春秋左氏伝 / 襄公十九年 死して瞑せず
二月。甲寅。卒。而視。不可含。宣子盥而撫之曰。事吳敢不如事主。猶視。欒懷子曰。其為未卒事於齊故也乎。乃復撫之曰。主苟終。所不嗣事于齊者。有如河。乃瞑受含。宣子出曰。吾淺之為丈夫也。晉欒魴帥師從衛孫文子伐齊。季武子如晉拜師。晉侯享之。范宣子為政。賦黍苗。季武子興。再拜稽首曰。小國之仰大國也。如百穀之仰膏雨焉。若常膏之。其天下輯睦。豈唯敝邑。賦六月。季武子以所得於齊之兵。作林鍾。而銘魯功焉。臧武仲謂季孫曰。非禮也。夫銘。天子令德。諸侯言時計功。大夫稱伐。今稱伐。則下等也。計功。則借人也。言時。則妨民多矣。何以為銘。且夫大伐小。取其所得以作彝器。銘其功烈。以示子孫。昭明德而懲無禮也。今將借人之力。以救其死。若之何銘之。小國幸於大國。而昭所獲焉。以怒之。亡之道也。
新字:二月。甲寅。卒。而視。不可含。宣子盥而撫之曰。事呉敢不如事主。猶視。欒懐子曰。其為未卒事於斉故也乎。乃復撫之曰。主苟終。所不嗣事于斉者。有如河。乃瞑受含。宣子出曰。吾浅之為丈夫也。晋欒魴帥師従衛孫文子伐斉。季武子如晋拝師。晋侯享之。范宣子為政。賦黍苗。季武子興。再拝稽首曰。小国之仰大国也。如百穀之仰膏雨焉。若常膏之。其天下輯睦。豈唯敝邑。賦六月。季武子以所得於斉之兵。作林鍾。而銘魯功焉。臧武仲謂季孫曰。非礼也。夫銘。天子令徳。諸侯言時計功。大夫称伐。今称伐。則下等也。計功。則借人也。言時。則妨民多矣。何以為銘。且夫大伐小。取其所得以作彝器。銘其功烈。以示子孫。昭明徳而懲無礼也。今将借人之力。以救其死。若之何銘之。小国幸於大国。而昭所獲焉。以怒之。亡之道也。
書き下し
二月甲寅、卒す。而して視る。含すべからず。宣子盥ひて之を撫して曰く、「吳に事ふること、敢へて主に事ふるが如くせざらんや」と。猶ほ視る。欒懷子曰く、「其れ未だ齊に事を卒へざるが為の故か」と。乃ち復た之を撫して曰く、「主苟も終はらば、齊に事を嗣がざる所の者は、河の如き有らん」と。乃ち瞑して含を受く。宣子出でて曰く、「吾丈夫為ることの淺きかな」と。晉の欒魴師を帥ゐて衛の孫文子に從ひて齊を伐つ。季武子晉に如きて師を拜す。晉侯之を享す。范宣子政を為し、黍苗を賦す。季武子興ち、再拜稽首して曰く、「小國の大國を仰ぐや、百穀の膏雨を仰ぐが如し。若し常に之を膏せば、其れ天下輯睦せん。豈に唯だ敝邑のみならんや」と。六月を賦す。季武子齊より得る所の兵を以って林鍾を作り、魯の功を銘す。臧武仲季孫に謂ひて曰く、「禮に非ざるなり。夫れ銘は、天子は德を令し、諸侯は時を言ひ功を計り、大夫は伐を稱す。今伐を稱すれば、則ち下等なり。功を計れば、則ち人に借るなり。時を言へば、則ち民を妨ぐること多し。何を以ってか銘と為さん。且つ夫れ大の小を伐つや、其の得る所を取りて以って彝器を作り、其の功烈を銘して、以って子孫に示し、明德を昭かにして無禮を懲らすなり。今將に人の力を借りて、以って其の死を救ふ。之を若何ぞ銘せん。小國大國に幸ひして、獲る所を昭かにし、以って之を怒らしむるは、亡ぶるの道なり」と。
現代語訳
二月甲寅の日、荀偃は亡くなった。しかし目を見開いたままで、口に玉を含ませる(死者の口に玉を入れる儀礼の)ことができなかった。宣子(士匄)は手を洗って遺体をなでながら言った。「呉(荀呉、荀偃の子)にお仕えすることは、あなたにお仕えしたのと同じようにいたします」。それでも目は見開いたままだった。欒懐子(らんかいし、欒盈)が言った。「斉との戦いを最後までやり遂げていないからでしょうか」。そこで宣子はもう一度遺体をなでて言った。「あなたが亡くなられたあと、もし私が斉との戦いを引き継がなかったら、この黄河にかけて罰を受けましょう」。すると目を閉じ、玉を口に含ませることができた。宣子は外に出て言った。「私は男として浅はかであった(その心を見誤っていた)」。晋の欒魴(らんほう)は軍を率いて、衛の孫文子に従って斉を討った。季武子(きぶし、季孫宿)は晋に行って、出兵してくれた礼を述べた。晋侯(平公)は季武子をもてなした。范宣子(士匄)は政を執っていて、『詩経』の「黍苗」を歌った。季武子は立ち上がり、再拝して額を地につけて言った。「小国が大国を仰ぐのは、百穀が恵みの雨を仰ぐようなものです。もしいつもこのように潤してくださるなら、天下はみな和合するでしょう。どうしてわが国だけのことでありましょう」。そして『詩経』の「六月」を歌った。季武子は斉から得た武器を溶かして林鍾(大きな鐘)を作り、魯の功績を銘文に刻んだ。臧武仲(ぞうぶちゅう)は季孫(季武子)に言った。「これは礼にかないません。そもそも銘文というものは、天子であればその徳を記し、諸侯であれば時宜にかなったことを述べて功績を数え、大夫であれば戦功を称えるものです。いま戦功を称えるなら、それは大夫の格で、君の格より下がります。功績を数えるなら、それは晋の力を借りたものです。時宜を述べるなら、民の農事を妨げたことが多すぎます。何を銘文にするというのですか。そもそも大国が小国を討つ場合には、得たものを取って祭器を作り、その功業を刻んで子孫に示し、明らかな徳を顕彰して無礼を懲らしめるのです。いまは他国の力を借りて、ようやく自国の滅亡を救ったにすぎません。どうしてそれを銘文にできましょう。小国が大国に勝ってたまたま幸いを得たのに、その戦利品を誇示して大国を怒らせるのは、滅亡への道です」。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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論語・八佾篇子、太廟に入り、事毎に問う。或曰く、『誰か鄒人の子を礼を知ると謂うや、太廟に入りて事毎に問う。』子これを聞きて曰く、『是れ礼なり。』
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論語・八佾篇子曰く、『夏の礼、吾能く之を言う。杞は徵すに足らず。殷の礼、吾能く之を言う。宋は徵すに足らず。文献足らざる故なり。足らば、則ち吾能く之を徵せん。』
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論語・学而篇有子曰く、「礼の用は和を貴しと為す。先王の道も斯を美と為す。小大之に由れども、行われざる所有り。和を知りて和すれども、礼を以て之を節せざれば、亦行う可からざるなり。」
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論語・八佾篇孔子季氏を謂う、「八佾庭に舞わす。是れをも忍ぶ可くんば、孰れをか忍ぶ可からざらん。」
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論語・八佾篇子曰く、君に事えて礼を尽くせば、人以て諂いと為すなり。
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論語・八佾篇林放礼の本を問う。子曰く、「大なるかな問いや。礼は其の奢らんよりは、寧ろ倹せよ。喪は其の易めんよりは、寧ろ戚めよ。」
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