春秋左氏伝 / 襄公十年 衆怒は犯し難し
乃歸授甲。臣妾多逃。器用多喪。子產聞盜為門者。庀群司。閉府庫。慎閉藏。完守備。成列而後出。兵車十七乘。尸而攻盜於北宮。子蟜帥國人助之。殺尉止。子師僕。盜眾盡死。侯晉奔晉。堵女父。司臣。尉翩。司齊。奔宋。子孔當國。為載書。以位序聽政辟。大夫諸司門子弗順。將誅之。子產止之。請為之焚書。子孔不可。曰。為書以定國。眾怒而焚之。是眾為政也。國不亦難乎。子產曰。眾怒難犯。專欲難成。合二難以安國。危之道也。不如焚書以安眾。子得所欲。眾亦得安。不亦可乎。專欲無成。犯眾興禍。子必從之。乃焚書於倉門之外。眾而後定。
新字:乃帰授甲。臣妾多逃。器用多喪。子産聞盗為門者。庀群司。閉府庫。慎閉蔵。完守備。成列而後出。兵車十七乗。尸而攻盗於北宮。子蟜帥国人助之。殺尉止。子師僕。盗衆尽死。侯晋奔晋。堵女父。司臣。尉翩。司斉。奔宋。子孔当国。為載書。以位序聴政辟。大夫諸司門子弗順。将誅之。子産止之。請為之焚書。子孔不可。曰。為書以定国。衆怒而焚之。是衆為政也。国不亦難乎。子産曰。衆怒難犯。専欲難成。合二難以安国。危之道也。不如焚書以安衆。子得所欲。衆亦得安。不亦可乎。専欲無成。犯衆興禍。子必従之。乃焚書於倉門之外。衆而後定。
書き下し
乃ち歸りて甲を授く。臣妾多く逃れ、器用多く喪ふ。子產、盜を聞き、門者を為(をさ)め、群司を庀め、府庫を閉ぢ、閉藏を慎み、守備を完うし、列を成して而る後に出づ。兵車十七乘。尸して盜を北宮に攻む。子蟜、國人を帥ゐて之を助け、尉止・子師僕を殺す。盜眾盡く死す。侯晉は晉に奔り、堵女父・司臣・尉翩・司齊は宋に奔る。子孔國に當り、載書を為りて、位序を以て政辟を聽かしむ。大夫・諸司・門子順はず。將に之を誅せんとす。子產之を止め、請ひて之が為に書を焚かしめんとす。子孔可かずして曰く、「書を為るは以て國を定めんとなり。眾怒りて之を焚かば、是れ眾政を為すなり。國亦た難からずや」と。子產曰く、「眾怒は犯し難く、專欲は成り難し。二難を合せて以て國を安んぜんとするは、危ふきの道なり。書を焚きて以て眾を安んずるに如かず。子は欲する所を得、眾も亦た安きを得ん。亦た可ならずや。專欲は成る無く、眾を犯せば禍を興す。子必ず之に從へ」と。乃ち書を倉門の外に焚き、眾而る後に定まる。
現代語訳
子西はそこで家に帰って家臣に甲冑を配ったが、下僕や侍女の多くは逃げ、器物も多く失われていた。子産(しさん、子国の子・公孫僑)は盗の襲撃を聞くと、門を守る者を配置し、各役人に職務を整えさせ、倉庫を閉じ、財物の収蔵を厳重にし、守備を固め、隊列を整えてから出撃した。兵車は十七乗であった。父の遺体を収めてから、北宮の盗を攻めた。子蟜(公孫蠆)が国人を率いてこれを助け、尉止と子師僕を殺した。盗の一味はことごとく死んだ。侯晋は晋に逃げ、堵女父・司臣・尉翩・司斉は宋に逃げた。子孔(公子嘉)が国政を執ると、盟約の文書を作り、官位の序列に従って執政の法令を聞くようにさせた。大夫や諸役人、卿の嫡子たちが従わなかったので、子孔は彼らを誅殺しようとした。子産はそれを止め、その文書を焼き捨てるよう願った。子孔は承知せずに言った。「文書を作ったのは国を安定させるためだ。人々が怒ったからといってそれを焼けば、人々が政治をすることになる。それでは国の治めようがないではないか」。子産は言った。「大勢の怒りには逆らいがたく、一人の独断の望みは成就しがたいものです。その二つの難事を合わせて国を安んじようとするのは、危うい道です。文書を焼いて人々を安心させるほうがよいでしょう。あなたは望むもの(執政の地位)を得られ、人々も安心を得られます。それでよいではありませんか。独断の望みは成就せず、人々に逆らえば禍を招きます。あなたは必ずこれに従うべきです」。そこで倉門の外で文書を焼いた。人々はそれでようやく落ち着いた。
解説
この章句が説くこと
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史記 呉王濞列伝当に賜ふべき者有らば寡人に告げよ。寡人且に往きて之を遺らんとす。敬みて以て聞す」と。七国反するの書天子に聞す。天子乃ち太尉条侯周亜夫をして三十六将軍を将ゐて、往きて呉楚を撃たしむ。曲周侯酈寄を遣はして趙を撃たしむ。将軍欒布斉を撃つ。大将軍竇嬰滎陽に屯し、斉趙の兵を監す。呉楚反するの書聞す。兵未だ発せず、竇嬰未だ行かざるに、故の呉の相袁盎を言ふ。盎時に家居す。詔して召して入見せしむ。上方に晁錯と兵を調へ軍食を笇ふ。上袁盎に問ひて曰く、「君嘗て呉の相為り。呉の臣田禄伯の人と為りを知るか。今呉楚反す。公に於て何如」と。対へて曰く、「憂ふるに足らざるなり。今破れん」と。上曰く、「呉王山に即きて銭を鋳、海水を煮て塩と為し、天下の豪桀を誘ひ、白頭にして事を挙ぐ。此の若くんば、其の計百全ならずんば、豈に発せんや。何を以て其の能く為す無しと言ふや」と。袁盎対へて曰く、「呉に銅塩の利有るは則ち之有り。安くんぞ豪桀を得て之を誘はん。誠に呉をして豪桀を得しめば、亦且に王を輔けて義を為さんとし、反せざらん。呉の誘ふ所は皆無頼の子弟、亡命して銭を鋳る姦人なり。故に相率ゐて以て反す」と。晁錯曰く、「袁盎の之を策すること善し」と。上問ひて曰く、「計安くにか出づる」と。盎対へて曰く、「願はくは左右を屏けよ」と。上人を屏く。独り錯在り。盎曰く、「臣の言ふ所は、人臣知るを得ざるなり」と。乃ち錯を屏く。錯趨りて東廂に避け、恨むこと甚だし。上卒に盎に問ふ。盎対へて曰く、「呉楚相遺る書に曰く、『高帝子弟を王とし各々分地有り。今賊臣晁錯擅に諸侯を適過し、之が地を削奪す』と。故に反するを以て名と為し、西して共に晁錯を誅し、故地を復して罷めんとす。方今の計は、独り晁錯を斬り、使を発して呉楚七国を赦し、其の故の削地を復せば、則ち兵は刃に血ぬること無くして倶に罷むべし」と。是に於て上嘿然たること良久しくして、曰く、「顧ふに誠に何如。吾一人を愛しみて以て天下に謝せざらんや」と。盎曰く、「臣の愚計は此に出づる無し。願はくは上之を孰計せよ」と。
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説苑・君道高宗なる者は武丁なり、高くして之を宗とす、故に高宗と号す。成湯の後、先王の道欠け、刑法違犯せられ、桑穀倶に朝に生じ、七日にして大いに拱す。武丁其の相を召して之を問う。其の相曰く、「吾之を知ると雖も、吾言うを得ざるなり。之を祖己に聞く、桑穀なる者は野草なり、而して朝に生ず、意うに国亡びんとするか」と。武丁恐駭し、身を飭め行いを修め、先王の政を思い、滅国を興し絶世を継ぎ、逸民を挙げ、養老を明らかにす。三年の後、蛮夷重訳して朝する者七国、此を之れ存亡継絶の主と謂う、是を以て高くして之を尊ぶなり。
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史記 扁鵲倉公列伝一熊有りて我を援かんと欲す。帝我に命じて之を射しむ。熊に中り、熊死す。羆有りて来る。我又之を射る。羆に中り、羆死す。帝甚だ喜び、我に二笥を賜ふ。皆副有り。吾児の帝の側に在るを見る。帝我に一翟犬を属して曰く、『而の子の壮なるに及びて以て之に賜へ』と。帝我に告ぐ、『晋国且に世々衰へ、七世にして亡びんとす。嬴姓将に大いに周人を范魁の西に敗らんとするも、而も亦有つ能はざるなり』と」と。董安于言を受け、書して之を蔵す。扁鵲の言を以て簡子に告ぐ。簡子扁鵲に田四万畝を賜ふ。
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史記 陳丞相世家漢王大いに怒りて罵る、陳平漢王を躡む。漢王も亦た悟り、乃ち厚く斉の使を遇し、張子房をして卒に信を立てて斉王と為さしむ。平を封ずるに戸牖郷を以てす。其の奇計策を用ひ、卒に楚を滅ぼす。常に護軍中尉を以て従ひて燕王臧荼を定む。漢六年、人の上書して楚王韓信の反くを告ぐる者有り。高帝諸将に問ふ、諸将曰く、「亟やかに兵を発して豎子を阬にせんのみ」と。高帝黙然たり。陳平に問ふ、平固く辞謝して、曰く、「諸将は云何」と。上具に之を告ぐ。陳平曰く、「人の上書して信の反くを言ふ、之を知る者有るか」と。曰く、「未だ有らず」と。曰く、「信之を知るか」と。曰く、「知らず」と。陳平曰く、「陛下の精兵は楚に孰与ぞ」と。上曰く、「過ぐる能はず」と。平曰く、「陛下の将の兵を用ふるに能く韓信に過ぐる者有るか」と。上曰く、「及ぶ莫きなり」と。平曰く、「今兵は楚の精に如かず、而して将は及ぶ能はず、而して兵を挙げて之を攻むるは、是れ之に戦ひを趣すなり、窃かに陛下の為に之を危ぶむ」と。上曰く、「之を為すこと奈何」と。平曰く、「古者天子巡狩し、諸侯を会す。南方に雲夢有り、陛下弟だ出でて偽りて雲夢に遊び、諸侯を陳に会せよ。陳は、楚の西界なり、信天子の好を以て出遊するを聞かば、其の勢必ず事無くして郊迎し謁せん。謁せば、而して陛下因りて禽にせよ、此れ特だ一力士の事のみ」と。高帝以て然りと為し、乃ち使を発して諸侯に陳に会せんことを告げしむ、「吾将に南のかた雲夢に遊ばんとす」と。上因りて随ひて以て行く。行きて未だ陳に至らざるに、楚王信果たして道中に郊迎す。高帝豫め武士を具へ、信の至るを見て、即ち之を執縛し、後車に載す。信呼びて曰く、「天下已に定まる、我固より当に烹らるべし」と。高帝顧みて信に謂ひて曰く、「若声すること毋かれ。而の反くこと、明らかなり」と。武士反接す。遂に諸侯に陳に会し、尽く楚の地を定む。還りて雒陽に至り、信を赦して以て淮陰侯と為し、而して功臣と符を剖きて封を定む。是に於て平と符を剖き、世世絶ゆること勿からしめ、戸牖侯と為す。平辞して曰く、「此れ臣の功に非ざるなり」と。
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説苑・奉使秦楚兵を轂う。秦王人をして楚に使いせしむ。楚王人をして之を戲れしめて曰く、「子來るに亦た之を卜せしか。」對えて曰く、「然り。」「卜して何をか謂うや。」對えて曰く、「吉なり。」楚人曰く、「噫、甚だしいかな、子の國良龜無きなり。王將に子を殺して以て鐘に釁らんとす、其の吉なること如何。」使者曰く、「秦楚兵を轂う、吾が王我をして先んじて窺わしむ。我死して還らずんば、則ち吾が王警戒を知り、兵を整齊して以て楚に備う。是れ吾が所謂吉なり。且つ死者にして知無くんば、又た何ぞ鐘に釁らん。死者にして知有らば、吾豈に秦を錯きて楚を相みんや。我將に楚の鐘鼓をして聲無からしめんとす。鐘鼓聲無くんば則ち將に其の士卒を整齊して君の軍を理むる無からんとす。夫れ人の使いを殺し、人の謀を絕つは、古の通議に非ざるなり。子大夫試みに熟ら之を計れ。」使者以て楚王に報ず。楚王之を赦す。此れを之れ「造命」と謂う。
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『春秋左氏伝』哀公十六年 葉公、冑を免ぐ遂に之を殺して、王を以て高府に如く。石乞、門に尹たり。圉公陽、宮に穴し、王を負ひて以て昭夫人の宮に如く。葉公も亦た至る。北門に及ぶ。或ひと之に遇ひて曰く、「君胡ぞ冑せざる。國人の君を望むこと、慈父母を望むが如し。盜賊の矢、若し君を傷つけば、是れ民の望を絕つなり。之を若何ぞ冑せざる」と。乃ち冑して進む。又一人に遇ふ。曰く、「君胡ぞ冑する。國人の君を望むこと、歲を望むが如し。日日以て幾ふ。若し君の面を見ば、是れ艾を得るなり。民、死せざるを知らば、其れ亦た夫の奮心有らん。猶ほ將に君を旌して以て國に徇へんとす。而るを反つて面を掩ひて以て民の望を絕つ。亦た甚だしからずや」と。乃ち冑を免ぎて進む。箴尹固の、其の屬を帥ゐて將に白公に與せんとするに遇ふ。子高曰く、「二子微かりせば、楚は國ならず。德を棄てて賊に從ふ、其れ保つ可けんや」と。乃ち葉公に從ふ。國人と與に以て白公を攻めしむ。白公、山に奔りて縊る。其の徒、之を微す。石乞を生拘して、白公の死を問ふ。對へて曰く、「余、其の死所を知る。
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