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春秋左氏伝 / 襄公十九年 其の本を蹙む

齊慶封圍高唐弗克。冬。十一月。齊侯圍之。見衛在城上。號之乃下。問守備焉。以無備告。揖之。乃登。聞師將傅。食高唐也。殖綽。工僂。會。夜縋納師。醢衛于軍。城西郛。懼齊也。齊及晉平。盟于大隧。故穆叔會范宣子于柯。穆叔見叔向。賦載馳之四章。叔向曰。肸敢不承命。穆叔曰。齊猶未也。不可以不懼。乃城武城。衛石共子卒。悼子不哀。孔成子曰。是謂蹙其本。必不有其宗。

新字:斉慶封囲高唐弗克。冬。十一月。斉侯囲之。見衛在城上。号之乃下。問守備焉。以無備告。揖之。乃登。聞師将傅。食高唐也。殖綽。工僂。会。夜縋納師。醢衛于軍。城西郛。懼斉也。斉及晋平。盟于大隧。故穆叔会范宣子于柯。穆叔見叔向。賦載馳之四章。叔向曰。肸敢不承命。穆叔曰。斉猶未也。不可以不懼。乃城武城。衛石共子卒。悼子不哀。孔成子曰。是謂蹙其本。必不有其宗。

書き下し

齊の慶封高唐を圍みて克たず。冬十一月、齊侯之を圍む。衛の城上に在るを見て、之を號べば乃ち下る。守備を問ふ。備無きを以って告ぐ。之に揖す。乃ち登る。師の將に傅かんとするを聞き、高唐に食せしむ。殖綽・工僂會、夜縋して師を納れ、衛を軍に醢す。西郛に城く。齊を懼るるなり。齊晉と平らぎ、大隧に盟ふ。故に穆叔范宣子に柯に會す。穆叔叔向に見え、載馳の四章を賦す。叔向曰く、「肸敢へて命を承けざらんや」と。穆叔曰く、「齊猶ほ未だしなり。懼れざるべからず」と。乃ち武城に城く。衛の石共子卒す。悼子哀しまず。孔成子曰く、「是れを其の本を蹙むと謂ふ。必ず其の宗を有たざらん」と。

現代語訳

斉の慶封(けいほう)は(夙沙衛が立てこもる)高唐を包囲したが、落とせなかった。冬十一月、斉侯(荘公)が自ら高唐を包囲した。夙沙衛が城壁の上にいるのを見て、呼びかけると、夙沙衛は城から下りてきた。荘公が守備の様子を尋ねると、夙沙衛は備えはないと答えた。荘公が会釈をすると、夙沙衛は城壁に戻った。夙沙衛は斉軍が城に取りつこうとしていると聞き、高唐の人々に(最後の)食事をふるまった。殖綽(しょくしゃく)と工僂会(こうろうかい)が夜のうちに綱で城壁を下りて斉軍を城内に導き入れ、夙沙衛は軍中で塩漬けの刑に処された。魯は都の西の外城を築いた。斉を恐れたからである。斉は晋と和睦し、大隧で盟約を結んだ。そこで穆叔(叔孫豹)は范宣子と柯で会見した。穆叔は叔向(しゅくきょう、羊舌肸)に会って、『詩経』の「載馳」の第四章を歌った(大国に頼って救いを求めたいという意を託したのである)。叔向は言った。「肸(私)がどうしてそのご意向を承らないことがありましょう」。穆叔は帰国して言った。「斉はまだ(魯への敵意を)やめていない。恐れずにはいられない」。そこで武城に城を築いた。衛の石共子(せききょうし、石買)が亡くなった。子の悼子(石悪)は悲しまなかった。孔成子(こうせいし、孔烝鉏)は言った。「これを、自分の根本を断ち切るというのだ。きっとその宗族を保てないだろう」。

解説

斉の後継争いの後始末と、魯・衛の記事が並ぶ。牙を太子に立てる側に回った夙沙衛は高唐で叛いたが、荘公に包囲される。城壁の上から呼ばれて下りてきた夙沙衛は、守りを問われて「備えはない」と正直に答え、荘公の会釈を受けて城に戻る。最後に高唐の人々に食事をふるまったのは、決着を悟った者の身の処し方であろう。平陰で臆病な霊公を支え、殖綽らに侮られて道をふさいだ人物は、そうして最期を迎えた。穆叔が叔向に「載馳」を歌い、晋の援助を確かめながらも、斉はまだ危ないと武城に城を築くのは、同盟を頼みつつ自国の備えを怠らない姿勢である。最後の孔成子の言葉「其の本を蹙む」は、父の死を悲しまない子は自らの根を断つものだという予言で、石氏はのちに衛で没落する。自分を支えてきたものへの敬意を失った者の行く末が短い言葉で示されている。

この章句が説くこと

自衛同盟孝根本敗者の処し方

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