春秋左氏伝 / 襄公十九年 常を廃するは不祥
齊侯娶于魯。曰顏懿姬。無子。其姪鬷聲姬生光。以為大子。諸子。仲子。戎子。戎子嬖。仲子生牙。屬諸戎子。戎子請以為大子。許之。仲子曰。不可。廢常不祥。間諸侯難。光之立也。列於諸侯矣。今無故而廢之。是專黜諸侯。而以難犯不祥也。君必悔之。公曰。在我而已。遂東大子光。使高厚傅牙以為大子。夙沙衛為少傅。齊侯疾。崔杼微逆光。疾病而立之。光殺戎子。尸諸朝。非禮也。婦人無刑。雖有刑。不在朝市。夏。五月。壬辰。晦。齊靈公卒。莊公即位。執公子牙於句瀆之丘。以夙沙衛易己。衛奔高唐以叛。晉士匄侵齊及穀。聞喪而還。禮也。於四月。丁未。鄭公孫蠆卒。赴於晉。大夫范宣子言於晉侯。以其善於伐秦也。六月。晉侯請於王。王追賜之大路。使以行禮也。秋。八月。齊崔杼殺高厚於灑藍。而兼其室。書曰。齊殺其大夫。從君於昏也。
新字:斉侯娶于魯。曰顔懿姫。無子。其姪鬷声姫生光。以為大子。諸子。仲子。戎子。戎子嬖。仲子生牙。属諸戎子。戎子請以為大子。許之。仲子曰。不可。廃常不祥。間諸侯難。光之立也。列於諸侯矣。今無故而廃之。是専黜諸侯。而以難犯不祥也。君必悔之。公曰。在我而已。遂東大子光。使高厚傅牙以為大子。夙沙衛為少傅。斉侯疾。崔杼微逆光。疾病而立之。光殺戎子。尸諸朝。非礼也。婦人無刑。雖有刑。不在朝市。夏。五月。壬辰。晦。斉霊公卒。荘公即位。執公子牙於句瀆之丘。以夙沙衛易己。衛奔高唐以叛。晋士匄侵斉及穀。聞喪而還。礼也。於四月。丁未。鄭公孫蠆卒。赴於晋。大夫范宣子言於晋侯。以其善於伐秦也。六月。晋侯請於王。王追賜之大路。使以行礼也。秋。八月。斉崔杼殺高厚於灑藍。而兼其室。書曰。斉殺其大夫。従君於昏也。
書き下し
齊侯魯に娶る。顏懿姬と曰ふ。子無し。其の姪鬷聲姬光を生む。以って大子と為す。諸子に仲子・戎子あり。戎子嬖せらる。仲子牙を生み、諸を戎子に屬す。戎子以って大子と為さんことを請ふ。之を許す。仲子曰く、「不可なり。常を廢するは不祥なり。諸侯を間するは難し。光の立つや、諸侯に列せり。今故無くして之を廢するは、是れ專ら諸侯を黜けて、難きを以って不祥を犯すなり。君必ず之を悔いん」と。公曰く、「我に在るのみ」と。遂に大子光を東にし、高厚をして牙に傅たらしめて以って大子と為し、夙沙衛を少傅と為す。齊侯疾む。崔杼微かに光を逆へ、疾病にして之を立つ。光戎子を殺し、諸を朝に尸す。禮に非ざるなり。婦人に刑無し。刑有りと雖も、朝市に在らず。夏五月壬辰晦、齊の靈公卒す。莊公位に即く。公子牙を句瀆の丘に執ふ。夙沙衛の己を易へしを以って、衛高唐に奔りて以って叛く。晉の士匄齊を侵して穀に及び、喪を聞きて還る。禮なり。四月丁未に於いて、鄭の公孫蠆卒す。晉に赴ぐ。大夫范宣子晉侯に言ふ、其の秦を伐つに善かりしを以ってなり。六月、晉侯王に請ふ。王追ひて之に大路を賜ひ、以って禮を行はしむ。秋八月、齊の崔杼高厚を灑藍に殺して、其の室を兼ぬ。書して「齊其の大夫を殺す」と曰ふは、君に昏に從へばなり。
現代語訳
斉侯(霊公)は魯から夫人を娶った。顔懿姫(がんいき)という。子がなかった。その姪の鬷声姫(そうせいき)が光(こう)を生み、光を太子とした。側室に宋の女の仲子と戎子がいた。戎子が寵愛されていた。仲子は牙(が)を生み、牙を戎子に預けて育てさせた。戎子は牙を太子にするよう願い、霊公はこれを許した。仲子は言った。「いけません。定まった決まりを廃するのは不吉です。諸侯の意向に逆らうのは困難です。光が太子に立てられたときには、諸侯の列に加えられて会盟にも出ています。いま理由もなくこれを廃するのは、諸侯が認めたものを勝手に退けることであり、困難なことをあえて行って不吉を犯すことです。君は必ず後悔なさいます」。霊公は言った。「すべては私の一存で決まることだ」。こうして太子光を東の辺境に移し、高厚(こうこう)を牙の傅(守り役)として牙を太子とし、夙沙衛を少傅とした。やがて霊公が病気になると、崔杼(さいちょ)がひそかに光を迎え入れ、病が重くなったところで光を太子に立て直した。光は戎子を殺し、その屍を朝廷にさらした。これは礼に反する。婦人には(身体を損なう)刑罰を加えないものであり、たとえ刑罰があっても、朝廷や市場にさらすことはしない。夏五月壬辰の晦日、斉の霊公が亡くなった。荘公(光)が即位した。公子牙を句瀆の丘で捕らえた。荘公は、夙沙衛が自分を太子の地位から替えさせたとして(彼を討とうとしたので)、夙沙衛は高唐に逃げて叛いた。晋の士匄は斉に侵攻して穀まで来たが、霊公の喪を聞いて引き返した。これは礼にかなっている。これより先の四月丁未の日、鄭の公孫蠆(こうそんたい、子蟜)が亡くなり、晋にも訃報が届けられた。大夫の范宣子が晋侯に、公孫蠆は秦攻めのときによく働いたと申し上げた。六月、晋侯は周王に願い出た。王は死後に彼に大路(天子から賜る車)を賜り、それを用いて葬礼を行わせた。秋八月、斉の崔杼は高厚を灑藍で殺し、その家財を併合した。『春秋』が「斉、其の大夫を殺す」と記して(崔杼の名を出さずに国が殺したように書いて)いるのは、高厚が君の愚かな命令に従って(太子を替えるのに加担して)いたからである。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『春秋左氏伝』宣公十八年 東門氏の追放十八年春、晉侯・衛の大子臧、齊を伐ち、陽穀に至る。齊侯晉侯に會して繒に盟ひ、公子彊を以て晉に質と為す。晉の師還る。蔡朝・南郭偃、逃れ歸る。夏、公楚に使ひして師を乞はしむ、以て齊を伐たんと欲するなり。秋、邾人鄫子を鄫に戕す。凡そ內より其の君を虐するを弒と曰ひ、外よりするを戕と曰ふ。楚の莊王卒す、楚の師出でず。既にして晉の師を用ふ、楚是に於てか蜀の役有り。公孫歸父襄仲の公を立てしを以て、寵有り。三桓を去りて、以て公室を張らんと欲し、公と謀りて晉に聘す、晉人を以て之を去らんと欲するなり。冬、公薨ず。季文子朝に言ひて曰く、「我をして適を殺し庶を立てしめ、以て大援を失はしめし者は、仲なるかな」と。臧宣叔怒りて曰く、「其の時に當りて、治むること能はず、後の人何の罪かある。子之を去らんと欲せば、許、請ふ之を去らん」と。遂に東門氏を逐ふ。子家還りて笙に及び、壇帷して、命を介に復す。既に命を復し、袒して髮を括り、位に即きて哭し、三たび踊りて出で、遂に齊に奔る。書して曰く、「歸父晉より還る」と。之を善するなり。
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史記 田敬仲完世家二十六年、魏の恵王邯鄲を囲む。趙救ひを斉に求む。斉の威王大臣を召して謀りて曰く、「趙を救ふと救ふ勿きと孰れぞ」と。騶忌子曰く、「救ふ勿きに如かず」と。段干朋曰く、「救はずんば則ち不義にして、且つ不利なり」と。威王曰く、「何ぞや」と。対へて曰く、「夫れ魏氏邯鄲を并せば、其の斉に於て何の利かあらん。且つ夫れ趙を救ひて其の郊に軍せば、是れ趙伐たれずして魏全し。故に南のかた襄陵を攻めて以て魏を獘らし、邯鄲抜けて魏の獘に乗ずるに如かず」と。威王其の計に従ふ。其の後成侯騶忌、田忌と善からず。公孫閲、成侯忌に謂ひて曰く、「公何ぞ魏を伐たんことを謀らざる。田忌必ず将たらん。戦ひ勝ちて功有らば、則ち公の謀中るなり。戦ひ勝たずんば、前に死せずんば則ち後に北げん。而して命公に在らん」と。是に於て成侯威王に言ひ、田忌をして南のかた襄陵を攻めしむ。十月、邯鄲抜く。斉因りて兵を起こして魏を撃ち、大いに之を桂陵に敗る。是に於て斉最も諸侯に彊く、自ら称して王と為り、以て天下に令す。三十三年、其の大夫牟辛を殺す。三十五年、公孫閲又成侯忌に謂ひて曰く、「公何ぞ人をして十金を操りて市に卜せしめざる。曰く『我は田忌の人なり。吾三たび戦ひて三たび勝ち、声天下に威あり。大事を為さんと欲す。亦吉なるか不吉なるか』と」と。卜者出づ。因りて人をして之が為に卜せし者を捕へしめ、其の辞を王の所に験す。田忌之を聞き、因りて其の徒を率ゐて臨淄を襲攻し、成侯を求むれども、勝たずして奔る。三十六年、威王卒し、子宣王辟彊立つ。宣王元年、秦商鞅を用ふ。周伯を秦の孝公に致す。二年、魏趙を伐つ。趙韓と親しみ、共に魏を撃つ。趙利あらず、南梁に戦ふ。宣王田忌を召して故の位に復す。韓氏救ひを斉に請ふ。宣王大臣を召して謀りて曰く、「蚤く救ふと晩く救ふと孰れぞ」と。騶忌子曰く、「救ふ勿きに如かず」と。
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