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春秋左氏伝 / 襄公十七年 左師、策を短くす

冬。邾人伐我南鄙。為齊故也。宋華閱卒。華臣弱皋比之室。使賊殺其宰華吳。賊六人以鈹殺諸盧門。合左師之後。左師懼曰。老夫無罪。賊曰。皋比私有討於吳。遂幽其妻。曰。畀余而大璧。宋公聞之。曰。臣也。不唯其宗室是暴。大亂宋國之政。必逐之。左師曰。臣也亦卿也。大臣不順。國之恥也。不如蓋之。乃舍之。左師為己短策。苟過華臣之門。必騁。

新字:冬。邾人伐我南鄙。為斉故也。宋華閲卒。華臣弱皋比之室。使賊殺其宰華呉。賊六人以鈹殺諸盧門。合左師之後。左師懼曰。老夫無罪。賊曰。皋比私有討於呉。遂幽其妻。曰。畀余而大璧。宋公聞之。曰。臣也。不唯其宗室是暴。大乱宋国之政。必逐之。左師曰。臣也亦卿也。大臣不順。国之恥也。不如蓋之。乃舎之。左師為己短策。苟過華臣之門。必騁。

書き下し

冬、邾人我が南鄙を伐つ。齊の為の故なり。宋の華閱卒す。華臣皋比の室を弱めんとし、賊をして其の宰華吳を殺さしむ。賊六人鈹を以って諸を盧門、合左師の後に殺す。左師懼れて曰く、「老夫罪無し」と。賊曰く、「皋比私に吳を討つ有り」と。遂に其の妻を幽して曰く、「余に而の大璧を畀へよ」と。宋公之を聞きて曰く、「臣や、唯だ其の宗室に是れ暴するのみならず、大いに宋國の政を亂る。必ず之を逐はん」と。左師曰く、「臣も亦た卿なり。大臣順ならざるは、國の恥なり。之を蓋ふに如かず」と。乃ち之を舍く。左師己が為に策を短くし、苟も華臣の門を過ぐれば、必ず騁す。

現代語訳

冬、邾の人々が魯の南の辺境を討った。斉に味方してのことである。宋の華閲(かえつ、右師)が亡くなった。弟の華臣(かしん)は、華閲の子の皋比(こうひ)の家を弱めようとして、刺客を使って皋比の家宰の華呉(かご)を殺させた。刺客六人が鈹(長い刃の武器)で、盧門の、合左師(ごうさし、向戌。合の邑を領する左師)の屋敷の裏手で華呉を殺した。左師は恐れて言った。「この老人には何の罪もない」。刺客は言った。「皋比が私的に華呉を討ったのです(あなたとは関係ありません)」。華臣はさらに華呉の妻を閉じ込めて、「おまえの持っている大きな璧を私によこせ」と言った。宋公(平公)はこれを聞いて言った。「華臣は自分の宗家に暴虐を働いたばかりでなく、宋国の政治を大いに乱した。必ず追放しよう」。左師は言った。「華臣もまた卿です。大臣が道に背くのは国の恥です。これは覆い隠したほうがよいでしょう」。そこで宋公は華臣を放置した。左師は自分のために短い鞭を作らせ、華臣の家の門の前を通るときには、必ず馬を速く走らせた。

解説

宋の名家華氏の内紛である。兄の華閲が没すると、弟の華臣は甥の皋比の家を弱めようとし、その家宰を刺客に殺させ、さらに未亡人から宝の璧を奪おうとする。平公は追放を決意するが、左師向戌は「大臣が道に背くのは国の恥だから、覆い隠したほうがよい」と止める。体面を重んじ、事を荒立てないという判断である。だが、その向戌自身が、華臣の門の前を通るときは短い鞭で馬を急がせて駆け抜けた。表向きは華臣をかばいながら、内心では誰よりも恐れていたのである。この記事は次の句で、狂犬を追う人々が華臣の家に入り込み、怯えた華臣が陳に逃げるという結末につながる。処分を見送った悪が、結局は自らの恐れで崩れていく。不祥事を「組織の恥だから」と覆い隠した判断が、その後の現場にどんな影を落とすかを考えさせる。

この章句が説くこと

不祥事隠蔽体面恐れ内紛

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