政談 / 大坂在番の事
且又大坂にては下々の欠落常にある事なり、欠落は大方は御城下へ出てゝ定の刻限に歸らぬ故直に欠落になるなり、又行きかた知れず失することもあり、大方は博奕などの意趣によりで海へ突落して殺す成るへし、又欠落したるものが十日計りも過きて後御城內へ來り、其の儘又何方へやらん行くこともありと承はる、不思議千萬なることなり、畢竟御堀を越え來るべきやうなし、御門より出入するか、御城中にかくれ居るか、此の二つを出つべからず、惣じて餘りに法嚴しく、一事あれば詮議六ケ敷故、面々に事のなきやうにと心得ることを、御番衆の傳授にすることにて斯の如きこと却て知れぬと見えたり、法を末にて嚴しくして、元來法の立てやうに行届かぬ所有れば、必ず斯の如くなるものなり、大坂御番に限らず、當時は何方も〳〵斯の如し、心得あるべきこと也、
新字:且又大坂にては下々の欠落常にある事なり、欠落は大方は御城下へ出てゝ定の刻限に帰らぬ故直に欠落になるなり、又行きかた知れず失することもあり、大方は博奕などの意趣によりで海へ突落して殺す成るへし、又欠落したるものが十日計りも過きて後御城内へ来り、其の儘又何方へやらん行くこともありと承はる、不思議千万なることなり、畢竟御堀を越え来るべきやうなし、御門より出入するか、御城中にかくれ居るか、此の二つを出つべからず、惣じて余りに法厳しく、一事あれば詮議六ケ敷故、面々に事のなきやうにと心得ることを、御番衆の伝授にすることにて斯の如きこと却て知れぬと見えたり、法を末にて厳しくして、元来法の立てやうに行届かぬ所有れば、必ず斯の如くなるものなり、大坂御番に限らず、当時は何方も〳〵斯の如し、心得あるべきこと也、
書き下し
且又大坂にては下々の欠落常にある事なり、欠落は大方は御城下へ出てゝ定の刻限に帰らぬ故直に欠落になるなり、又行きかた知れず失することもあり、大方は博奕などの意趣によりで海へ突落して殺す成るへし、又欠落したるものが十日計りも過きて後御城内へ来り、其の儘又何方へやらん行くこともありと承はる、不思議千万なることなり、畢竟御堀を越え来るべきやうなし、御門より出入するか、御城中にかくれ居るか、此の二つを出つべからず、惣じて余りに法厳しく、一事あれば詮議六ケ敷故、面々に事のなきやうにと心得ることを、御番衆の伝授にすることにて斯の如きこと却て知れぬと見えたり、法を末にて厳しくして、元来法の立てやうに行届かぬ所有れば、必ず斯の如くなるものなり、大坂御番に限らず、当時は何方も〳〵斯の如し、心得あるべきこと也、
現代語訳
またさらに、大坂では下々の欠け落ち(逃亡)が常にある。欠け落ちはたいてい、御城下へ出て定めの刻限に帰らないので、すぐに欠け落ちとされるのである。また行方知れずになることもある。たいていは博奕などの恨みで海へ突き落として殺すのだろう。また欠け落ちした者が十日ばかり過ぎた後で御城内へ来て、そのまままたどこかへ行くこともあると聞く。不思議千万なことである。結局、御堀を越えて来られるはずはない。御門から出入りするか、御城中に隠れているか、この二つを出ないはずである。総じてあまりに法が厳しく、一事があれば詮議が面倒なので、それぞれ事が起きないようにと心得ることを御番衆の伝授としているので、このようなことがかえって知れないと見える。法を末端で厳しくして、もともとの法の立て方に行き届かないところがあれば、必ずこのようになるものである。大坂御番に限らず、今はどこもかしこもこのようである。心得ておくべきことである。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『韓非子』六反第四十六前は苦しくして長く利あり。仁の道為る、偸楽にして後に窮す。聖人其の軽重を権り、其の大利を出だす、故に法の相忍ぶを用ひて、仁人の相憐れむを弃つるなり。
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孫子・形篇善く兵を用うる者は、道を修めて法を保つ。故に能く勝敗の政を為す。
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『君子訓』巻之中一家を治め民を治むるには、厳なるを善とす。厳とはまづ我が身を正しくし、軽々しからず、法を立つるにゆるがせならず、民の僻事を制して赦さざるをいふ。厳なれば人恐るる故に、法立ちて破れず、民悪をなさず、罪に陥るもの稀なり。厳ならずしてゆるがせなれば、初は民も家人も悦んで誉むれども、後には怠りおそれず、法ゆるまりて立たず、罪を犯す者多し。始厳なれば後に事なし。始緩なれば後に事多くなる。厳はきびしきなり、不仁なるにあらず。民を悪に入れぬため、きびしくするなり。譬へば水は柔かなるゆゑ、人侮りて溺死する者多し。火は厳なるゆゑ、人恐れて近づかず、焼死する者少し。法も亦如斯。
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『韓非子』外儲説右上第三十四文公曰く、「吾が民の喪資有る者は、寡人親ら郎中をして事を視しめ、罪有る者は之を赦し、貧窮にして足らざる者は之に与ふ、其れ以て民を戦はしむるに足るか」と。狐子対へて曰く、「足らず。此れ皆産を慎む所以なり。而して之を戦はしむるは、之を殺すなり。民の公に従ふや、産を慎むが為なり、公因りて迎へて之を殺さば、公に従ふを為す所以を失はん」と。曰く、「然らば則ち何如にして以て民を戦はしむるに足るか」と。狐子対へて曰く、「戦はざるを得ること無からしめよ」と。公曰く、「戦はざるを得ること無きは奈何」と。狐子対へて曰く、「信賞必罰、其れ以て戦はしむるに足る」と。公曰く、「刑罰の極は安くにか至る」と。対へて曰く、「親貴を辟けず、法愛する所に行はる」と。文公曰く、「善し」と。明日令して圃陸に田し、期するに日中を以て期と為し、期に後るる者は軍法を行はんとす。是に於て公の愛する所の者有り顛頡と曰ふ、期に後る、吏其の罪を請ふ、文公涕を隕して憂ふ。吏曰く、「請ふ事を用ひん」と。遂に顛頡の脊を斬りて、以て百姓に徇へ、以て法の信を明らかにするなり。而る後百姓皆懼れて曰く、「君顛頡の貴重に於けること彼の如く甚だしきなり、而るに君猶ほ法を行ふ、況んや我に於てをや則ち何か有らん」と。文公民の戦はしむ可きを見るや、是に於て遂に兵を興して原を伐ち、之に克つ。衛を伐ち、其の畝を東にし、五鹿を取る。陽を攻め、虢に勝つ。曹を伐ち、南のかた鄭を囲み、之が陴を反す。宋の囲みを罷む。還りて荊人と城濮に戦ひ、大いに荊人を敗り、返りて践土の盟を為し、遂に衡雍の義を成す。一挙にして八たび攻有り。然る所以の者は、他の故異物無し、狐偃の謀に従ひ、顛頡の脊を仮るなり。夫れ痤疽の痛みや、骨髄を刺すに非ざれば、則ち煩心支ふ可からざるなり。是の如くに非ざれば、人をして半寸の砥石を以て之を弾せしむる能はず。今人主の治に於けるも亦然り、苦有れば則ち安きを知らざるに非ず、其の国を治めんと欲するも、是の如くに非ざれば聖知を聴きて乱臣を誅する能はず。
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『韓非子』飾邪第十九故に曰く、小忠は大忠の賊なりと。若し小忠をして法を主らしむれば、則ち必ず将に罪を赦して以て相愛さんとす。是れ下と安んずるなり。然れども民を治むるに妨害する者なり。魏の方に立辟を明らかにし、憲令に従ふの時に当たりては、功有る者は必ず賞せられ、罪有る者は必ず誅せられ、強く天下を匡し、威四隣に行はる。法慢り、妄りに予ふるに及びて、国日に削らる。趙の方に国律を明らかにし、大軍に従ふの時に当たりては、人衆く兵強く、地を斉・燕に辟く。国律慢り、用ふる者弱きに及びて、国日に削らる。燕の方に奉法を明らかにし、官断を審らかにするの時に当たりては、東は斉国を県し、南は中山の地を尽くす。奉法已に亡び、官断用ゐられず、左右交々争ひ、論其の下に従ふに及びては、則ち兵弱くして地削られ、国隣敵に制せらる。
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『春秋左氏伝』昭公四年 苟も社稷を利せば九月、鄫を取る。易きを言ふなり。莒亂る。著丘公立ちて鄫を撫せず。鄫叛きて來る。故に取ると曰ふ。凡そ邑に克ちて、師徒を用ゐざるを取ると曰ふ。鄭の子產丘賦を作る。國人之を謗りて曰く、「其の父は路に死し、己は蠆尾(たいび)と為りて、以て國に令す。國將に之を若何せん」と。子寬以て告ぐ。子產曰く、「何ぞ害あらん。苟も社稷を利せば、死生之を以てせん。且つ吾聞く、善を為す者は其の度を改めず、故に能く濟すこと有りと。民は逞(ほしいまま)にすべからず、度は改むべからず。詩に曰く、『禮義愆(あやま)たずんば、何ぞ人の言を恤へん』と。吾遷らず」と。渾罕曰く、「國氏其れ先づ亡びんか。君子法を涼(うす)きに作るも、其の敝は猶ほ貪なり。法を貪に作らば、敝將に之を若何せん。姬の列に在る者、蔡及び曹・滕、其れ先づ亡びんか。偪(せま)りて禮無し。鄭は衛に先だちて亡びん。偪りて法無し。政法に率(したが)はずして、心に制す。民各心有り、何の上か之れ有らん」と。冬、吳楚を伐ちて、棘・櫟・麻に入る。以て朱方の役に報ゆるなり。楚の沈尹射夏汭に奔命す。咸尹宜咎鍾離に城き、薳啟疆巢に城き、然丹州來に城く。東國水あり、以て城くべからず。彭生賴の師を罷む。
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