導師導古典を学びたいすべての人に

春秋左氏伝 / 襄公二十四年 兵戢めざれば族を取る

夏。楚子為舟師以伐吳。不為軍政。無功而還。齊侯既伐晉而懼。將欲見楚子。楚子使薳啟彊如齊聘。且請期。齊社蒐軍實。使客觀之。陳文子曰。齊將有寇。吾聞之。兵不戢。必取其族。秋。齊侯聞將有晉師。使陳無宇從薳啟彊如楚辭。且乞師。崔杼帥師送之。遂伐莒。侵介根。會于夷儀。將以伐齊。水不克。

新字:夏。楚子為舟師以伐呉。不為軍政。無功而還。斉侯既伐晋而懼。将欲見楚子。楚子使薳啓彊如斉聘。且請期。斉社蒐軍実。使客観之。陳文子曰。斉将有寇。吾聞之。兵不戢。必取其族。秋。斉侯聞将有晋師。使陳無宇従薳啓彊如楚辞。且乞師。崔杼帥師送之。遂伐莒。侵介根。会于夷儀。将以伐斉。水不克。

書き下し

夏、楚子舟師を為りて以って吳を伐つ。軍政を為さず、功無くして還る。齊侯既に晉を伐ちて懼れ、將に楚子に見えんと欲す。楚子薳啟彊をして齊に如きて聘せしめ、且つ期を請ふ。齊社して軍實を蒐め、客をして之を觀しむ。陳文子曰く、「齊將に寇有らんとす。吾之を聞く、兵戢めざれば、必ず其の族を取ると」。秋、齊侯將に晉師有らんとするを聞き、陳無宇をして薳啟彊に從ひて楚に如きて辭せしめ、且つ師を乞ふ。崔杼師を帥ゐて之を送り、遂に莒を伐ち、介根を侵す。夷儀に會し、將に以って齊を伐たんとす。水ありて克たず。

現代語訳

夏、楚子(康王)は水軍を編成して呉を攻めた。しかし軍の賞罰や規律を整えなかったので、何の戦果もなく帰った。斉侯(荘公)は晋を攻めたあとで晋の報復を恐れ、楚子と会見しようとした。楚子は薳啓彊を斉に遣わして聘問させ、あわせて会見の日取りを尋ねさせた。斉は社の祭りにあわせて兵車や兵員を閲兵し、客人の薳啓彊にこれを見せた。陳文子(陳須無)は言った。「斉は外敵に攻められることになろう。私はこう聞いている。武器をしまっておかなければ、必ずその一族を滅ぼすことになる、と」。秋、斉侯は晋の軍が攻めて来ると聞き、陳無宇(陳文子の子)を薳啓彊に付き従わせて楚へ行かせ、会見の取りやめを告げさせ、あわせて援軍を求めさせた。崔杼は軍を率いて彼らを見送り、そのまま莒を攻め、介根に侵入した。諸侯は夷儀で会合し、斉を攻めようとした。しかし大水のために果たせなかった。

解説

斉の荘公は晋を攻めて戦果を挙げたものの、報復を恐れて楚に接近した。楚の使者が来ると、荘公は社の祭りにかこつけて閲兵を行い、軍の威容を見せつけた。これを見た陳文子は「兵戢めざれば、必ず其の族を取る」と言った。武器をしまわない者は、いずれ自分の一族を滅ぼすという意味で、武力を誇示し続ける国は外からの攻撃を招くという見方である。実際、秋には晋が諸侯を集めて斉を討とうとし、大水でたまたま免れたにすぎない。冒頭の楚の水軍の記事も対になっている。軍政、つまり賞罰と規律を整えずに出兵した楚は、何の功もなく帰った。一方は力を誇りすぎ、一方は力の使い方を整えなかった。どちらも軍事の失敗として並べられている。示威そのものが相手の警戒と対抗を呼ぶという構図は、競争の激しい業界でもよく見られる。

この章句が説くこと

武力示威驕り規律外交

関連する章句

古典の入門書『人生の教科書』の表紙

人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。

古典の入門書『人生の教科書』(PDF)と、師導の全機能1か月がセットで700円。二十四の悩みに、論語・老子・孫子から徒然草・五輪書までが答えます。

本の中身を見る
古典の入門書『人生の教科書』(PDF)+師導1か月=700円 本を見る