱へ向かう道だ。禍はまだやまない。必ず三年たってから、ようやくほどけるだろう」。然明(鬷蔑)は言った。「政権はどこへ行くのだろうか」。裨諶は言った。「善が不善に取って代わるのは天命である。どうして避けられよう。子産は、順位を飛び越えて昇ったことがない。これは位の序列から見て順当である。善い人物を選んで推挙されている。これは世評が高いということだ。そのうえ天がその障害を取り除いている。伯有の魂を奪い(正気を失わせ)、子西はすでに世を去った。どうして政権が子産を避けられよう。天が鄭に禍を下して久しい。必ず子産にそれを鎮めさせるだろう。そうすれば、まだ国は安定できる。そうでなければ滅びるだろう」。
解説
この章句が説くこと
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史記 暦書昔古に在りしより、暦は正を建てて孟春に作る。時に於いて冰泮け蟄発し、百草奮ひ興り、秭鳺先づ滜く。物廼ち歳に具はり、東に生じ、次いで四時に順ひ、冬分に卒はる、時に雞三たび号びて、卒に明く。十二節を撫して、丑に卒はる。日月成る、故に明らかなり。明とは孟なり、幽とは幼なり、幽明とは雌雄なり。雌雄代々興りて、至正の統に順ふなり。日は西に帰し、明を東に起こす。月は東に帰し、明を西に起こす。正、天に率はず、又人に由らざれば、則ち凡そ事壊れ易くして成り難し。王者は姓を易へ命を受くれば、必ず始初を慎み、正朔を改め、服色を易へ、天元に推し本づき、厥の意に順承す。太史公曰く、神農以前は尚し。蓋し黄帝は星暦を考定し、五行を建立し、消息を起こし、閏余を正す、是に於いて天地神祇物類の官有り、是を五官と謂ふ。各々其の序を司り、相乱れざるなり。民是を以て能く信有り、神是を以て能く明徳有り。民神業を異にし、敬して瀆さず、故に神之に嘉生を降し、民物を以て享し、災禍生ぜず、求むる所匱しからず。少暤氏の衰ふるや、九黎徳を乱し、民神雑擾し、物を放ふべからず、禍菑薦りに至り、其の気を尽くす莫し。顓頊之を受け、乃ち南正重に命じて天を司りて以て神を属めしめ、火正黎に命じて地を司りて以て民を属めしめ、旧常に復して、相侵瀆すること無からしむ。其の後三苗九黎の徳に服す、故に二官咸職とする所を廃し、而して閏余次を乖き、孟陬殄滅し、摂提紀無く、暦数序を失ふ。堯復た重・黎の後の、旧を忘れざる者を遂げ、復た之を典らしめ、而して羲和の官を立つ。時を明らかにし度を正せば、則ち陰陽調ひ、風雨節あり、茂気至り、民夭疫無し。年耆いて舜に禅り、文祖に申戒して云ふ「天の暦数爾の躬に在り」と。舜も亦以て禹に命ず。是に由りて之を観れば、王者の重んずる所なり。
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孔子家語・五儀解哀公孔子に問いて曰く、「夫れ国家の存亡禍福は、信に天命有りて、唯だ人のみに非ざるか。」孔子対えて曰く、「存亡禍福は、皆己のみ。天災地妖は、加うる能わざるなり。」公曰く、「善いかな。吾子の言、豈に其の事有るか。」孔子曰く、「昔者殷王帝辛の世、雀の大鳥を城隅に生む有り。之を占いて曰く、『凡そ小を以て大を生ずれば、則ち国家必ず王として名必ず昌んならん』と。是に於て帝辛雀の徳を介として、国政を修めず、亢暴極まり無く、朝臣救うこと莫く、外寇乃ち至りて、殷国以て亡ぶ。此れ即ち己を以て天時に逆らい、福を詭りて反りて禍と為す者なり。又其の先世殷王太戊の時、道缺け法圮れ、以て夭櫱・桑穀朝に致し、七日にして大いに拱す。之を占う者曰く、『桑穀は野木にして朝に合生せず、意者国亡びんか』と。太戊恐駭し、身を側めて行を修め、先王の政を思い、養民の道を明らかにす。三年の後、遠方義を慕いて重訳して至る者、十有六国。此れ即ち己を以て天時に逆らい、禍を得て福と為す者なり。故に天災地妖は、人主を儆む所以の者なり。寤夢征怪は、人臣を儆む所以の者なり。災妖は善政に勝たず、寤夢は善行に勝たず。能く此を知る者は、至治の極なり。唯だ明王のみ此に達す。」公曰く、「寡人鄙固此くの如きに、亦た君子の教を聞くを得ざりしなり。」
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論語・堯曰篇堯曰く、「咨、爾舜、天の暦数爾の躬に在り。允に其の中を執れ。四海困窮せば、天禄永く終わらん。」舜も亦た以て禹に命ず。曰く、「予小子履、敢えて玄牡を用い、敢えて昭らかに皇皇たる后帝に告ぐ。罪有るは敢えて赦さず。帝の臣は蔽わず、簡ぶこと帝の心に在り。朕が躬罪有らば、万方を以てすること無かれ。万方罪有らば、罪は朕が躬に在り。」「周に大賚有り、善人是れ富む。」「周親有りと雖も、仁人に如かず。百姓過ち有らば、予一人に在り。」権量を謹み、法度を審らかにし、廃官を脩むれば、四方の政行われん。滅国を興し、絶世を継ぎ、逸民を挙ぐれば、天下の民心を帰せん。重んずる所は、民・食・喪・祭。寛なれば則ち衆を得、信なれば則ち民任じ、敏なれば則ち功有り、公なれば則ち説ぶ。
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孟子・梁惠王章句下魯の平公將に出でんとす。嬖人臧倉なる者請うて曰く、「他日、君出づれば、則ち必ず有司に之く所を命ず。今、輿に乘り已に駕す。有司未だ之く所を知らず。敢て請う。」公曰く、「將に孟子を見んとす。」曰く、「何ぞや。君の為す所、身を輕んじて以て匹夫に先だつとは。以て賢と為すか。禮義は賢者由り出づ。而るに孟子の後喪は前喪に踰えたり。君、見る無かれ。」公曰く、「諾。」樂正子、入り見えて曰く、「君、奚為れぞ孟軻を見ざるや。」曰く、「或ひと寡人に告げて曰く、『孟子の後喪は前喪を踰えたり。』是を以て往きて見ざるなり。」曰く、「何ぞや。君の所謂踰ゆとは。前には士を以てし、後には大夫を以てし、前には三鼎を以てし、後には五鼎を以てしたるか。」曰く、「否。棺槨衣衾の美を謂うなり。」曰く、「所謂踰ゆるには非ざるなり。貧富同じからざればなり。」樂正子、孟子に見えて曰く、「克、君に告ぐ。君、來たり見んと為す。嬖人に臧倉なる者有り、君を沮む。君是を以て來たることを果たさざるなり。」曰く、「行くも之を使しむる或り、止まるも之を尼むる或り。行止は人の能くする所に非ざるなり。吾の魯侯に遇わざるは、天なり。臧氏の子、焉ぞ能く予をして遇わしめざらんや。」
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