春秋左氏伝 / 襄公二十三年 徳なくして功あらば
秋。齊侯伐衛。先驅。穀榮御王孫揮。召揚為右。申驅。成秩御莒恆。申鮮虞之傅摯為右。曹開御戎。晏父戎為右。貳廣。上之登御邢公。盧蒲癸為右。啟。牢成御襄罷師。狼蘧疏為右。胠。商子車御侯朝。桓跳為右。大殿。商子游御夏之御寇。崔如為右。燭庸之越駟乘。自衛將遂伐晉。晏平仲曰。君恃勇力以伐盟主。若不濟。國之福也。不德而有功。憂必及君。崔杼諫曰。不可。臣聞之。小國間大國之敗而毀焉。必受其咎。君其圖之。弗聽。陳文子見崔武子曰。將如君何。武子曰。吾言於君。君弗聽也。以為盟主。而利其難。群臣若急。君於何有。子姑止之。文子退。告其人曰。崔子將死乎。謂君甚。而又過之。不得其死。過君以義。猶自抑也。況以惡乎。齊侯遂伐晉。取朝歌為二隊。入孟門。登大行。張武軍於熒庭。戍郫邵。封少水。以報平陰之役。乃還。趙勝帥東陽之師以追之。獲晏氂。
新字:秋。斉侯伐衛。先駆。穀栄御王孫揮。召揚為右。申駆。成秩御莒恒。申鮮虞之傅摯為右。曹開御戎。晏父戎為右。貳広。上之登御邢公。盧蒲癸為右。啓。牢成御襄罷師。狼蘧疏為右。胠。商子車御侯朝。桓跳為右。大殿。商子游御夏之御寇。崔如為右。燭庸之越駟乗。自衛将遂伐晋。晏平仲曰。君恃勇力以伐盟主。若不済。国之福也。不徳而有功。憂必及君。崔杼諫曰。不可。臣聞之。小国間大国之敗而毀焉。必受其咎。君其図之。弗聴。陳文子見崔武子曰。将如君何。武子曰。吾言於君。君弗聴也。以為盟主。而利其難。群臣若急。君於何有。子姑止之。文子退。告其人曰。崔子将死乎。謂君甚。而又過之。不得其死。過君以義。猶自抑也。況以悪乎。斉侯遂伐晋。取朝歌為二隊。入孟門。登大行。張武軍於熒庭。戍郫邵。封少水。以報平陰之役。乃還。趙勝帥東陽之師以追之。獲晏氂。
書き下し
秋、齊侯衛を伐つ。先驅は、穀榮王孫揮に御し、召揚右為り。申驅は、成秩莒恆に御し、申鮮虞の傅摯右為り。曹開戎に御し、晏父戎右為り。貳廣は、上之登邢公に御し、盧蒲癸右為り。啟は、牢成襄罷師に御し、狼蘧疏右為り。胠は、商子車侯朝に御し、桓跳右為り。大殿は、商子游夏之御寇に御し、崔如右為り。燭庸之越駟乘す。衛よりして將に遂に晉を伐たんとす。晏平仲曰く、「君勇力を恃みて以って盟主を伐つ。若し濟らずんば、國の福なり。德あらずして功有らば、憂ひ必ず君に及ばん」と。崔杼諫めて曰く、「不可なり。臣之を聞く、小國大國の敗に間して焉を毀てば、必ず其の咎を受くと。君其れ之を圖れ」と。聽かず。陳文子崔武子に見えて曰く、「將に君を如何せんとする」と。武子曰く、「吾君に言へども、君聽かざるなり。以って盟主と為して、其の難を利とす。群臣若し急ならば、君に於いて何か有らん。子姑く之を止めよ」と。文子退きて、其の人に告げて曰く、「崔子將に死せんとするか。君を甚だしと謂ひて、又之に過ぐ。其の死を得ざらん。君に過ぐるに義を以ってするも、猶ほ自ら抑ふ。況んや惡を以ってするをや」と。齊侯遂に晉を伐ち、朝歌を取り、二隊と為りて、孟門に入り、大行に登り、武軍を熒庭に張り、郫邵に戍し、少水に封じて、以って平陰の役に報い、乃ち還る。趙勝東陽の師を帥ゐて以って之を追ひ、晏氂を獲たり。
現代語訳
秋、斉侯(荘公)が衛を攻めた。先駆けの部隊は、穀栄が王孫揮の車を御し、召揚が車右となった。第二の先駆けは、成秩が莒恒の車を御し、申鮮虞の傅摯が車右となった。曹開が斉侯の戎車を御し、晏父戎が車右となった。副車の隊は、上之登が邢公の車を御し、盧蒲癸が車右となった。左翼(啓)は、牢成が襄罷師の車を御し、狼蘧疏が車右となった。右翼(胠)は、商子車が侯朝の車を御し、桓跳が車右となった。後衛の大殿は、商子游が夏之御寇の車を御し、崔如が車右となった。燭庸之越は四人乗りの車に乗った。衛からそのまま晋を攻めようとした。晏平仲(晏嬰)は言った。「君は勇力を頼んで盟主を攻めようとしている。もし成功しなければ、それは国の福である。徳がないのに功を立てれば、憂いが必ず君の身に及ぶ」。崔杼(崔武子)は諫めて言った。「なりません。私はこう聞いています。小国が大国の敗れた隙に乗じてこれを損なえば、必ずその咎めを受ける、と。君にはよくお考えいただきたい」。荘公は聞き入れなかった。陳文子(陳須無)が崔武子に会って言った。「君をどうなさるおつもりか」。武子は言った。「私は君に申し上げたが、君は聞き入れなかった。晋を盟主と仰ぎながら、その難儀につけこんで利を得ようとしている。群臣がもし追い詰められたら、君のことなど構っていられようか。あなたもしばらくこのことは言わずにおいてほしい」。文子は退出して、自分の家の者に告げた。「崔子は死ぬのではないか。君のやり方をひどいと言いながら、自分はそれを上回ることをしようとしている。まともな死に方はできまい。君を上回るのが義によるものであってさえ、なお自らを抑えるべきなのに、まして悪によるものであればなおさらだ」。斉侯はついに晋を攻め、朝歌を取り、軍を二隊に分けて、一隊は孟門に入り、一隊は太行山に登った。熒庭に戦勝の陣営を張り、郫邵に守備兵を置き、少水のほとりに戦死者を埋めて塚を築き、平陰の戦いの報復としてから引き返した。趙勝が東陽の軍を率いて追撃し、晏氂を捕らえた。
解説
この章句が説くこと
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史記 田叔列伝魯の相初めて到るや、民自ら相に言ひ、王の其の財物を取るを訟ふる者百余人。田叔其の渠率二十人を取り、各々笞うつこと五十、余は各々搏つこと二十、之を怒りて曰く、「王は若の主に非ずや。何ぞ自ら敢へて若の主を言ふ」と。魯王之を聞きて大いに慚ぢ、中府の銭を発し、相をして之を償はしむ。相曰く、「王自ら之を奪ひ、相をして之を償はしむるは、是れ王悪を為して相善を為すなり。相は与に之を償ふ毋し」と。是に於て王乃ち尽く之を償ふ。魯王猟を好み、相常に従ひて苑中に入る。王輒ち相を休ませて館舎に就かしむ。相出でて、常に暴坐して王を苑外に待つ。王数々人をして相に休まんことを請はしむるも、終に休まず。曰く、「我が王苑中に暴露す。我独り何為れぞ舎に就かん」と。魯王故を以て大いには出游せず。
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史記 殷本紀紂曰く、「我生まれて命の天に在る有らずや」と。祖伊反りて、曰く、「紂諫む可からず」と。西伯既に卒し、周の武王の東伐して、盟津に至る。諸侯の殷に叛きて周に会する者八百。諸侯皆曰く、「紂伐つ可し」と。武王曰く、「爾未だ天命を知らず」と。乃ち復た帰る。紂愈淫乱して止まず。微子数諫むるも聴かず、乃ち大師・少師と謀り、遂に去る。比干曰く、「人臣為る者は、死を以て争はざるを得ず」と。迺ち強ひて紂を諫む。紂怒りて曰く、「吾聞く、聖人の心に七竅有りと」と。比干を剖き、其の心を観る。箕子懼れ、乃ち詳狂して奴と為る。紂又之を囚ふ。殷の大師・少師乃ち其の祭楽器を持ちて周に奔る。周の武王是に於て遂に諸侯を率ゐて紂を伐つ。紂も亦兵を発して之を牧野に距ぐ。甲子の日、紂の兵敗る。紂走り、入りて鹿台に登り、其の宝玉の衣を衣て、火に赴きて死す。
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史記 季布欒布列伝中郎将と為る。単于嘗て書を為りて呂后を嫚り、不遜なり、呂后大いに怒り、諸将を召して之を議す。上将軍樊噲曰く「臣願はくは十万の衆を得て、匈奴の中に横行せん」と。諸将皆呂后の意に阿り、「然り」と曰ふ。季布曰く「樊噲斬るべきなり。夫れ高帝兵四十余万の衆を将ゐて、平城に困しむ、今噲柰何ぞ十万の衆を以て匈奴の中に横行せんとするは、面欺なり。且つ秦胡に事とするを以て、陳勝等起こる。今に于て創痍未だ瘳えず、噲又面諛し、天下を揺動せんと欲す」と。是の時殿上皆恐れ、太后朝を罷め、遂に復た匈奴を撃つ事を議せず。
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史記 張丞相列伝帝、太子を廃して、戚姫の子如意を立てて太子と為さんと欲するに及び、大臣固く之を争へども、能く得る莫し。上、留侯の策を以て即ち止む。而して周昌廷に之を争ふこと彊し。上其の説を問ふ。昌は人と為り吃(ども)りにして、又盛んに怒りて曰く、「臣の口は言ふこと能はず。然れども臣期期として其の不可なるを知る。陛下太子を廃せんと欲すと雖も、臣期期として詔を奉ぜず」と。上欣然として笑ふ。既に罷むるや、呂后東箱に耳を側てて聴き、周昌を見て、為に跪きて謝して曰く、「君微(な)かりせば、太子幾(ほと)んど廃せられん」と。是の後戚姫の子如意、趙王と為り、
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史記 白起王翦列伝是の時、武安君病み、行くに任へず。四十九年正月、陵、邯鄲を攻むるも、利少なし。秦益々兵を発して陵を佐く。陵の兵、五校を亡ふ。武安君病愈ゆ、秦王、武安君をして陵に代はりて将たらしめんと欲す。武安君言ひて曰く、「邯鄲は実に未だ攻め易からざるなり。且つ諸侯の救ひ日に至らん。彼の諸侯の秦を怨むの日久し。今、秦は長平の軍を破ると雖も、秦の卒の死する者は半ばを過ぎ、国内空し。遠く河山を絶りて人の国都を争はば、趙はその内に応じ、諸侯はその外を攻めん。秦の軍を破ること必せり。不可なり」と。秦王自ら命ずるも、行かず。乃ち応侯をしてこれを請はしむ、武安君終に辞して行くことを肯んぜず、遂に病と称す。秦王、王齕をして陵に代はりて将たらしめ、八九月、邯鄲を囲むも、抜く能はず。楚、春申君及び魏の公子をして兵数十万を将ゐて秦の軍を攻めしむ、秦の軍失亡多し。武安君言ひて曰く、「秦、臣の計を聴かず、今如何ぞや」と。秦王これを聞きて怒り、彊ひて武安君を起こす、武安君遂に病甐しと称す。応侯これを請ふも、起たず。是に於いて武安君を免じて士伍と為し、これを陰密に遷す。武安君病み、未だ行く能はず。居ること三月、諸侯秦の軍を攻むること急にして、秦の軍数々卻き、使者日に至る。秦王乃ち人をして白起を遣らしめ、咸陽の中に留まるを得ざらしむ。武安君既に行き、咸陽の西門を出づること十里、杜郵に至る。秦の昭王、応侯・群臣と議して曰く、「白起の遷るや、その意尚ほ怏怏として服せず、余言有り」と。秦王乃ち使者をしてこれに剣を賜ひ、自裁せしむ。武安君、剣を引きて将に自ら剄ねんとして、曰く、「我何の罪ありて天に于いて此に至るや」と。良久しくして、曰く、「我固より当に死すべし。長平の戦ひ、趙の卒の降る者数十万人、我詐りて尽くこれを阬にす、是れ以て死するに足る」と。遂に自殺す。武安君の死するや、秦の昭王五十年十一月を以てす。死して其の罪に非ず、秦人これを憐れみ、郷邑皆これを祭祀す。
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荀子・大略篇人の臣下たる者は、諫むること有るも訕ること無く、亡ること有るも疾むこと無く、怨むこと有るも怒ること無し。
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