春秋左氏伝 / 襄公二十八年 迷復の凶
以歲之不易。聘於下執事。今執事有命曰。女何與政令之有。必使而君。棄而封守。跋涉山川。蒙犯霜露。以逞君心。小國將君是望。敢不唯命是聽。無乃非盟載之言。以闕君德。而執事有不利焉。小國是懼。不然。其何勞之敢憚。子大叔歸復命。告子展曰。楚子將死矣。不脩其政德。而貪昧於諸侯。以逞其願。欲久得乎。周易有之。在復之頤曰。迷復凶。其楚子之謂乎。欲復其願。而棄其本。復歸無所。是謂迷復。能無凶乎。君其往也。送葬而歸。以快楚心。楚不幾十年。未能恤諸侯也。吾乃休吾民矣。裨灶曰。今茲周王及楚子皆將死。歲棄其次。而旅於明年之次。以害鳥帑。周楚惡之。
新字:以歳之不易。聘於下執事。今執事有命曰。女何与政令之有。必使而君。棄而封守。跋渉山川。蒙犯霜露。以逞君心。小国将君是望。敢不唯命是聴。無乃非盟載之言。以闕君徳。而執事有不利焉。小国是懼。不然。其何労之敢憚。子大叔帰復命。告子展曰。楚子将死矣。不脩其政徳。而貪昧於諸侯。以逞其願。欲久得乎。周易有之。在復之頤曰。迷復凶。其楚子之謂乎。欲復其願。而棄其本。復帰無所。是謂迷復。能無凶乎。君其往也。送葬而帰。以快楚心。楚不幾十年。未能恤諸侯也。吾乃休吾民矣。裨灶曰。今茲周王及楚子皆将死。歳棄其次。而旅於明年之次。以害鳥帑。周楚悪之。
書き下し
歲の易からざるを以て、下執事に聘せしむ。今執事命有りて曰く、『女(なんぢ)何ぞ政令に與ること之れ有らん。必ず而(なんぢ)の君をして、而の封守を棄て、山川を跋涉し、霜露を蒙犯して、以て君の心を逞しくせしめよ』と。小國は將に君に是れ望まんとす、敢へて唯だ命に是れ聽かざらんや。乃ち盟載の言に非ずして、以て君の德を闕き、而して執事に不利有る無からんか。小國是れ懼る。然らずんば、其れ何の勞か敢へて憚らん」と。子大叔歸りて復命し、子展に告げて曰く、「楚子將に死せんとす。其の政德を脩めずして、諸侯に貪昧し、以て其の願ひを逞しくす。久しく得んと欲するも得んや。周易に之有り、復の頤に之くに在りて曰く、『迷復は凶』と。其れ楚子の謂か。其の願ひを復せんと欲して、其の本を棄つ。復歸するに所無し、是れを迷復と謂ふ。能く凶無からんや。君其れ往け。葬を送りて歸り、以て楚の心を快くせよ。楚、幾(ちか)く十年ならずんば、未だ諸侯を恤ふること能はざるなり。吾乃ち吾が民を休めん」と。裨灶曰く、「今茲、周王及び楚子皆將に死せんとす。歲、其の次を棄てて、明年の次に旅し、以て鳥帑を害す。周・楚之を惡む」と。
現代語訳
年の実りが容易でないことから(凶作を案じて)、下役の方々のもとへ聘問させたのです。ところが今、下役の方から命令があって言われました。『おまえが政令に関わる資格などあろうか。必ずおまえの君に、その国の守りを捨て、山を越え川を渡り、霜や露にさらされながらやって来させ、わが君の心を満足させよ』と。小国は貴国の君にこそ望みを託しております。どうしてご命令に従わないことがありましょう。しかしそれでは盟約の文書に記された言葉と違い、貴国の君の徳を欠くことになり、ひいては下役の方々にも不利なことになるのではありませんか。小国はそれを恐れるのです。そうでなければ、どんな苦労でもあえて惜しみはいたしません」。子大叔は帰国して復命し、子展に告げて言った。「楚子(康王)はまもなく死ぬでしょう。自らの政治と徳を修めずに、諸侯からむさぼって、自分の願いを満たそうとしています。それで長く望みを遂げようとしても、できるでしょうか。『周易』にこういう言葉があります。復の卦が頤の卦に変わるところに『迷いて復る、凶』とあります。これは楚子のことを言うのでしょう。自分の願いを取り戻そうとして、その根本を捨てている。帰るところがない、これを迷復というのです。凶とならないでいられましょうか。わが君はお出かけになるべきです。楚子の葬儀を見送って帰り、楚の心を満足させてやりましょう。楚はこの先十年近くは、諸侯に構うことはできないでしょう。そうすればわが国は民を休ませることができます」。裨灶(鄭の天文に通じた大夫)は言った。「今年、周王と楚子はともに死ぬだろう。歳星(木星)が本来の位置を捨てて、来年の位置に宿り、鳥帑(鶉火・鶉尾の星宿)を害している。周と楚がその凶を受けるのだ」。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
-
『春秋左氏伝』襄公四年 多く無礼を行えば必ず自ら及ぶ秋、定姒薨ず。廟に殯せず、櫬無く、虞せず。匠慶、季文子に謂ひて曰く、「子は正卿たり。而るに小君の喪成らず。君を終へざるなり。君長ぜば、誰か其の咎を受けん」と。初め、季孫、己の爲に六檟を蒲圃の東門の外に樹う。匠慶、木を請ふ。季孫曰く、「略(と)れ」と。匠慶、蒲圃の檟を用ゐる。季孫御(ふせ)がず。君子曰く、「志に所謂『多く無禮を行へば、必ず自ら及ぶ』とは、其れ是の謂ひか」と。冬、公、晉に如きて政を聽く。晉侯、公を享す。公、鄫を屬せんことを請ふ。晉侯許さず。孟獻子曰く、「寡君の仇讎に密邇するを以て、而も願ひて固く君に事へ、官命を失ふこと無からんとす。鄫は司馬に賦すること無し。執事の朝夕の命を敝邑に爲すに、敝邑は褊小なり。闕けば寡君の罪と爲る。寡君是を以て焉に助けを借らんことを願ふ」と。晉侯之を許す。楚人、頓をして陳を間(うかが)はしめ、之を侵伐す。故に陳人、頓を圍む。無終子嘉父、孟樂をして晉に如かしめ、魏莊子に因りて虎豹の皮を納れ、以て諸戎を和せんことを請ふ。晉侯曰く、「戎狄は親無くして貪る。之を伐つに如かず」と。魏絳曰く、「諸侯新たに服し、陳新たに來り和す。將に我を觀んとす。我德あらば則ち睦まん。否ならば則ち攜貳せん。
-
史記 秦本紀是に於て繆公晋君を虜にして以て帰り、国に令す、「斉宿せよ、吾将に晋君を以て上帝を祠らんとす」と。周の天子之を聞きて、曰く「晋は我が同姓なり」と、為に晋君を請ふ。夷吾の姊も亦繆公の夫人為り。夫人之を聞き、乃ち衰絰して跣し、曰く、「妾が兄弟相救ふ能はず、以て君命を辱めしむ」と。繆公曰く、「我晋君を得て以て功と為す。今天子為に請ひ、夫人是れ憂ふ」と。乃ち晋君と盟ひ、之を帰すことを許し、更めて上舎に舎せしめ、而して之に七牢を饋る。十一月、晋君夷吾を帰す。夷吾其の河西の地を献じ、太子圉をして秦に質たらしむ。秦子圉に妻はすに宗女を以てす。是の時秦の地東のかた河に至る。十八年、斉の桓公卒す。二十年、秦梁・芮を滅ぼす。二十二年、晋の公子圉晋君の病むを聞きて、曰く、「梁は、我が母の家なり。而るに秦之を滅ぼす。我兄弟多し、即し君百歳の後、秦必ず我を留めん。而して晋我を軽んじ、亦更に他子を立てん」と。子圉乃ち亡げて晋に帰る。二十三年、晋の恵公卒し、子圉立ちて君と為る。秦圉の亡げ去りしを怨み、乃ち晋の公子重耳を楚より迎へ、而して妻はすに故の子圉の妻を以てす。重耳初め謝し、後乃ち受く。繆公益礼して厚く之を遇す。二十四年春、秦人をして晋の大臣に告げしめ、重耳を入れんと欲す。晋之を許す。是に於て人をして重耳を送らしむ。二月、重耳立ちて晋君と為る。是を文公と為す。文公人をして子圉を殺さしむ。子圉は是を懐公と為す。其の秋、周の襄王の弟帯翟を以て王を伐ち、王出でて鄭に居る。二十五年、周王人をして難を晋・秦に告げしむ。秦の繆公兵を将ゐて晋の文公を助けて襄王を入れ、王の弟帯を殺す。二十八年、晋の文公楚を城濮に敗る。三十年、繆公晋の文公を助けて鄭を囲む。鄭人をして繆公に言はしめて曰く、「鄭を亡ぼして晋を厚くするは、晋に於ては得たり、而るに秦は未だ利有らず。晋の彊きは、秦の憂ひなり」と。繆公乃ち兵を罷めて帰る。晋も亦罷む。
-
史記 春申君列伝春申君は楚人なり、名は歇、姓は黄氏。游学して博聞、楚の頃襄王に事ふ。頃襄王、歇を以て弁と為し、秦に使ひせしむ。秦の昭王、白起をして韓・魏を攻めしめ、これを華陽に敗り、魏将芒卯を禽にす。韓・魏服して秦に事ふ。秦の昭王方に白起をして韓・魏と共に楚を伐たしめんとし、未だ行かず、而して楚の使ひ黄歇適々秦に至り、秦の計を聞く。是の時に当たり、秦已に前に白起をして楚を攻めしめ、巫・黔中の郡を取り、鄢郢を抜き、東して竟陵に至る。楚の頃襄王、東に徙りて陳県に治す。黄歇は楚の懐王の秦に誘はれて入朝し、遂に欺かれて留められ秦に死するを見る。頃襄王はその子なり、秦これを軽んず、恐らくは壹たび兵を挙げて楚を滅ぼさん。歇乃ち上書して秦の昭王に説きて曰く、天下に秦・楚より彊きは莫し。今聞く、大王楚を伐たんと欲すと。此れ猶ほ両虎の相与に闘ふがごとし。両虎相与に闘へば駑犬その獘を受く、楚を善くするに如かず。臣請ふその説を言はん。臣聞く、物至れば則ち反る、冬夏是れなり。致至れば則ち危ふし、累棋是れなり。今、大国の地は、遍く天下にその二垂を有す、此れ生民より已来、万乗の地の未だ嘗て有らざる所なり。
-
説苑・奉使齊魯を攻む。子貢哀公に見え、吳に救いを求めんことを請う。公曰く、「奚ぞ先君の寶を用いんや。」子貢曰く、「吳をして寶を責めて我に師を與えしむれば、是れ恃むべからざるなり。」是に於て楊幹麻筋の弓六を以て往く。子貢吳王に謂いて曰く、「齊無道を爲し、周公の後をして血食せざらしめんと欲す。且つ魯の賦五百、邾の賦三百なり。識らず此を以て齊を益せば、吳の利ならんか、非ならんか。」吳王懼れ、乃ち師を興して魯を救う。諸侯曰く、「齊周公の後を伐つに、吳之を救う。」遂に吳に朝す。
-
『韓非子』說林上二十二君之に与へて以て智伯を驕らしむるに如かず。且つ君何ぞ天下を以て智氏を図るを釈てて、独り吾が国を以て智氏の質と為すや」と。君曰く、「善し」と。乃ち之に万戸の邑を与ふ。智伯大いに悦び、因りて地を趙に索む、与へず、因りて晋陽を囲む。韓・魏之に外に反し、趙氏之に内に応じ、智氏以て亡ぶ。秦の康公、台を築くこと三年。荊人兵を起こし、将に兵を以て斉を攻めんと欲す。任妄曰く、「饑は兵を召き、疾は兵を召き、労は兵を召き、乱は兵を召く。君台を築くこと三年、今荊人兵を起こして将に斉を攻めんとす、臣恐らくは其の斉を攻むるは声と為して、秦を襲ふを以て実と為さん。之に備ふるに如かず」と。東辺を戍りて、荊人行を輟む。斉、宋を攻む。宋、臧孫子をして南のかた救ひを荊に求めしむ。荊大いに説び、之を救ふことを許して甚だ勧む。臧孫子憂へて反る。其の御曰く、「救ひを索めて得たり、今子に憂色有るは何ぞや」と。臧孫子曰く、「宋は小にして斉は大なり。夫れ小宋を救ひて大斉に悪まるるは、此れ人の憂ふる所以なり。而るに荊王説ぶは、必ず以て我を堅くせんとすればなり。我堅くして斉敝るるは、荊の利とする所なり」と。臧孫子乃ち帰る。斉人、五城を宋に抜きて荊の救ひ至らず。魏の文侯、道を趙に借りて中山を攻めんとし、趙の粛侯将に許さざらんとす。趙刻曰く、「君過てり。魏、中山を攻めて取ること能はずんば、則ち魏必ず罷れん。罷るれば則ち魏軽く、魏軽ければ則ち趙重し。魏、中山を抜くとも、必ず趙を越えて中山を有つこと能はざるなり。是れ兵を用ふる者は魏にして、地を得る者は趙なり。君必ず之を許せ。之を許して大いに歓べば、彼将に君の之を利とするを知りて、必ず将に行を輟めんとす。君は之に道を借して、示すに已むを得ざるを以てするに如かず」と。鴟夷子皮、田成子に事ふ。田成子、斉を去り、走りて燕に之く。鴟夷子皮、伝を負ひて従ふ。望邑に至る。子皮曰く、「子独り涸沢の蛇を聞かざるか。沢涸るれば、蛇将に徙らんとす。
-
『墨子』魯問魯君、子墨子に謂いて曰く、「吾れ齊の吾を攻めんことを恐る。救う可きか」と。子墨子曰く、「可なり。昔者、三代の聖王、禹・湯・文・武は、百里の諸侯なり。忠を説き義を行いて、天下を取る。三代の暴王、桀・紂・幽・厲は、讐怨し暴を行いて、天下を失う。吾れ願わくは主君の、上は天を尊び鬼に事え、下は百姓を愛し利し、厚く皮幣を為り、辭令を卑くし、函く徧く四隣の諸侯を禮し、國を敺りて以て齊に事えんことを。患い救う可きなり。願うに非ざれば為す可き者無し」と。
人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。
古典の入門書『人生の教科書』(PDF)と、師導の全機能1か月がセットで700円。二十四の悩みに、論語・老子・孫子から徒然草・五輪書までが答えます。
本の中身を見る