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春秋左氏伝 / 襄公十八年 子庚、師を嘗む

鄭子孔欲去諸大夫。將叛晉。而起楚師以去之。使告子庚。子庚弗許。楚子聞之。使楊豚尹宜告子庚曰。國人謂不穀主社稷。而不出師。死不從禮。不穀即位。於今五年。師徒不出。人其以不穀為自逸而忘先君之業矣。大夫圖之。其若之何。子庚歎曰。君王其謂午懷安乎。吾以利社稷也。見使者。稽首而對曰。諸侯方睦於晉。臣請嘗之。若何。君而繼之。不可。收師而退。可以無害。君亦無辱。子庚帥師治兵於汾。於是子蟜。伯有。子張。從鄭伯伐齊。

新字:鄭子孔欲去諸大夫。将叛晋。而起楚師以去之。使告子庚。子庚弗許。楚子聞之。使楊豚尹宜告子庚曰。国人謂不穀主社稷。而不出師。死不従礼。不穀即位。於今五年。師徒不出。人其以不穀為自逸而忘先君之業矣。大夫図之。其若之何。子庚嘆曰。君王其謂午懐安乎。吾以利社稷也。見使者。稽首而対曰。諸侯方睦於晋。臣請嘗之。若何。君而継之。不可。収師而退。可以無害。君亦無辱。子庚帥師治兵於汾。於是子蟜。伯有。子張。従鄭伯伐斉。

書き下し

鄭の子孔諸大夫を去らんと欲し、將に晉に叛きて、楚の師を起こして以って之を去らんとす。子庚に告げしむ。子庚許さず。楚子之を聞き、楊豚尹宜をして子庚に告げしめて曰く、「國人は不穀社稷を主りて師を出ださずと謂ふ。死するとも禮に從はざらん。不穀位に即きて、今に於いて五年、師徒出でず。人其れ不穀を以って自ら逸して先君の業を忘ると為さん。大夫之を圖れ。其れ之を若何せん」と。子庚歎じて曰く、「君王其れ午を懷安すと謂ふか。吾以って社稷を利せんとするなり」と。使者に見え、稽首して對へて曰く、「諸侯方に晉に睦まじ。臣請ふ之を嘗みん、若何と。君而して之に繼げ。可ならずんば、師を收めて退かん。以って害無かるべく、君も亦た辱無からん」と。子庚師を帥ゐて兵を汾に治む。是に於いて子蟜・伯有・子張、鄭伯に從ひて齊を伐つ。

現代語訳

鄭の子孔(しこう、公子嘉、鄭の執政)は、大夫たちを排除しようと考え、晋に背いて楚の軍を呼び寄せ、それによって大夫たちを除こうとした。そこで楚の令尹子庚(しこう、公子午)に使者を送って伝えさせた。子庚は承知しなかった。楚子(康王)はこれを聞き、楊豚尹の宜(ぎ)を遣わして子庚に告げさせた。「国の人々は、私が社稷の主となりながら軍を出さないと言っている。このままでは死んでも先君と同じ礼で葬られまい。私が即位して今年で五年になるが、軍を一度も出していない。人々は、私が安逸をむさぼって先君の事業を忘れたと思うだろう。大夫よ、よく考えてほしい。どうしたらよいだろうか」。子庚はため息をついて言った。「君王は、この午(私)が安楽を貪っているとお思いなのだろうか。私は社稷の利益のためにそうしているのだ」。そして使者に会い、額を地につけて答えた。「諸侯はいま晋と睦まじくしています。私にまず出兵を試させていただきたい。いかがでしょうか。うまくいけば、君はそのあとに続いてください。うまくいかなければ、私が軍をまとめて退きます。そうすれば害はなく、君にも恥が及ばないでしょう」。子庚は軍を率いて汾で兵を整えた。このとき、鄭の子蟜(しきょう)・伯有(はくゆう)・子張(しちょう)は鄭伯に従って斉を討つために国を留守にしていた。

解説

鄭の執政子孔が、政敵である大夫たちを除くために、外国である楚の軍を呼び込もうとする。国内の権力争いに他国の軍事力を利用するという危うい謀である。楚の令尹子庚は、晋を中心に諸侯がまとまっている時期の出兵は無益だと見て断った。ところが若い康王は、即位五年で一度も兵を出していないことを気に病み、このままでは先君の業を忘れたと言われると子庚に迫る。子庚は「君王は私が安楽を貪っていると思うのか」と嘆きつつも、自分がまず試しに出て、だめなら退くと申し出る。君主の面子を立てながら、失敗の責任は自分が引き受ける形にしたのである。王の焦りと、それを受け止めて損害を最小にしようとする宰相の配慮が対照的である。実績を示したい新しいトップの焦りに、補佐役がどう付き合うかという問題が見える。

この章句が説くこと

補佐役リスク管理面子内紛試行

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