春秋左氏伝 / 襄公二十八年 慶氏打倒の謀議
御者知之。則去其肉。而以其洎饋。子雅。子尾。怒。慶封告盧蒲嫳。盧蒲嫳曰。譬之如禽獸。吾寢處之矣。使析歸父告晏平仲。平仲曰。嬰之眾不足用也。知無能謀也。言弗敢出。有盟可也。子家曰。子之言云。又焉用盟。告北郭子車。子車曰。人各有以事君。非佐之所能也。陳文子謂桓子曰。禍將作矣。吾其何得。對曰。得慶氏之木百車於莊。文子曰。可慎守也已。盧蒲癸。王何。卜。攻慶氏。示子之兆。曰。或卜攻讎。敢獻其兆。子之曰。克。見血。
新字:御者知之。則去其肉。而以其洎饋。子雅。子尾。怒。慶封告盧蒲嫳。盧蒲嫳曰。譬之如禽獣。吾寝処之矣。使析帰父告晏平仲。平仲曰。嬰之衆不足用也。知無能謀也。言弗敢出。有盟可也。子家曰。子之言云。又焉用盟。告北郭子車。子車曰。人各有以事君。非佐之所能也。陳文子謂桓子曰。禍将作矣。吾其何得。対曰。得慶氏之木百車於荘。文子曰。可慎守也已。盧蒲癸。王何。卜。攻慶氏。示子之兆。曰。或卜攻讎。敢献其兆。子之曰。克。見血。
書き下し
御者之を知り、則ち其の肉を去りて、其の洎(しる)を以て饋る。子雅・子尾怒る。慶封、盧蒲嫳に告ぐ。盧蒲嫳曰く、「之を禽獸に譬ふれば、吾其の皮に寢處せん」と。析歸父をして晏平仲に告げしむ。平仲曰く、「嬰の衆は用ゐるに足らず、知は能く謀る無し。言は敢へて出ださず。盟有るも可なり」と。子家曰く、「子の言云へり、又焉んぞ盟を用ゐん」と。北郭子車に告ぐ。子車曰く、「人各々以て君に事ふる有り、佐の能くする所に非ざるなり」と。陳文子、桓子に謂ひて曰く、「禍將に作らんとす。吾其れ何をか得ん」と。對へて曰く、「慶氏の木百車を莊に得ん」と。文子曰く、「慎みて守るべきのみ」と。盧蒲癸・王何、慶氏を攻めんことを卜し、子之に兆を示して曰く、「或ひと讎を攻めんことを卜す。敢へて其の兆を獻ず」と。子之曰く、「克たん。血を見ん」と。
現代語訳
膳を運ぶ者はそれに気づくと、肉を取り除き、煮汁だけを出した。子雅(公孫竈)と子尾(公孫蠆)はこれに怒った。慶封はそのことを盧蒲嫳に告げた。盧蒲嫳は言った。「あの連中を禽獣にたとえるなら、私はそれを殺してその皮を敷いて寝てやります」。子雅・子尾の側は析帰父(字は子家)を遣わして、晏平仲(晏嬰)に計画を告げさせた。晏平仲は言った。「私の手勢は役に立つほどではなく、私の知恵では謀をめぐらすこともできません。ただ、この話を決して外に漏らしはしません。誓約を交わしてもよい」。子家は言った。「あなたがそうおっしゃったのです。どうして誓約など要りましょう」。次に北郭子車に告げた。子車は言った。「人にはそれぞれ主君に仕えるやり方があります。これは私、佐にできることではありません」。陳文子(陳須無)は子の桓子(陳無宇)に言った。「禍が起ころうとしている。われわれは何を得られるだろうか」。桓子は答えた。「慶氏の材木百車分を、荘の大通りで手に入れられるでしょう」。文子は言った。「慎んで守ることだ」。盧蒲癸と王何は慶氏を攻めることについて亀卜を行い、その卜兆を子之(慶舎)に見せて言った。「ある人が仇を攻めることを占いました。あえてその兆をお見せします」。子之は言った。「勝つ。血を見るであろう」。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
-
孫子・始計篇此れ兵家の勝なり。先づ伝うべからざるなり。
-
『呻吟語』内篇・修身・枕席の言は四海に通ず枕席の言、房闥の行は、四海に通ず。牆卑く室淺き者は論ずる無く、即ち宮禁の深嚴なるも、言ひて知られず、動きて聞かれざる者有る無し。士君子名節を愛せずんば則ち已む。如し一毫も自ら好むの心有らば、幽獨盲動慎まざる可けんや。
-
『韓非子』亡徵第十五漏泄して蔵すること無く、周密なること能はずして群臣の語を通ずる者は、亡ぶべきなり。
-
『呻吟語』内篇・應務・人を戒むると己を戒むると孰れか難き余少き時曾て當に密なるべきの語を泄らす。先君之を責む。對へて曰く、「已に聞く者を戒めて泄らす勿からしめたり」と。先君曰く、「子は子の口を必する能はずして、能く人の口を必するか。且つ人を戒むると己を戒むると孰れか難き。小子之を慎め」と。
-
史記 田敬仲完世家二十六年、魏の恵王邯鄲を囲む。趙救ひを斉に求む。斉の威王大臣を召して謀りて曰く、「趙を救ふと救ふ勿きと孰れぞ」と。騶忌子曰く、「救ふ勿きに如かず」と。段干朋曰く、「救はずんば則ち不義にして、且つ不利なり」と。威王曰く、「何ぞや」と。対へて曰く、「夫れ魏氏邯鄲を并せば、其の斉に於て何の利かあらん。且つ夫れ趙を救ひて其の郊に軍せば、是れ趙伐たれずして魏全し。故に南のかた襄陵を攻めて以て魏を獘らし、邯鄲抜けて魏の獘に乗ずるに如かず」と。威王其の計に従ふ。其の後成侯騶忌、田忌と善からず。公孫閲、成侯忌に謂ひて曰く、「公何ぞ魏を伐たんことを謀らざる。田忌必ず将たらん。戦ひ勝ちて功有らば、則ち公の謀中るなり。戦ひ勝たずんば、前に死せずんば則ち後に北げん。而して命公に在らん」と。是に於て成侯威王に言ひ、田忌をして南のかた襄陵を攻めしむ。十月、邯鄲抜く。斉因りて兵を起こして魏を撃ち、大いに之を桂陵に敗る。是に於て斉最も諸侯に彊く、自ら称して王と為り、以て天下に令す。三十三年、其の大夫牟辛を殺す。三十五年、公孫閲又成侯忌に謂ひて曰く、「公何ぞ人をして十金を操りて市に卜せしめざる。曰く『我は田忌の人なり。吾三たび戦ひて三たび勝ち、声天下に威あり。大事を為さんと欲す。亦吉なるか不吉なるか』と」と。卜者出づ。因りて人をして之が為に卜せし者を捕へしめ、其の辞を王の所に験す。田忌之を聞き、因りて其の徒を率ゐて臨淄を襲攻し、成侯を求むれども、勝たずして奔る。三十六年、威王卒し、子宣王辟彊立つ。宣王元年、秦商鞅を用ふ。周伯を秦の孝公に致す。二年、魏趙を伐つ。趙韓と親しみ、共に魏を撃つ。趙利あらず、南梁に戦ふ。宣王田忌を召して故の位に復す。韓氏救ひを斉に請ふ。宣王大臣を召して謀りて曰く、「蚤く救ふと晩く救ふと孰れぞ」と。騶忌子曰く、「救ふ勿きに如かず」と。
-
『春秋左氏伝』宣公十八年 東門氏の追放十八年春、晉侯・衛の大子臧、齊を伐ち、陽穀に至る。齊侯晉侯に會して繒に盟ひ、公子彊を以て晉に質と為す。晉の師還る。蔡朝・南郭偃、逃れ歸る。夏、公楚に使ひして師を乞はしむ、以て齊を伐たんと欲するなり。秋、邾人鄫子を鄫に戕す。凡そ內より其の君を虐するを弒と曰ひ、外よりするを戕と曰ふ。楚の莊王卒す、楚の師出でず。既にして晉の師を用ふ、楚是に於てか蜀の役有り。公孫歸父襄仲の公を立てしを以て、寵有り。三桓を去りて、以て公室を張らんと欲し、公と謀りて晉に聘す、晉人を以て之を去らんと欲するなり。冬、公薨ず。季文子朝に言ひて曰く、「我をして適を殺し庶を立てしめ、以て大援を失はしめし者は、仲なるかな」と。臧宣叔怒りて曰く、「其の時に當りて、治むること能はず、後の人何の罪かある。子之を去らんと欲せば、許、請ふ之を去らん」と。遂に東門氏を逐ふ。子家還りて笙に及び、壇帷して、命を介に復す。既に命を復し、袒して髮を括り、位に即きて哭し、三たび踊りて出で、遂に齊に奔る。書して曰く、「歸父晉より還る」と。之を善するなり。
人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。
古典の入門書『人生の教科書』(PDF)と、師導の全機能1か月がセットで700円。二十四の悩みに、論語・老子・孫子から徒然草・五輪書までが答えます。
本の中身を見る