春秋左氏伝 / 襄公二十三年 斐豹、丹書を焚かしむ
鞅之父與二三子在君所矣。使鞅逆吾子。鞅請驂乘持帶。遂超乘。右撫劍。左援帶。命驅之出。僕請。鞅曰。之公。宣子逆諸階。執其手。賂之以曲沃。初。斐豹隸也。著於丹書。欒氏之力臣曰督戎。國人懼之。斐豹謂宣子曰。苟焚丹書。我殺督戎。宣子喜曰。而殺之。所不請於君焚丹書者。有如日。乃出豹而閉之。督戎從之。踰隱而待之。督戎踰入。豹自後擊而殺之。范氏之徒在臺後。欒氏乘公門。宣子謂鞅曰。矢及君屋死之。鞅用劍以帥卒。欒氏退。攝車從之。遇欒樂曰。樂免之。死將訟女於天。樂射之不中。又注則乘槐本而覆。或以戟鉤之。斷肘而死。欒魴傷。欒盈奔曲沃。晉人圍之。
新字:鞅之父与二三子在君所矣。使鞅逆吾子。鞅請驂乗持帯。遂超乗。右撫剣。左援帯。命駆之出。僕請。鞅曰。之公。宣子逆諸階。執其手。賂之以曲沃。初。斐豹隸也。著於丹書。欒氏之力臣曰督戎。国人懼之。斐豹謂宣子曰。苟焚丹書。我殺督戎。宣子喜曰。而殺之。所不請於君焚丹書者。有如日。乃出豹而閉之。督戎従之。踰隠而待之。督戎踰入。豹自後撃而殺之。范氏之徒在台後。欒氏乗公門。宣子謂鞅曰。矢及君屋死之。鞅用剣以帥卒。欒氏退。摂車従之。遇欒楽曰。楽免之。死将訟女於天。楽射之不中。又注則乗槐本而覆。或以戟鉤之。断肘而死。欒魴傷。欒盈奔曲沃。晋人囲之。
書き下し
鞅の父と二三子とは君の所に在り。鞅をして吾子を逆へしむ。鞅請ふ、驂乘して帶を持たん」と。遂に超乘し、右に劍を撫し、左に帶を援き、命じて驅りて之を出さしむ。僕請ふ。鞅曰く、「公に之け」と。宣子諸を階に逆へ、其の手を執り、之に賂ふに曲沃を以ってす。初め、斐豹は隸なり、丹書に著さる。欒氏の力臣を督戎と曰ふ。國人之を懼る。斐豹宣子に謂ひて曰く、「苟くも丹書を焚かば、我督戎を殺さん」と。宣子喜びて曰く、「而(なんぢ)之を殺さば、君に請ひて丹書を焚かざる所の者は、日の如き有らん」と。乃ち豹を出して之を閉づ。督戎之に從ふ。豹隱を踰えて之を待つ。督戎踰えて入る。豹後より擊ちて之を殺す。范氏の徒臺の後に在り。欒氏公門に乘る。宣子鞅に謂ひて曰く、「矢君の屋に及ばば、之に死せよ」と。鞅劍を用ゐて以って卒を帥ゐる。欒氏退く。車を攝りて之に從ふ。欒樂に遇ひて曰く、「樂免れよ。死せば將に女を天に訟へんとす」と。樂之を射て中らず。又注げば則ち槐の本に乘りて覆る。或ひと戟を以って之を鉤し、肘を斷ちて死す。欒魴傷つく。欒盈曲沃に奔る。晉人之を圍む。
現代語訳
父の宣子と諸卿はすでに君のもとにおります。私に、あなたをお迎えするよう命じたのです。私をあなたの車に同乗させ、帯をつかんで支えさせてください」。そう言うと車に飛び乗り、右手で剣を押さえ、左手で魏舒の帯をつかみ、御者に命じて車を走らせ隊列から出させた。御者がどこへ行くかと尋ねた。范鞅は言った。「公のもとへ行け」。宣子は階段で魏舒を迎え、その手を取り、曲沃の地を与えると約束して味方に引き入れた。これより前、斐豹は罪を得て奴隷とされ、その名が丹書(奴隷の名を記した朱書きの簿籍)に記されていた。欒氏には督戎という力自慢の家臣がいて、国人はこれを恐れていた。斐豹は宣子に言った。「もし丹書を焼いてくださるなら、私が督戎を殺しましょう」。宣子は喜んで言った。「お前が督戎を殺したら、君にお願いして丹書を焼かなかったら、太陽にかけて罰を受けよう」。そこで斐豹を宮の外に出して門を閉じた。督戎は斐豹を追った。斐豹は低い垣を越えて身を潜めて待ち、督戎が垣を越えて入ってきたところを、背後から撃って殺した。范氏の手勢は高殿の後ろにいた。欒氏は公宮の門に攻め上った。宣子は范鞅に言った。「矢が君の宮殿の屋根に届くようなことがあれば、お前は死んで責めを負え」。范鞅は剣を抜いて兵卒を率いた。欒氏は退いた。范鞅は車を整えて追った。欒楽(欒盈の一族)に出くわして言った。「楽よ、逃げるな。私が死んだら、お前を天に訴えてやる」。欒楽は范鞅を射たが当たらなかった。再び矢をつがえたところ、車輪が槐の根に乗り上げて車がひっくり返った。ある者が戟で引っかけ、肘を断ち切って、欒楽は死んだ。欒魴は負傷した。欒盈は曲沃に逃げ帰った。晋の人々はこれを包囲した。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『墨子』公孟子墨子の門に游ぶ者有り、子墨子に謂いて曰く、「先生、鬼を以て神眀にして知り、能く人に禍いを為すと為すか」と。子墨子の門に游ぶ者有り、身體强良、思慮狥通なり。隨いて學ばしめんと欲す。子墨子曰く、「姑く學べ。吾れ将に子を仕えしめん」と。善言に勸められて學ぶ。其の年にして、仕えんことを子墨子に責む。子曰く、「子を仕えしめず。子も亦た夫の魯の語を聞かんか。昆弟五人なる者有り。其の父死して、其の長子、酒を嗜みて葬らず。其の四弟曰く、『子、我と葬らば、當に子の為に酒を沽うべし』と。善言に勸められて葬る。已に葬りて、酒を其の四弟に責む。四弟曰く、『吾れ未だ子に酒を予えず。子は子の父を葬り、我れは吾が父を葬る。豈に獨り吾が父ならんや。子、葬らずんば、則ち人、将に子を笑わんとす。故に子に葬るを勸めしなり』と。今、子は義を為し、我も亦た義を為す。豈に獨り我が義ならんや。子、學ばずんば、則ち人、将に子を笑わんとす。故に子に學を勸めしなり」と。
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史記 項羽本紀曰く、「此れ天下の辯士なり、居る所国を傾く、故に号して平国君と為す。」と。項王已に約し、乃ち兵を引きて解きて東帰す。漢西帰せんと欲す、張良・陳平説きて曰く、「漢天下の太半を有ち、而して諸侯皆之に附く。楚の兵罷れ食尽く、此れ天の楚を亡ぼすの時なり、其の機に因りて遂に之を取るに如かず。今釈きて撃たずんば、此れ所謂『虎を養ひて自ら患ひを遺す』なり。」と。漢王之を聴く。漢の五年、漢王乃ち項王を追ひて陽夏の南に至り、軍を止め、淮陰侯韓信・建成侯彭越と期会して楚の軍を撃たんとす。固陵に至り、而して信・越の兵会せず。楚漢の軍を撃ち、大いに之を破る。漢王復た壁に入り、塹を深くして自ら守る。張子房に謂ひて曰く、「諸侯約に従はず、之を為すこと柰何。」と。対へて曰く、「楚の兵且に破れんとす、信・越未だ分地有らず、其の至らざること固より宜なり。君王能く与に天下を共分せば、今立ちどころに致すべきなり。即し能はずんば、事未だ知るべからざるなり。君王能く陳より以東海に傅(つ)くまでを、尽く韓信に与へ、睢陽以北穀城に至るまでを、以て彭越に与へ、各々自ら戦ひを為さしめば、則ち楚敗り易きなり。」と。漢王曰く、「善し。」と。是に於て乃ち使者を発して韓信・彭越に告げて曰く、「力を并せて楚を撃て。楚破れば、陳より以東海に傅くまでを斉王に与へ、睢陽以北穀城に至るまでを彭相国に与へん。」と。使者至る、韓信・彭越皆報じて曰く、「請ふ今兵を進めん。」と。韓信乃ち斉より往き、劉賈の軍寿春より并行し、城父を屠りて、垓下に至る。大司馬周殷楚に叛き、舒を以て六を屠り、九江の兵を挙げ、劉賈・彭越に随ひて皆垓下に会し、項王に詣る。項王の軍垓下に壁す、兵少なく食尽く、漢の軍及び諸侯の兵之を囲むこと数重。夜漢の軍の四面皆楚歌するを聞き、項王乃ち大いに驚きて曰く、「漢皆已に楚を得たるか。是れ何ぞ楚人の多きや。」と。項王則ち夜起きて、帳中に飲む。
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孟子・公孫丑章句下孟子、齊を去り、休に居る。公孫丑、問いて曰く、「仕えて祿を受けざるは、古の道か。」曰く、「非なり。崇に於いて、吾、王に見ゆるを得たり。退いて去る志有り。變ずるを欲せず。故に受けざるなり。繼いで師命有り。以て請う可からず。齊に久しきは、我が志に非ざるなり。」
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三略・上略軍讖に曰く、軍に財無ければ、士来たらず。軍に賞無ければ、士往かず、と。
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『武士道』第十章 武士の教育・精神上の勤労は価無きに非ず今や何等の勤労に酬うるにも、一に金銭を以てするが如き風は、武士道を遵奉する者の間に、かつて行はれしこと無かりき。武士道は、金を獲ず、又た価を受けずして、始めて他に尽すことを得るの務あるを信じたり。乃ち僧侶にもせよ、教師にもせよ、其精神上の勤労は、価無きに非らず、却つて価の量るべからざるが故に、金銭を以て之に報ずるを得べきものに非らずとしたり。是に由りて之を見れば、算数的ならざる武士道の名誉の本能は、近世の経済学に超越して、真理の教訓を与へたるものなりと謂ひつべし。けだし賃銭俸給の如きは、勤労任務の結果の、明かに見るを得べく、量るを得べきものにのみ対して、之を払ふて大差なかるべしと雖、教育に奉ずる最美の勤労、即ち人の霊性の啓発に裨補する任務の如きに至りては、其量のもとより瞭かならざるを以て、ひとり之を認むる能はざるのみならず、又た之を数ふるを得ず。
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『春秋左氏伝』閔公二年 衛の懿公、鶴を好む冬、十二月、狄人衛を伐つ。衛の懿公鶴を好み、鶴に軒に乘る者有り。將に戰はんとす。國人の甲を受くる者皆曰く、「鶴を使へ。鶴實に祿位有り、余焉んぞ能く戰はん」と。公石祁子に玦を與へ、甯莊子に矢を與へ、守らしめて、曰く、「此を以って國を贊けよ。利を擇びて之を爲せ」と。夫人に繡衣を與へて、曰く、「二子に聽け」と。渠孔戎に御し、子伯右と爲り、黃夷前驅し、孔嬰齊殿す。狄人と熒澤に戰ひ、衛の師敗績し、遂に衛を滅ぼす。衛侯其の旗を去らず、是を以って甚だしく敗る。狄人史華龍滑と禮孔とを囚へ、以って衛人を逐ふ。二人曰く、「我は、大史なり。實に其の祭を掌る。先んぜずんば、國得可からざるなり」と。乃ち之を先んぜしむ。至れば、則ち守に告げて曰く、「待つ可からざるなり」と。夜國人と出づ。狄衛に入り、遂に之に從ひ、又諸を河に敗る。
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