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春秋左氏伝 / 襄公十年 西宮の難

諸侯伐鄭。齊崔杼使大子光先至于師。故長於滕。己酉。師于牛首。初子駟與尉止有爭。將禦諸侯之師。而黜其車。尉止獲。又與之爭。子駟抑尉止曰。爾車非禮也。遂弗使獻。初。子駟為田洫。司氏。堵氏。侯氏。子師氏。皆喪田焉。故五族聚群不逞之人。因公子之徒以作亂。於是子駟當國。子國為司馬。子耳為司空。子孔為司徒。冬。十月。戊辰。尉止。司臣。侯晉。堵女父。子師僕。帥賊以入。晨攻執政于西宮之朝。殺子駟。子國。子耳。劫鄭伯。以如北宮。子孔知之。故不死。書曰盜。言無大夫焉。子西聞盜。不儆而出。尸而追盜。盜入於北宮。

新字:諸侯伐鄭。斉崔杼使大子光先至于師。故長於滕。己酉。師于牛首。初子駟与尉止有争。将禦諸侯之師。而黜其車。尉止獲。又与之争。子駟抑尉止曰。爾車非礼也。遂弗使献。初。子駟為田洫。司氏。堵氏。侯氏。子師氏。皆喪田焉。故五族聚群不逞之人。因公子之徒以作乱。於是子駟当国。子国為司馬。子耳為司空。子孔為司徒。冬。十月。戊辰。尉止。司臣。侯晋。堵女父。子師僕。帥賊以入。晨攻執政于西宮之朝。殺子駟。子国。子耳。劫鄭伯。以如北宮。子孔知之。故不死。書曰盗。言無大夫焉。子西聞盗。不儆而出。尸而追盗。盗入於北宮。

書き下し

諸侯鄭を伐つ。齊の崔杼、大子光をして先づ師に至らしむ。故に滕より長ず。己酉、牛首に師す。初め、子駟、尉止と爭ふ有り。將に諸侯の師を禦がんとして、其の車を黜(しりぞ)く。尉止獲たり。又之と爭ふ。子駟、尉止を抑へて曰く、「爾の車は禮に非ざるなり」と。遂に獻ぜしめず。初め、子駟、田洫を為り、司氏・堵氏・侯氏・子師氏、皆田を喪ふ。故に五族、群不逞の人を聚め、公子の徒に因りて以て亂を作す。是に於て子駟國に當り、子國は司馬と為り、子耳は司空と為り、子孔は司徒と為る。冬十月戊辰、尉止・司臣・侯晉・堵女父・子師僕、賊を帥ゐて以て入り、晨に執政を西宮の朝に攻め、子駟・子國・子耳を殺し、鄭伯を劫かして、以て北宮に如く。子孔之を知る、故に死せず。書して「盜」と曰ふは、大夫無きを言ふなり。子西、盜を聞き、儆めずして出で、尸(しかばね)して盜を追ふ。盜、北宮に入る。

現代語訳

諸侯が鄭を討った。斉の崔杼は太子光を先に軍中に到着させた。そのため太子光は滕の君より上位に列した。己酉の日、牛首に陣を敷いた。これより前、子駟は尉止と争いがあった。諸侯の軍を防ごうとしたとき、子駟は尉止の兵車の数を減らした。尉止が敵を捕虜にすると、また尉止と争った。子駟は尉止を押さえつけて言った。「おまえの兵車は礼に外れている」。そしてついに捕虜を献上させなかった。またこれより前、子駟が田地の用水路を整備したとき、司氏・堵氏・侯氏・子師氏はみな田地を失った。それで尉氏を含めた五つの一族が、不平を抱く者たちを集め、公子たちの一派を頼って乱を起こした。このとき子駟が国政を執り、子国(公子発)が司馬、子耳(公孫輒)が司空、子孔(公子嘉)が司徒であった。冬十月戊辰の日、尉止・司臣・侯晋・堵女父・子師僕が賊を率いて宮中に入り、早朝、西宮の朝廷で執政たちを襲い、子駟・子国・子耳を殺し、鄭伯を脅して北宮に連れて行った。子孔は乱を事前に知っていたので、死ななかった。『春秋』がこれを「盗」と記しているのは、乱を起こした者の中に大夫がいなかったことを言っているのである。子西(子駟の子)は盗の襲撃を聞くと、備えもせずに飛び出し、父の遺体を収めてから盗を追った。盗は北宮に逃げ込んだ。

解説

前句で孟献子が予言した鄭の災いが、ここで現実になる。執政子駟は、尉止の兵車を減らし、戦功の捕虜も献上させないなど、個人的な確執から尉止を圧迫していた。さらに田地の用水路整備で四つの一族の土地を取り上げていた。不満を抱いた五族は不平分子を集めて西宮の朝廷を襲い、子駟・子国・子耳の三執政を殺害した。孟献子の「執政の三士」という予言がそのまま的中したわけである。子孔が事前に知りながら死を免れたことは、彼が乱に通じていた疑いを示唆している。『春秋』が首謀者たちを「盗」と記したのは、大夫の身分の者がいなかったからで、名を記すに値しない者の犯行として扱ったという書法の説明である。公共事業であれ人事であれ、一方的に利益を奪われた者の恨みが積もれば、それは思わぬ形で噴き出す。改革の中身が正しくても、進め方の粗さが命取りになりうることを示す事件である。

この章句が説くこと

内乱怨恨改革の反発書法権力闘争

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