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春秋左氏伝 / 襄公九年 晋侯、襄公の冠を勧む

十二月。癸亥。門其三門。閏月。戊寅。濟于陰阪。侵鄭。次于陰口而還。子孔曰。晉師可擊也。師老而勞。且有歸志。必大克之。子展曰。不可。公送晉侯。晉侯以公宴于河上。問公年。季武子對曰。會于沙隨之歲。寡君以生。晉侯曰。十二年矣。是謂一終。一星終也。國君十五而生子。冠而生子。禮也。君可以冠矣。大夫盍為冠具。武子對曰。君冠。必以祼享之禮行之。以金石之樂節之。以先君之祧處之。今寡君在行。未可具也。請及兄弟之國。而假備焉。晉侯曰。諾。公還及衛。冠于成公之廟。假鍾磬焉。禮也。楚子伐鄭。子駟將及楚平。

新字:十二月。癸亥。門其三門。閏月。戊寅。済于陰阪。侵鄭。次于陰口而還。子孔曰。晋師可撃也。師老而労。且有帰志。必大克之。子展曰。不可。公送晋侯。晋侯以公宴于河上。問公年。季武子対曰。会于沙随之歳。寡君以生。晋侯曰。十二年矣。是謂一終。一星終也。国君十五而生子。冠而生子。礼也。君可以冠矣。大夫盍為冠具。武子対曰。君冠。必以祼享之礼行之。以金石之楽節之。以先君之祧処之。今寡君在行。未可具也。請及兄弟之国。而仮備焉。晋侯曰。諾。公還及衛。冠于成公之廟。仮鍾磬焉。礼也。楚子伐鄭。子駟将及楚平。

書き下し

十二月癸亥、其の三門に門す。閏月戊寅、陰阪に濟りて鄭を侵し、陰口に次りて還る。子孔曰く、「晉師擊つべきなり。師老いて勞れ、且つ歸志有り。必ず大いに之に克たん」と。子展曰く、「不可なり」と。公、晉侯を送る。晉侯、公を以て河上に宴し、公の年を問ふ。季武子對へて曰く、「沙隨に會するの歲、寡君以て生まる」と。晉侯曰く、「十二年なり。是を一終と謂ふ。一星終るなり。國君は十五にして子を生む。冠して子を生むは、禮なり。君以て冠すべし。大夫盍ぞ冠具を為らざる」と。武子對へて曰く、「君の冠するや、必ず祼享(くわんきやう)の禮を以て之を行ひ、金石の樂を以て之を節し、先君の祧を以て之に處る。今、寡君行に在り、未だ具ふべからざるなり。請ふ兄弟の國に及びて、備を假らん」と。晉侯曰く、「諾」と。公還りて衛に及び、成公の廟に冠し、鍾磬を假る。禮なり。楚子鄭を伐つ。子駟將に楚と平がんとす。

現代語訳

十二月癸亥の日、晋を中心とする諸侯軍は鄭の三つの門を攻めた。閏月戊寅の日、陰阪で川を渡って鄭に侵攻し、陰口に駐屯してから引き揚げた。子孔(鄭の公子嘉)は言った。「晋軍は討つことができます。軍は長く戦って疲れ、しかも帰りたがっています。必ず大勝できましょう」。子展は言った。「いけません」。襄公は晋の悼公を見送った。悼公は襄公のために黄河のほとりで宴を催し、襄公の年を尋ねた。季武子が答えた。「沙随で会盟した年に、我が君はお生まれになりました」。悼公は言った。「十二年になるな。これを一終という。歳星(木星)が天を一周したということだ。国君は十五歳で子をもうける。冠礼を済ませてから子をもうけるのが礼である。君はもう冠礼をしてよい。大夫はどうして冠礼の用意をしないのか」。武子は答えた。「君の冠礼は、必ず酒を注いで神を降ろす祼享の礼によって行い、鐘や磬の音楽でその節目を整え、先君の廟で執り行うものです。いま我が君は旅の途中ですので、まだ備えることができません。どうか兄弟の国に着いてから、その備えを借りさせてください」。悼公は「よろしい」と言った。襄公は帰途に衛に至り、衛の成公の廟で冠礼を行い、鐘と磬を借りた。礼にかなっている。楚の共王が鄭を討った。子駟は楚と講和しようとした。

解説

戯の盟の後も鄭は晋に従い切らず、晋は再び鄭を攻めて引き揚げる。撤退する晋軍を討とうという子孔の進言を子展が退けたのは、晋と正面から敵対する危うさを知っていたからである。後半は一転して、魯の襄公の冠礼(成人式)の話になる。晋の悼公は十二歳の襄公に、歳星が一巡したのだから冠礼をすべきだと勧めた。季武子は、冠礼は宗廟で祼享の礼と音楽を備えて行うもので、旅先ではできないと答え、帰途、魯と同じく文王の子を祖とする「兄弟の国」衛で、その廟と楽器を借りて行った。形式を軽んじず、しかし状況に応じて礼を満たす方法を探る季武子の対応を、左伝は「礼なり」と評価している。他国の君主の成人を気にかける悼公の配慮も、盟主の器を示す一面である。儀式や手続きを省略せずに、制約の中でどう形を整えるかという工夫が読みどころである。

この章句が説くこと

冠礼礼形式と実質自制盟主

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