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春秋左氏伝 / 襄公十八年 南風競わず

子孔。子展。子西守。二子知子孔之謀。完守入保。子孔不敢會楚師。楚師伐鄭。次於魚陵。右師城上棘。遂涉潁。次于旃然。蒍子馮。公子格。率銳師侵費滑。胥靡。獻于。雍梁。右回梅山。侵鄭東北。至于蟲牢而反。子庚門于純門。信于城下。而還涉於魚齒之下。甚雨及之。楚師多凍。役徒幾盡。晉人聞有楚師。師曠曰。不害。吾驟歌北風。又歌南風。南風不競。多死聲。楚必無功。董叔曰。天道多在西北。南師不時。必無功。叔向曰。在其君之德也。

新字:子孔。子展。子西守。二子知子孔之謀。完守入保。子孔不敢会楚師。楚師伐鄭。次於魚陵。右師城上棘。遂渉潁。次于旃然。蒍子馮。公子格。率鋭師侵費滑。胥靡。献于。雍梁。右回梅山。侵鄭東北。至于虫牢而反。子庚門于純門。信于城下。而還渉於魚歯之下。甚雨及之。楚師多凍。役徒幾尽。晋人聞有楚師。師曠曰。不害。吾驟歌北風。又歌南風。南風不競。多死声。楚必無功。董叔曰。天道多在西北。南師不時。必無功。叔向曰。在其君之徳也。

書き下し

子孔・子展・子西守る。二子子孔の謀を知り、守りを完くし入りて保つ。子孔敢へて楚の師に會せず。楚の師鄭を伐ち、魚陵に次る。右師上棘に城き、遂に潁を涉り、旃然に次る。蒍子馮・公子格、銳師を率ゐて費滑・胥靡・獻于・雍梁を侵し、右に梅山を回りて、鄭の東北を侵し、蟲牢に至りて反る。子庚純門に門し、城下に信して還り、魚齒の下に涉る。甚雨之に及び、楚の師多く凍え、役徒幾ど盡く。晉人楚の師有るを聞く。師曠曰く、「害あらず。吾驟々北風を歌ひ、又南風を歌ふ。南風競はず、死聲多し。楚必ず功無からん」と。董叔曰く、「天道多く西北に在り。南師時ならず。必ず功無からん」と。叔向曰く、「其の君の德に在るなり」と。

現代語訳

鄭では子孔・子展(してん)・子西(しせい)が国を守っていた。子展と子西の二人は子孔の謀略を知っていたので、守りを固めて城内に立てこもった。子孔は楚軍と合流することができなかった。楚軍は鄭を攻め、魚陵に駐屯した。右翼の軍は上棘に城を築き、そのまま潁水を渡って旃然に駐屯した。蒍子馮(いしひょう)と公子格は精鋭を率いて、費滑・胥靡・献于・雍梁を侵し、右に梅山を回って鄭の東北部を侵し、虫牢まで行って引き返した。子庚は鄭の純門を攻め、城下に二晩とどまってから引き返し、魚歯山のふもとで川を渡った。そこで大雨に遭い、楚の兵の多くが凍え、人夫はほとんど死に絶えた。晋の人々は楚軍が出動したと聞いた。師曠が言った。「害はありません。私はしばしば北方の歌を歌い、また南方の歌を歌ってみましたが、南方の歌は勢いがなく、死を思わせる音が多い。楚はきっと功を立てられないでしょう」。董叔(とうしゅく)が言った。「天の運行は多く西北にあります。南の軍は時を得ていません。きっと功はないでしょう」。叔向(しゅくきょう)が言った。「すべてはその国の君主の徳にかかっているのです」。

解説

前句で子孔が呼び込んだ楚軍の鄭侵攻の顛末である。子孔の謀を察した子展と子西が守りを固めたため、子孔は楚軍と内応できず、楚軍は鄭の各地を荒らしたものの、帰りに大雨と寒さで多くの兵と人夫を失った。晋ではこの報を聞いて三人が予測を述べる。楽師の師曠は北方と南方の歌を歌い比べ、南の歌に勢いがなく死の音が多いと言う。ここから「南風競わず」は、南方の勢力が振るわないこと、さらに相手の勢いが弱いことのたとえとなった。天文に通じた董叔は天道の位置から判断する。最後に叔向は、勝敗は結局その国の君主の徳にかかると言う。音楽、天文、人の徳という三つの見方が並べられ、左伝は最後の叔向の言葉で締めている。予兆や占いを語りつつ、最終的には人の側の要因に帰着させる構成は、予測の根拠をどこに置くかを考えさせる。

この章句が説くこと

予測君主の徳内通備え天道

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