春秋左氏伝 / 襄公八年 彤弓を賦す
晉范宣子來聘。且拜公之辱。告將用師于鄭。公享之。宣子賦摽有梅。季武子曰。誰敢哉。今譬於草木。寡君在君。君之臭味也。歡以承命。何時之有。武子賦角弓。賓將出。武子賦彤弓。宣子曰。城濮之役。我先君文公獻功于衡雍。受彤弓于襄王。以為子孫藏。匄也。先君守官之嗣也。敢不承命。君子以為知禮。
新字:晋范宣子来聘。且拝公之辱。告将用師于鄭。公享之。宣子賦摽有梅。季武子曰。誰敢哉。今譬於草木。寡君在君。君之臭味也。歓以承命。何時之有。武子賦角弓。賓将出。武子賦彤弓。宣子曰。城濮之役。我先君文公献功于衡雍。受彤弓于襄王。以為子孫蔵。匄也。先君守官之嗣也。敢不承命。君子以為知礼。
書き下し
晉の范宣子來聘し、且つ公の辱を拜し、將に師を鄭に用ゐんとするを告ぐ。公之を享す。宣子、摽有梅を賦す。季武子曰く、「誰か敢へてせんや。今、草木に譬ふれば、寡君の君に在るは、君の臭味なり。歡んで以て命を承けん、何の時か之れ有らん」と。武子、角弓を賦す。賓將に出でんとす。武子、彤弓を賦す。宣子曰く、「城濮の役に、我が先君文公、功を衡雍に獻じ、彤弓を襄王に受けて、以て子孫の藏と為す。匄や、先君の守官の嗣なり。敢へて命を承けざらんや」と。君子以て禮を知ると為す。
現代語訳
晋の范宣子(はんせんし、士匄)が魯に来聘し、あわせて襄公が晋に朝見してくれた労への礼を述べ、鄭に対して出兵するつもりであることを告げた。襄公は宣子を饗宴でもてなした。宣子は『詩経』の摽有梅(ひょうゆうばい、時機を逃さず求めよと歌う詩)を吟じて、出兵に時を移さず加わるよう求めた。季武子(きぶし、魯の執政・季孫宿)は言った。「誰がためらいましょうか。いま草木にたとえるなら、我が君が貴君(晋侯)に対するのは、同じ草木の香りのようなもので、同類なのです。喜んで命を承ります、いつであろうと構いません」。武子は角弓(兄弟親族は疎遠になってはならないと歌う詩)を吟じた。賓客が退出しようとすると、武子は彤弓(とうきゅう、天子が功ある諸侯に朱塗りの弓を賜うことを歌う詩)を吟じた。宣子は言った。「城濮の戦いで、我が先君文公は衡雍で戦勝を献上し、襄王から彤弓を賜って、子孫の宝として納めました。私、匄は、その先君に仕えて官職を守った者の後継ぎです。どうして命を承らずにおれましょう」。君子は、この応酬を礼をわきまえたものと評した。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
-
『春秋左氏伝』文公三年 菁菁たる莪を賦す晉人其の公に無禮なりしを懼れ、盟を改めんことを請ふ。公晉に如き、晉侯に及びて盟ふ。晉侯公を饗し、《菁菁者莪》を賦す。莊叔公を以って降りて拜し、曰く、「小國命を大國に受く。敢へて儀を慎まざらんや。君之に貺(たま)ふに大禮を以ってす。何の樂しみか之に如かん。抑も小國の樂しみは、大國の惠なり」と。晉侯降りて辭す。登りて拜を成す。公《嘉樂》を賦す。
-
『春秋左氏伝』昭公二年 忠信は礼の器夏、四月、韓須齊に如きて女を逆ふ。齊の陳無宇女を送り、少姜を致す。少姜晉侯に寵有り、晉侯之を少齊と謂ふ。陳無宇を卿に非ずと謂ひて、諸を中都に執ふ。少姜之が為に請ひて曰く、「送るは逆ふるの班に從ふ。大國を畏るるなり。猶ほ易ふる所有り、是を以って亂作る」と。叔弓晉に聘す、宣子に報ゆるなり。晉侯郊勞せしむ。辭して曰く、「寡君弓をして來りて舊好を繼がしむ」と。固(かた)く曰く、「『女(なんぢ)敢へて賓と為る無かれ』と。命を執事に徹すれば、敝邑弘(おほ)いなり。敢へて郊使を辱めんや。請ふ辭せん」と。館を致す。辭して曰く、「寡君下臣に命じて來りて舊好を繼がしむ。好合し使成るは、臣の祿なり。敢へて大館を辱めんや」と。叔向曰く、「子叔子は禮を知れるかな。吾之を聞けり、曰く、『忠信は禮の器なり。卑讓は禮の宗なり。辭して國を忘れざるは、忠信なり。國を先にして己を後にするは、卑讓なり』と。《詩》に曰く、『威儀を敬慎し、以って有德に近づく』と。夫子は德に近し」と。
-
『春秋左氏伝』昭公二年 周礼尽く魯に在り二年春、晉侯韓宣子をして來聘せしむ。且つ政を為すを告げて來り見ゆ、禮なり。書を大史氏に觀、易象と魯の春秋とを見て曰く、「周禮盡く魯に在り。吾乃ち今周公の德と、周の王たる所以とを知れり」と。公之を享す。季武子《綿》の卒章を賦し、韓子《角弓》を賦す。季武子拜して曰く、「敢へて子の敝邑を彌縫するを拜す。寡君望み有り」と。武子《節》の卒章を賦す。既に享し、季氏に宴す。嘉樹有り。宣子之を譽む。武子曰く、「宿敢へて此の樹を封殖して、以って《角弓》を忘るること無からざらんや」と。遂に《甘棠》を賦す。宣子曰く、「起は堪へざるなり、以って召公に及ぶ無し」と。宣子遂に齊に如きて幣を納る。子雅に見ゆ。子雅子旗を召し、宣子に見えしむ。宣子曰く、「家を保つの主に非ざるなり、臣ならず」と。子尾に見ゆ。子尾彊を見えしむ。宣子之を謂ふこと子旗の如し。大夫多く之を笑ふ。唯だ晏子之を信じて曰く、「夫子は君子なり。君子は信有り、其れ以って之を知る有らん」と。齊より衛に聘す。衛侯之を享す。北宮文子《淇澳》を賦し、宣子《木瓜》を賦す。
-
『春秋左氏伝』文公四年 甯武子、湛露に答えず衛の甯武子來聘す。公之と宴し、為に《湛露》及び《彤弓》を賦す。辭せず、又荅賦せず。行人をして私(ひそ)かにせしむ。對へて曰く、臣以為へらく肄業して之に及べるなり。昔諸侯正を王に朝し、王宴して之を樂しましむ。是に於いてか《湛露》を賦す。則ち天子陽に當たり、諸侯命を用ゐるなり。諸侯王の愾(いきどほ)る所に敵して、其の功を獻ず。王是に於いてか之に賜ふ、彤弓一、彤矢百、玈弓矢千、以って報宴を覺(あらは)す。今陪臣來りて舊好を繼ぐ。君辱くも之を貺ふ。其れ敢へて大禮を干(をか)して以って自ら戾(つみ)を取らんや、と。冬、成風薨ず。
-
『春秋左氏伝』僖公三十年 周公閲、備物の饗を辞す初め、鄭の公子蘭出でて晉に奔り、晉侯に從ひて鄭を伐つ。鄭を圍むに與ること無からんことを請ふ。之を許し、命を東に待たしむ。鄭の石甲父・侯宣多逆へて以って大子と為し、以って成を晉に求む。晉人之を許す。冬、王周公閱をして來聘せしむ。饗に昌歜(しゃうさん)・白・黑・形鹽有り。辭して曰く、「國君は、文は以って昭らかにするに足り、武は畏る可きなり。則ち備物の饗有りて、以って其の德に象る。五味を薦め、嘉穀を羞(すす)め、鹽は虎の形にして、以って其の功を獻ず。吾何を以ってか之に堪へん」と。東門襄仲將に周に聘せんとし、遂に初めて晉に聘す。
-
『春秋左氏伝』文公十二年 国に陋なし春、郕伯卒す。郕人君を立つ。大子夫鍾と郕邽とを以って來奔す。公諸侯を以って之を逆ふ、禮に非ざるなり。故に書して曰く、「郕伯來奔す」と。地を書せざるは、諸侯を尊ぶなり。杞の桓公來朝す、始めて公に朝するなり。且つ叔姬を絕たんことを請ひて、昏を絕つこと無からんとす、公之を許す。二月、叔姬卒す。杞と言はざるは、絕てばなり。叔姬と書するは、女に非ざるを言ふなり。楚の令尹大孫伯卒し、成嘉令尹と為る。群舒楚に叛く。夏、子孔舒子平、及び宗子を執へ、遂に巢を圍む。秋、滕の昭公來朝す、亦た始めて公に朝するなり。秦伯西乞術をして來聘せしめ、且つ將に晉を伐たんとするを言ふ。襄仲玉を辭して曰く、「君先君の好を忘れず、魯國を照臨し、其の社稷を鎮撫し、之に重ぬるに大器を以ってす。寡君敢へて玉を辭す」と。對へて曰く、「不腆(ふてん)の敝器、辭するに足らざるなり」と。主人三たび辭す。賓答へて曰く、「寡君周公・魯公に福を徼(もと)めて、以って君に事へんことを願ふ。不腆なる先君の敝器、下臣をして諸を執事に致さしめ、以って瑞節と為し、好命を要結す。寡君の命を藉(し)きて、二國の好を結ぶ所以なり。是を以って敢へて之を致す」と。襄仲曰く、「君子有らずんば、其れ能く國せんや。國陋なること無し」と。厚く之に賄す。秦令狐の役の為の故に、
人生の答えは、ぜんぶ古典に書いてあった。
古典の入門書『人生の教科書』(PDF)と、師導の全機能1か月がセットで700円。二十四の悩みに、論語・老子・孫子から徒然草・五輪書までが答えます。
本の中身を見る