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春秋左氏伝 / 襄公十五年 不貪を宝と為す

秋。邾人伐我南鄙。使告于晉。晉將為會。以討邾莒。晉侯有疾。乃止。冬。晉悼公卒。遂不克會。鄭公孫夏如晉奔喪。子蟜送葬。宋人或得玉。獻諸子罕。子罕弗受。獻玉者曰。以示玉人。玉人以為寶也。故敢獻之。子罕曰。我以不貪為寶。爾以玉為寶。若以與我。皆喪寶也。不若人有其寶。稽首而告曰。小人懷璧。不可以越鄉。納此以請死也。子罕寘諸其里。使玉人為之攻之。富而後使復其所。十二月。鄭人奪堵狗之妻。而歸諸范氏。

新字:秋。邾人伐我南鄙。使告于晋。晋将為会。以討邾莒。晋侯有疾。乃止。冬。晋悼公卒。遂不克会。鄭公孫夏如晋奔喪。子蟜送葬。宋人或得玉。献諸子罕。子罕弗受。献玉者曰。以示玉人。玉人以為宝也。故敢献之。子罕曰。我以不貪為宝。爾以玉為宝。若以与我。皆喪宝也。不若人有其宝。稽首而告曰。小人懐璧。不可以越郷。納此以請死也。子罕寘諸其里。使玉人為之攻之。富而後使復其所。十二月。鄭人奪堵狗之妻。而帰諸范氏。

書き下し

秋、邾人我が南鄙を伐つ。晉に告げしむ。晉將に會を為して、以って邾・莒を討たんとす。晉侯疾有り、乃ち止む。冬、晉の悼公卒す。遂に會するを克くせず。鄭の公孫夏晉に如きて喪に奔る。子蟜葬を送る。宋人或いは玉を得て、諸を子罕に獻ず。子罕受けず。玉を獻ずる者曰く、「以って玉人に示すに、玉人以って寶と為すなり。故に敢へて之を獻ず」と。子罕曰く、「我は貪らざるを以って寶と為し、爾は玉を以って寶と為す。若し以って我に與へば、皆寶を喪ふなり。人ごとに其の寶を有たんに若かず」と。稽首して告げて曰く、「小人璧を懷かば、以って鄉を越ゆべからず。此を納れて以って死を請ふなり」と。子罕諸を其の里に寘き、玉人をして之が為に之を攻かしめ、富ましめて而る後に其の所に復らしむ。十二月、鄭人堵狗の妻を奪ひて、諸を范氏に歸す。

現代語訳

秋、邾の人々が魯の南の辺境を攻めた。魯は晋に使者を送って訴えた。晋は会合を開いて邾と莒を討とうとしたが、晋侯(悼公)が病気になったので取りやめた。冬、晋の悼公が亡くなった。そのため結局会合は開けなかった。鄭の公孫夏(こうそんか、子西)が晋に行って弔問し、子蟜(しきょう、公孫蠆)が葬儀に参列した。宋のある人が宝玉を手に入れ、子罕(しかん、宋の司城)に献上しようとした。子罕は受け取らなかった。玉を献じようとした者は言った。「玉の職人に見せましたところ、職人は宝だと申しました。それであえて献上するのです」。子罕は言った。「私は貪らないことを宝としている。おまえは玉を宝としている。もしそれを私にくれたら、二人とも宝を失うことになる。それぞれが自分の宝を持っているほうがよい」。その者は額を地につけて申し上げた。「私のような身分の者が璧を抱いていては、村を越えて旅することもできません(奪われて殺されるでしょう)。これを差し上げて、命の無事をお願いしたいのです」。子罕はその者を自分の住む里に置き、玉職人にその玉を磨かせ、売って金持ちにしてやってから、もとの所へ帰らせた。十二月、鄭の人々は堵狗(とく、前年に処刑された堵女父の一族)の妻を奪い、范氏(晋の士氏、妻の実家)に帰した。

解説

「不貪を宝と為す」の出典として名高い一節である。宋の子罕は献上された宝玉を断り、「我は貪らざるを以って宝と為し、爾は玉を以って宝と為す」と言う。受け取れば自分は清廉という宝を、相手は玉という宝を失う。双方が自分の宝を持っているのがよいという論理は、断る理由を相手の損得にまで広げている点が巧みである。話はそこで終わらない。献上しようとした庶民は、身分の低い者が高価な璧を持っていては道中で奪われ、命が危ないと訴える。「匹夫罪無し、璧を懐くは其れ罪なり」と同じ構図である。子罕はこれを聞くと、自分の里に住まわせて玉を加工させ、売って富を得させてから帰した。潔白を守るだけでなく、相手の事情まで引き受けて解決している。清廉さが単なる拒絶で終わらず、相手の困りごとへの配慮と両立している点に、この人物の器が見える。

この章句が説くこと

清廉不貪価値観配慮賄賂の拒絶

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