春秋左氏伝 / 襄公九年 戯の盟、載書を争ふ
十一月。己亥。同盟于戲。鄭服也。將盟。鄭六卿公子騑。公子發。公子嘉。公孫輒。公孫蠆。公孫舍之。及其大夫門子皆從鄭伯。晉士莊子為載書。曰。自今日既盟之後。鄭國而不唯晉命是聽。而或有異志者。有如此盟。公子騑趨進曰。天禍鄭國。使介居二大國之閒。大國不加德音。而亂以要之。使其鬼神不獲歆其禋祀。其民人不獲享其土利。夫婦辛苦墊隘。無所底告。自今日既盟之後。鄭國而不唯有禮與彊。可以庇民者是從。而敢有異志者。亦如之。荀偃曰。改載書。公孫舍之曰。昭大神要言焉。若可改也。大國亦可叛也。知武子謂獻子曰。我實不德。而要人以盟。豈禮也哉。非禮何以主盟。姑盟而退。脩德息師而來。終必獲鄭。何必今日。我之不德。民將棄我。豈唯鄭。若能休和。遠人將至。何恃於鄭。乃盟而還。晉人不得志於鄭。以諸侯復伐之。
新字:十一月。己亥。同盟于戯。鄭服也。将盟。鄭六卿公子騑。公子発。公子嘉。公孫輒。公孫蠆。公孫舎之。及其大夫門子皆従鄭伯。晋士荘子為載書。曰。自今日既盟之後。鄭国而不唯晋命是聴。而或有異志者。有如此盟。公子騑趨進曰。天禍鄭国。使介居二大国之閒。大国不加徳音。而乱以要之。使其鬼神不獲歆其禋祀。其民人不獲享其土利。夫婦辛苦墊隘。無所底告。自今日既盟之後。鄭国而不唯有礼与彊。可以庇民者是従。而敢有異志者。亦如之。荀偃曰。改載書。公孫舎之曰。昭大神要言焉。若可改也。大国亦可叛也。知武子謂献子曰。我実不徳。而要人以盟。豈礼也哉。非礼何以主盟。姑盟而退。脩徳息師而来。終必獲鄭。何必今日。我之不徳。民将棄我。豈唯鄭。若能休和。遠人将至。何恃於鄭。乃盟而還。晋人不得志於鄭。以諸侯復伐之。
書き下し
十一月己亥、戲に同盟す。鄭服すればなり。將に盟はんとす。鄭の六卿、公子騑・公子發・公子嘉・公孫輒・公孫蠆・公孫舍之、及び其の大夫・門子、皆鄭伯に從ふ。晉の士莊子、載書を為りて曰く、「今日既に盟ひし後より、鄭國にして唯だ晉の命を是れ聽かず、或いは異志有る者は、此の盟の如き有らん」と。公子騑趨り進みて曰く、「天、鄭國に禍し、二大國の閒に介居せしむ。大國、德音を加へずして、亂して以て之を要す。其の鬼神をして其の禋祀を歆(う)くるを獲ざらしめ、其の民人をして其の土利を享くるを獲ざらしむ。夫婦辛苦墊隘して、底(いた)り告ぐる所無し。今日既に盟ひし後より、鄭國にして唯だ禮と彊とありて以て民を庇ふべき者に是れ從はず、敢へて異志有る者は、亦た之の如くならん」と。荀偃曰く、「載書を改めよ」と。公孫舍之曰く、「大神に昭らかにして言を要せり。若し改むべくんば、大國も亦た叛くべきなり」と。知武子、獻子に謂ひて曰く、「我實に不德にして、人に要するに盟を以てす、豈に禮ならんや。禮に非ずんば何を以て盟を主らん。姑く盟ひて退き、德を脩め師を息めて來らば、終に必ず鄭を獲ん。何ぞ必ずしも今日ならん。我の不德なる、民將に我を棄てんとす、豈に唯だ鄭のみならんや。若し能く休和せば、遠人將に至らんとす。何ぞ鄭を恃まん」と。乃ち盟ひて還る。晉人鄭に志を得ず、諸侯を以て復た之を伐つ。
現代語訳
十一月己亥の日、戯で同盟を結んだ。鄭が服従したからである。盟約を結ぼうとするとき、鄭の六卿である公子騑(子駟)・公子発(子国)・公子嘉(子孔)・公孫輒(子耳)・公孫蠆(子蟜)・公孫舎之(子展)と、その大夫や嫡子たちが皆、鄭伯に従って臨んだ。晋の士荘子(士弱)が盟約の文書を作って言った。「今日盟約を結んだ後、鄭国がもし晋の命令だけに従うのでなく、二心を抱くことがあれば、この盟約の誓いのとおりの罰を受けよう」。すると公子騑が小走りに進み出て言った。「天は鄭国に禍を下し、二つの大国の間に挟まれて住まわせました。大国は徳ある言葉をかけることもなく、乱を起こして我々に盟約を強いてきます。そのため鄭の鬼神は祭祀を受けられず、民はその土地の恵みを享けられず、夫も妻も苦しみ行き詰まって、訴えるところもありません。今日盟約を結んだ後、鄭国がもし、礼と強さとを備えて民を守ることのできる国に従うのでなく、あえて二心を抱くことがあれば、同じく罰を受けよう」。荀偃(中行献子)は言った。「盟約の文書を改めさせよ」。公孫舎之(子展)は言った。「すでに大いなる神々に明らかに誓いの言葉を告げたのです。もしそれを改めてよいのなら、大国に背くこともまた許されましょう」。知武子は中行献子に言った。「我々は実際に徳がなく、人に盟約を強要している。どうしてそれが礼であろうか。礼でなければ、どうして盟主となれようか。ひとまず盟約を結んで退き、徳を修め兵を休めてから来れば、最後には必ず鄭を得られる。どうして今日でなければならないのか。我々に徳がなければ、民も我々を見捨てるだろう。鄭だけではない。もし安らかに和することができれば、遠くの人々もやって来るだろう。どうして鄭だけを頼みにしようか」。そこで盟約を結んで帰った。晋の人々は鄭に対して思いどおりにならなかったので、諸侯を率いて再び鄭を討った。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『囲炉夜話』第三十八則・人をして我を欺くに忍びざらしむ但だ我の人を濟ふを肯ぜざるを患へよ、我の人を濟ふ能はざるを患ふるを休めよ。 須らく人をして我を欺くに忍びざらしむべし、人をして敢へて我を欺かざらしむる勿れ。
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尚書・蔡仲之命皇天は親しむ無く、惟れ德を是れ輔く。民心は常無く、惟れ惠を之れ懷く。
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『酔古堂剣掃』集靈・位人臣を極むと雖も人其の過を議す我如し善を為さば、一介の寒士と雖も、人其の德に服する有り。我如し惡を為さば、位人臣を極むと雖も、人其の過を議する有り。
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『春秋左氏伝』襄公二十四年 象は歯ありて身を焚く二月、鄭伯晉に如く。子產書を子西に寓して、以って宣子に告げて曰く、「子晉國を為(をさ)めて、四鄰の諸侯、令德を聞かずして、重幣を聞く。僑や之に惑ふ。僑聞く、君子の國家に長たる者は、賄無きを之れ患ふるに非ずして、令名無きを之れ難しとす、と。夫れ諸侯の賄、公室に聚まれば、則ち諸侯貳す。若し吾子之を賴らば、則ち晉國貳す。諸侯貳すれば則ち晉國壞れ、晉國貳すれば則ち子の家壞る。何ぞ沒沒たるや。將た焉んぞ賄を用ゐん。夫れ令名は、德の輿なり。德は、國家の基なり。基有りて壞るること無きは、亦た是れ務めざらんや。德有れば則ち樂しみ、樂しめば則ち能く久し。詩に云ふ、『樂しき君子は、邦家の基』と。令德有るなり。『上帝女に臨む、爾の心を貳にする無かれ』と。令名有るなり。恕を夫(も)ちて思ひて以って德を明らかにせば、則ち令名載せて之を行ふ。是を以って遠きは至り邇きは安んず。毋寧ろ人をして子を謂はしむるに、『子實に我を生かす』とせんか、而して『子我を浚(しぼ)りて以って生く』と謂はしめんか。象は齒有りて以って其の身を焚かる、賄なればなり」と。宣子說び、乃ち幣を輕くす。是の行や、鄭伯晉に朝するは、重幣の為の故なり、且つ陳を伐たんことを請ふなり。鄭伯稽首す。宣子辭す。子西相けて曰く、「陳國の介なるを以って、大國を恃みて敝邑を陵虐す。寡君是を以って罪を請ふ。敢へて稽首せざらんや」と。孟孝伯齊を侵す、晉の故なり。
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『都鄙問答』卷之四・學者ノ行狀心得難キヲ問ノ段或ひと問ひて曰く、或所に幼年より学問し、四書五経は云ふに及ばず、何にても書物暗ずる程の徳有る人あり。然れども心得がたきこと多し。一事を挙げて云はゞ、金銀借用等に、不埒なること多し。夫ともに、手前にも倹約を守らるゝ上にて、是非なく不足あらば、他の了簡も有るべけれど、手前は取りじめなく、他人に不埒をなし、且つ親への事も、何とやら悪鋪ところ有りて、親の心に合はざれば、先づは不孝と云ふべきか。扠身の行作を見れば、物知り顔に我をたかぶり、弁舌は鮮なれども、聞きなれぬ挨拶にて、兎角耳に入りにくし。なにとやら寄りそひがたき風俗有りて、十人が九人までは嫌ふなり。是を以て見れば、親の気に入らぬも、尤なりと云ふ者多し。博学の徳有りて、加様なる身持あるは、如何なることぞ。
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論語・為政篇子曰く、政を為すに徳を以てすれば、譬えば北辰其の所に居て衆星之に共(むか)うが如し。
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