春秋左氏伝 / 襄公二十八年 慶封の放縦
不然則重其幣帛。以賀其福而弔其凶。皆小國之禍也。焉用作壇。以昭其禍。所以告子孫。無昭禍焉可也。齊慶封好田而耆酒。與慶舍政。則以其內實。遷于盧蒲嫳氏。易內而飲酒數日國遷朝焉。使諸亡人得賊者。以告而反之。故反盧蒲癸。癸臣子之。有寵。妻之。慶舍之士。謂盧蒲癸曰。男女辨姓。子不辟宗。何也。曰。宗不余辟。余獨焉辟之。賦詩斷章。余取所求焉。惡識宗。癸言王何而反之。二人皆嬖。使執寢戈而先後之。公膳日雙雞。饔人竊更之以鶩。
新字:不然則重其幣帛。以賀其福而弔其凶。皆小国之禍也。焉用作壇。以昭其禍。所以告子孫。無昭禍焉可也。斉慶封好田而耆酒。与慶舎政。則以其内実。遷于盧蒲嫳氏。易内而飲酒数日国遷朝焉。使諸亡人得賊者。以告而反之。故反盧蒲癸。癸臣子之。有寵。妻之。慶舎之士。謂盧蒲癸曰。男女弁姓。子不辟宗。何也。曰。宗不余辟。余独焉辟之。賦詩断章。余取所求焉。悪識宗。癸言王何而反之。二人皆嬖。使執寝戈而先後之。公膳日双鶏。饔人窃更之以鶩。
書き下し
然らずんば則ち其の幣帛を重くし、以て其の福を賀して其の凶を弔す。皆小國の禍なり。焉んぞ壇を作りて以て其の禍を昭らかにするを用ゐん。子孫に告ぐる所以は、禍を昭らかにする無くして可なり」と。齊の慶封、田を好みて酒を耆(たしな)む。慶舍に政を與へ、則ち其の內實を以て盧蒲嫳氏に遷り、內を易へて酒を飲む。數日にして國、朝を焉に遷す。諸の亡人の賊を得る者をして、以て告げて之を反らしむ。故に盧蒲癸を反す。癸、子之に臣たり。寵有り。之に妻(めあ)はす。慶舍の士、盧蒲癸に謂ひて曰く、「男女は姓を辨ず。子、宗を辟けざるは何ぞや」と。曰く、「宗、余を辟けず。余獨り焉んぞ之を辟けん。詩を賦するに章を斷ず、余は求むる所を取る。惡(いづ)くんぞ宗を識らん」と。癸、王何を言ひて之を反す。二人皆嬖せらる。寢戈を執りて之に先後せしむ。公の膳は日に雙雞なり。饔人竊かに之を更ふるに鶩を以てす。
現代語訳
そうでなければ贈り物を手厚くして、大国の慶事を祝い、凶事を弔う。これらはみな小国にとっての禍である。どうして壇を築いてその禍を明らかにする必要があろう。子孫に告げ知らせるには、禍を明らかにしないのがよいのだ」。斉の慶封は狩猟を好み、酒におぼれていた。息子の慶舎(字は子之)に政治を任せ、自分は財宝と妻妾を連れて盧蒲嫳の家に移り住み、互いの妻妾を取り替えて酒を飲んだ。数日すると、国の役人たちは朝廷をそこに移して政務を報告しに来るようになった。慶封は、崔氏の乱で亡命した者たちのうち、崔氏の残党を見つけて通報する者には帰国を許すことにした。そのため盧蒲癸(盧蒲嫳の一族)が帰国した。盧蒲癸は子之(慶舎)に仕え、寵愛を受けた。子之は自分の娘を彼の妻にした。慶舎の家臣が盧蒲癸に言った。「男女は姓を区別して結婚するものだ。あなたは同じ宗族(ともに姜姓)であるのに避けないのはなぜか」。盧蒲癸は言った。「宗族のほうが私を避けないのだ。私だけがどうして避けることがあろう。詩を賦するときに一章だけを断ち切って使うように、私は自分の求めるものを取るだけだ。宗族のことなど知ったことか」。盧蒲癸は王何のことを慶舎に話して、彼も帰国させた。二人はともに慶舎の寵愛を受け、寝所を守る戈を持たせて前後の護衛をさせた。朝廷から卿たちに出される公の食膳には毎日二羽の鶏が出されていたが、料理人がひそかにそれを家鴨にすり替えていた。
解説
この章句が説くこと
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