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春秋左氏伝 / 文公四年 甯武子、湛露に答えず

衛甯武子來聘,公與之宴,為賦《湛露》,及《彤弓》。不辭,又不荅賦,使行人私焉。對曰,臣以為肄業及之也,昔諸侯朝正於王,王宴樂之,於是乎賦《湛露》,則天子當陽,諸侯用命也。諸侯敵王所愾,而獻其功,王於是乎賜之,彤弓一,彤矢百,玈弓矢千,以覺報宴。今陪臣來繼舊好,君辱貺之,其敢干大禮以自取戾。冬,成風薨。

新字:衛甯武子来聘,公与之宴,為賦《湛露》,及《彤弓》。不辞,又不荅賦,使行人私焉。対曰,臣以為肄業及之也,昔諸侯朝正於王,王宴楽之,於是乎賦《湛露》,則天子当陽,諸侯用命也。諸侯敵王所愾,而献其功,王於是乎賜之,彤弓一,彤矢百,玈弓矢千,以覚報宴。今陪臣来継旧好,君辱貺之,其敢干大礼以自取戻。冬,成風薨。

書き下し

衛の甯武子來聘す。公之と宴し、為に《湛露》及び《彤弓》を賦す。辭せず、又荅賦せず。行人をして私(ひそ)かにせしむ。對へて曰く、臣以為へらく肄業して之に及べるなり。昔諸侯正を王に朝し、王宴して之を樂しましむ。是に於いてか《湛露》を賦す。則ち天子陽に當たり、諸侯命を用ゐるなり。諸侯王の愾(いきどほ)る所に敵して、其の功を獻ず。王是に於いてか之に賜ふ、彤弓一、彤矢百、玈弓矢千、以って報宴を覺(あらは)す。今陪臣來りて舊好を繼ぐ。君辱くも之を貺ふ。其れ敢へて大禮を干(をか)して以って自ら戾(つみ)を取らんや、と。冬、成風薨ず。

現代語訳

衛の甯武子(甯俞)が魯に聘問に来た。文公は彼と宴を開き、そのために『詩経』の「湛露(たんろ)」と「彤弓(とうきゅう)」を楽人に歌わせた。甯武子は辞退もせず、答えの詩を歌うこともしなかった。文公は接待役の行人にひそかにその理由を尋ねさせた。甯武子は答えた。「私は、楽人が練習のついでにこの歌に及んだのだと思っておりました。昔、諸侯が正月に王に朝見すると、王は宴を開いて諸侯を楽しませ、そのとき『湛露』を歌わせました。これは天子が南面して太陽のように臨み、諸侯が命に従うことを表すものです。諸侯が王の憤る敵に立ち向かって功を献じると、王はそこで彼らに赤い弓一張、赤い矢百本、黒い弓と矢千を賜り、その功に報いる宴であることを明らかにしたのです(『彤弓』はそのときの歌です)。いま陪臣(諸侯の臣である私)が来て古い友好を継ごうとしているところへ、君はかたじけなくもこれを賜りました。どうして大礼を犯して、自ら罪を招くことができましょうか」。冬、成風(僖公の母)が亡くなった。

解説

衛の甯武子を迎えた宴で、魯の文公は『詩経』の「湛露」と「彤弓」を歌わせた。どちらも天子が諸侯をもてなし、功ある諸侯に弓矢を賜るときの歌で、国君が他国の大夫に向けるには格が高すぎる。甯武子は辞退もせず答詩も返さず、黙っていた。わけを尋ねられて、楽人の練習だと思っていたと答え、そのうえで二つの詩の本来の意味を説き、「其れ敢へて大禮を干して以って自ら戾を取らんや」と結んだ。天子の礼を陪臣が受ければ僭越になる。とはいえ、主人の失礼を正面から指摘すれば角が立つ。そこで、聞かなかったことにして場をやり過ごし、問われて初めて理由を明かした。甯武子は、主君を獄中で支え続けた忠臣として前の句にも登場している。孔子が『論語』で「其の知は及ぶ可きなり、其の愚は及ぶ可からざるなり」と評した人物である。相手の誤りに気づいたとき、それを公の場で正すか、黙って受け流すかは、今も判断が分かれる。

この章句が説くこと

分限礼機知謙譲外交

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