春秋左氏伝 / 襄公二十七年 子鮮、終身仕えず
夏。免餘復攻甯氏。殺甯喜及右宰穀。尸諸朝。石惡將會宋之盟。受命而出。衣其尸。枕之股而哭之。欲斂以亡。懼不免。且曰。受命矣。乃行。子鮮曰。逐我者出。納我者死。賞罰無章。何以沮勸。君失其信。而國無刑。不亦難乎。且鱄實使之。遂出奔晉。公使止之。不可。及河。又使止之。止使者而盟於河。託於木門。不鄉衛國而坐。木門大夫勸之仕。不可。曰。仕而廢其事。罪也。從之。昭吾所以出也。將誰愬乎。吾不可以立於人之朝矣。終身不仕。公喪之。如稅服終身。公與免餘邑六十。辭曰。唯卿備百邑。臣六十矣。下有上祿。亂也。臣弗敢聞。
新字:夏。免余復攻甯氏。殺甯喜及右宰穀。尸諸朝。石悪将会宋之盟。受命而出。衣其尸。枕之股而哭之。欲斂以亡。懼不免。且曰。受命矣。乃行。子鮮曰。逐我者出。納我者死。賞罰無章。何以沮勧。君失其信。而国無刑。不亦難乎。且鱄実使之。遂出奔晋。公使止之。不可。及河。又使止之。止使者而盟於河。託於木門。不郷衛国而坐。木門大夫勧之仕。不可。曰。仕而廃其事。罪也。従之。昭吾所以出也。将誰愬乎。吾不可以立於人之朝矣。終身不仕。公喪之。如税服終身。公与免余邑六十。辞曰。唯卿備百邑。臣六十矣。下有上禄。乱也。臣弗敢聞。
書き下し
夏、免餘復た甯氏を攻め、甯喜及び右宰穀を殺し、諸を朝に尸す。石惡將に宋の盟に會せんとし、命を受けて出づ。其の尸に衣せ、之を股に枕して之を哭す。斂めて以て亡げんと欲するも、免れざるを懼れ、且つ曰く、「命を受けたり」と。乃ち行く。子鮮曰く、「我を逐ふ者は出で、我を納るる者は死す。賞罰章無くんば、何を以て沮勸せん。君其の信を失ひて、國に刑無し。亦た難からずや。且つ鱄實に之を使へり」と。遂に出でて晉に奔る。公之を止めしむ。可かず。河に及び、又之を止めしむ。使者を止めて河に盟ふ。木門に託し、衛國に鄉ひて坐せず。木門の大夫之に仕へんことを勸む。可かず。曰く、「仕へて其の事を廢するは、罪なり。之に從はば、吾が出づる所以を昭らかにせん。將に誰にか愬へんとす。吾以て人の朝に立つべからず」と。終身仕へず。公之を喪すること、稅服の如くして身を終ふ。公免餘に邑六十を與ふ。辭して曰く、「唯だ卿は百邑を備ふ。臣は六十なり。下にして上の祿有るは、亂なり。臣敢へて聞かず。
現代語訳
夏、免余(公孫免余)はふたたび甯氏を攻め、甯喜と右宰穀を殺して、その死体を朝廷にさらした。石悪は宋での盟約の会合に出ることになっており、君命を受けて出発するところであった。石悪は甯喜の死体に衣を着せ、その頭を自分の股に載せて哭泣した。死体を納棺してそのまま亡命しようと思ったが、罪を免れないことを恐れ、また「すでに君命を受けているのだ」と言って、そのまま会合に出かけた。子鮮(公子鱄、献公の弟)は言った。「私たちを追い出した者(孫林父)は国外に出て無事で、私たちを迎え入れた者(甯喜)は殺された。賞罰に筋道がなければ、どうして悪を止め善を勧めることができようか。君は信義を失い、国には正しい刑罰がない。これでは国を治めるのは難しいではないか。しかも甯喜に約束を伝えたのは、実はこの私、鱄なのだ」。そう言って国を出て晋に亡命した。献公は人をやって引き止めさせたが、子鮮は聞き入れなかった。黄河まで来たところで、また引き止めの使者が来た。子鮮は使者を押しとどめて、黄河に誓いを立てた(二度と衛に戻らないと)。子鮮は晋の木門に身を寄せ、衛国の方角に顔を向けて座ることさえしなかった。木門の大夫が仕官を勧めたが、子鮮は受けず、こう言った。「仕官して職務をおろそかにするのは罪である。職務に励めば、私が衛を出た理由(兄の不信)を世間に明らかにすることになる。そうなったら誰に訴えればよいのか。私は他国の朝廷に立つことはできない」。子鮮は生涯仕官しなかった。献公は子鮮が死ぬと、その喪に服し、あとから喪に服する者の服装のまま、生涯を終えた。献公は免余に六十の邑を与えようとした。免余は辞退して言った。「卿でさえ百邑を備えるだけです。私はすでに六十邑をもっております。下の者が上の者の禄をもつのは乱れのもとです。私はあえてお受けいたしません。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『韓非子』難一第三十六今赫は僅かに驕侮せざるのみにして、襄子之を賞するは、是れ賞を失うなり。明主は賞を無功に加えず、罰を無罪に加えず。
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『韓非子』初見秦第一賞を言ひて則ち与へず、罰を言ひて則ち行はず、賞罰信ならず、故に士民死せざるなり。
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孫子・行軍篇數々賞する者は、窘するなり。數々罰する者は、困しむなり。先に暴にして後に其の衆を畏るる者は、不精の至りなり。来たりて委謝する者は、休息を欲するなり。
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『韓非子』外儲説右下第三十五夫れ賞は之を勧むる所以にして、毀存す。罰は之を禁ずる所以にして、誉加はる。民中立して由る所を知らず、
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『韓非子』外儲説右下第三十五一。賞罰共にすれば則ち禁令行はれず。何を以て之を明らかにする。之を明らかにするに造父・於期を以てす。
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呂氏春秋・義賞①春氣至れば則ち草木産し、秋氣至れば則ち草木落つ。産と落とは之を使しむるもの或り。自ら然るに非ざるなり。故に之を使しむる者至れば、物為さざる無く、之を使しむる者至らざれば、物為す可き無し。古の人、其の使しむる所以を審らかにす、故に物、用を為さざる莫し。賞罰の柄、此れ上の使しむる所以なり。其の以て加うる所の者義なれば、則ち忠信親愛の道彰わる。久しく彰われて愈々長ずれば、民の之に安んずること性の若し。此を之れ教成ると謂う。教成れば則ち厚賞嚴威有りと雖も禁ずること能わず。故に善く教うる者は、義以て賞罰して教成り、教成りて賞罰禁ずること能わず。賞罰を用いて當らざるも亦た然り。姦偽賊亂貪戻の道興り、久しく興りて息まざれば、民の之を讎うること性の若し。戎夷胡貉巴越の民は、是を以て厚賞嚴罰有りと雖も、禁ずること能わず。郢人の兩版を以て垣するや、吳起之を變じて惡まる。賞罰易れば民安くんぞ樂しまん。氐羌の民、其れ虜となるや、其の係纍を憂えずして、其の死するに焚かれざるを憂うるは、皆、邪に成り、且つ成りて民を賊う。故に賞罰の加うる所は、慎まざる可からず。
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