呻吟語 / 内篇・應務・有意にして能く掩ふ者無し
只有無跡而生疑,再無有意而能掩者,可不畏哉?
書き下し
只だ跡無くして疑を生ずる有り、再び有意にして能く掩ふ者無し。畏れざる可けんや。
現代語訳
跡が無いのに疑いが生じることはありますが、意図して隠し通せたものはありません。恐れずにいられるでしょうか。
解説
二つの非対称を並べます。無実でも疑われることはあるが、故意に隠したものが隠し通せたことは無い。前者は不運、後者は必然です。だから、疑われることは避けられなくても、隠し事をすれば必ず露見するという結論になります。前に出てきた、埋めてもいずれ明らかになるという段と同じ主張で、こちらは弁明の話と接続しています。疑われるのは避けられないが、隠し事は必ず露見します。

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本の中身を見るこの章句が説くこと
隠蔽露見疑い非対称恐れ
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