春秋左氏伝 / 昭公二年 周礼尽く魯に在り
二年春,晉侯使韓宣子來聘,且告為政,而來見禮也;觀書於大史氏,見易象與魯春秋,曰:「周禮盡在魯矣,吾乃今知周公之德,與周之所以王也。」公享之,季武子賦《綿》之卒章,韓子賦《角弓》。季武子拜曰:「敢拜子之彌縫敝邑,寡君有望矣。」武子賦《節》之卒章,既享,宴于季氏,有嘉樹焉。宣子譽之,武子曰:「宿敢不封殖此樹以無忘《角弓》,遂賦《甘棠》。」宣子曰:「起不堪也,無以及召公。」宣子遂如齊納幣,見子雅,子雅召子旗,使見宣子。宣子曰:「非保家之主也,不臣。」見子尾,子尾見彊,宣子謂之如子旗。大夫多笑之,唯晏子信之,曰:「夫子君子也,君子有信,其有以知之矣。」自齊聘於衛,衛侯享之。北宮文子賦《淇澳》,宣子賦《木瓜》。
新字:二年春,晋侯使韓宣子来聘,且告為政,而来見礼也;観書於大史氏,見易象与魯春秋,曰:「周礼尽在魯矣,吾乃今知周公之徳,与周之所以王也。」公享之,季武子賦《綿》之卒章,韓子賦《角弓》。季武子拝曰:「敢拝子之弥縫敝邑,寡君有望矣。」武子賦《節》之卒章,既享,宴于季氏,有嘉樹焉。宣子誉之,武子曰:「宿敢不封殖此樹以無忘《角弓》,遂賦《甘棠》。」宣子曰:「起不堪也,無以及召公。」宣子遂如斉納幣,見子雅,子雅召子旗,使見宣子。宣子曰:「非保家之主也,不臣。」見子尾,子尾見彊,宣子謂之如子旗。大夫多笑之,唯晏子信之,曰:「夫子君子也,君子有信,其有以知之矣。」自斉聘於衛,衛侯享之。北宮文子賦《淇澳》,宣子賦《木瓜》。
書き下し
二年春、晉侯韓宣子をして來聘せしむ。且つ政を為すを告げて來り見ゆ、禮なり。書を大史氏に觀、易象と魯の春秋とを見て曰く、「周禮盡く魯に在り。吾乃ち今周公の德と、周の王たる所以とを知れり」と。公之を享す。季武子《綿》の卒章を賦し、韓子《角弓》を賦す。季武子拜して曰く、「敢へて子の敝邑を彌縫するを拜す。寡君望み有り」と。武子《節》の卒章を賦す。既に享し、季氏に宴す。嘉樹有り。宣子之を譽む。武子曰く、「宿敢へて此の樹を封殖して、以って《角弓》を忘るること無からざらんや」と。遂に《甘棠》を賦す。宣子曰く、「起は堪へざるなり、以って召公に及ぶ無し」と。宣子遂に齊に如きて幣を納る。子雅に見ゆ。子雅子旗を召し、宣子に見えしむ。宣子曰く、「家を保つの主に非ざるなり、臣ならず」と。子尾に見ゆ。子尾彊を見えしむ。宣子之を謂ふこと子旗の如し。大夫多く之を笑ふ。唯だ晏子之を信じて曰く、「夫子は君子なり。君子は信有り、其れ以って之を知る有らん」と。齊より衛に聘す。衛侯之を享す。北宮文子《淇澳》を賦し、宣子《木瓜》を賦す。
現代語訳
二年の春、晋侯は韓宣子(韓起)を魯に聘問させた。あわせて、自分が(趙武に代わって)執政となったことを告げ、挨拶に来たのである。これは礼にかなっている。韓宣子は魯の大史の家で書物を見て、『易』の卦象と魯の『春秋』を見て言った。「周の礼はことごとく魯にある。私はいまはじめて、周公の徳と、周が天下の王となったわけを知った」。昭公は宣子を饗応した。季武子(季孫宿)が『詩』の「綿」の最後の章を歌い、韓宣子は「角弓」を歌った。季武子は拝礼して言った。「あなたがわが国の欠けたところを繕ってくださることに、拝してお礼申し上げます。わが君にも望みができました」。季武子はさらに「節南山」の最後の章を歌った。饗応が終わると、季氏の家で宴を開いた。そこに見事な樹があり、宣子がこれを褒めた。季武子は言った。「私はこの樹を大切に育てて、『角弓』の詩を忘れないようにいたします」。そして「甘棠」を歌った。宣子は言った。「私はとてもその任に堪えません。召公には及びもつきません」。宣子はそのまま斉に行き、(晋侯の婚約の)結納を納めた。子雅に会うと、子雅は子の子旗を呼んで宣子に会わせた。宣子は言った。「家を保つ主ではない。臣下としての分を守らないだろう」。子尾に会うと、子尾は子の彊を会わせた。宣子は彼についても子旗と同じことを言った。大夫の多くはこれを笑ったが、晏子だけはそれを信じて言った。「あの方は君子である。君子には真実がある。何か見抜くところがあるのだろう」。宣子は斉から衛へ聘問した。衛侯が饗応した。北宮文子が「淇澳」を歌い、宣子は「木瓜」を歌った。
解説
この章句が説くこと
関連する章句
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『春秋左氏伝』襄公八年 彤弓を賦す晉の范宣子來聘し、且つ公の辱を拜し、將に師を鄭に用ゐんとするを告ぐ。公之を享す。宣子、摽有梅を賦す。季武子曰く、「誰か敢へてせんや。今、草木に譬ふれば、寡君の君に在るは、君の臭味なり。歡んで以て命を承けん、何の時か之れ有らん」と。武子、角弓を賦す。賓將に出でんとす。武子、彤弓を賦す。宣子曰く、「城濮の役に、我が先君文公、功を衡雍に獻じ、彤弓を襄王に受けて、以て子孫の藏と為す。匄や、先君の守官の嗣なり。敢へて命を承けざらんや」と。君子以て禮を知ると為す。
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『春秋左氏伝』昭公二年 忠信は礼の器夏、四月、韓須齊に如きて女を逆ふ。齊の陳無宇女を送り、少姜を致す。少姜晉侯に寵有り、晉侯之を少齊と謂ふ。陳無宇を卿に非ずと謂ひて、諸を中都に執ふ。少姜之が為に請ひて曰く、「送るは逆ふるの班に從ふ。大國を畏るるなり。猶ほ易ふる所有り、是を以って亂作る」と。叔弓晉に聘す、宣子に報ゆるなり。晉侯郊勞せしむ。辭して曰く、「寡君弓をして來りて舊好を繼がしむ」と。固(かた)く曰く、「『女(なんぢ)敢へて賓と為る無かれ』と。命を執事に徹すれば、敝邑弘(おほ)いなり。敢へて郊使を辱めんや。請ふ辭せん」と。館を致す。辭して曰く、「寡君下臣に命じて來りて舊好を繼がしむ。好合し使成るは、臣の祿なり。敢へて大館を辱めんや」と。叔向曰く、「子叔子は禮を知れるかな。吾之を聞けり、曰く、『忠信は禮の器なり。卑讓は禮の宗なり。辭して國を忘れざるは、忠信なり。國を先にして己を後にするは、卑讓なり』と。《詩》に曰く、『威儀を敬慎し、以って有德に近づく』と。夫子は德に近し」と。
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『春秋左氏伝』文公三年 菁菁たる莪を賦す晉人其の公に無禮なりしを懼れ、盟を改めんことを請ふ。公晉に如き、晉侯に及びて盟ふ。晉侯公を饗し、《菁菁者莪》を賦す。莊叔公を以って降りて拜し、曰く、「小國命を大國に受く。敢へて儀を慎まざらんや。君之に貺(たま)ふに大禮を以ってす。何の樂しみか之に如かん。抑も小國の樂しみは、大國の惠なり」と。晉侯降りて辭す。登りて拜を成す。公《嘉樂》を賦す。
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『春秋左氏伝』僖公三十年 周公閲、備物の饗を辞す初め、鄭の公子蘭出でて晉に奔り、晉侯に從ひて鄭を伐つ。鄭を圍むに與ること無からんことを請ふ。之を許し、命を東に待たしむ。鄭の石甲父・侯宣多逆へて以って大子と為し、以って成を晉に求む。晉人之を許す。冬、王周公閱をして來聘せしむ。饗に昌歜(しゃうさん)・白・黑・形鹽有り。辭して曰く、「國君は、文は以って昭らかにするに足り、武は畏る可きなり。則ち備物の饗有りて、以って其の德に象る。五味を薦め、嘉穀を羞(すす)め、鹽は虎の形にして、以って其の功を獻ず。吾何を以ってか之に堪へん」と。東門襄仲將に周に聘せんとし、遂に初めて晉に聘す。
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『春秋左氏伝』文公四年 甯武子、湛露に答えず衛の甯武子來聘す。公之と宴し、為に《湛露》及び《彤弓》を賦す。辭せず、又荅賦せず。行人をして私(ひそ)かにせしむ。對へて曰く、臣以為へらく肄業して之に及べるなり。昔諸侯正を王に朝し、王宴して之を樂しましむ。是に於いてか《湛露》を賦す。則ち天子陽に當たり、諸侯命を用ゐるなり。諸侯王の愾(いきどほ)る所に敵して、其の功を獻ず。王是に於いてか之に賜ふ、彤弓一、彤矢百、玈弓矢千、以って報宴を覺(あらは)す。今陪臣來りて舊好を繼ぐ。君辱くも之を貺ふ。其れ敢へて大禮を干(をか)して以って自ら戾(つみ)を取らんや、と。冬、成風薨ず。
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『春秋左氏伝』文公十二年 国に陋なし春、郕伯卒す。郕人君を立つ。大子夫鍾と郕邽とを以って來奔す。公諸侯を以って之を逆ふ、禮に非ざるなり。故に書して曰く、「郕伯來奔す」と。地を書せざるは、諸侯を尊ぶなり。杞の桓公來朝す、始めて公に朝するなり。且つ叔姬を絕たんことを請ひて、昏を絕つこと無からんとす、公之を許す。二月、叔姬卒す。杞と言はざるは、絕てばなり。叔姬と書するは、女に非ざるを言ふなり。楚の令尹大孫伯卒し、成嘉令尹と為る。群舒楚に叛く。夏、子孔舒子平、及び宗子を執へ、遂に巢を圍む。秋、滕の昭公來朝す、亦た始めて公に朝するなり。秦伯西乞術をして來聘せしめ、且つ將に晉を伐たんとするを言ふ。襄仲玉を辭して曰く、「君先君の好を忘れず、魯國を照臨し、其の社稷を鎮撫し、之に重ぬるに大器を以ってす。寡君敢へて玉を辭す」と。對へて曰く、「不腆(ふてん)の敝器、辭するに足らざるなり」と。主人三たび辭す。賓答へて曰く、「寡君周公・魯公に福を徼(もと)めて、以って君に事へんことを願ふ。不腆なる先君の敝器、下臣をして諸を執事に致さしめ、以って瑞節と為し、好命を要結す。寡君の命を藉(し)きて、二國の好を結ぶ所以なり。是を以って敢へて之を致す」と。襄仲曰く、「君子有らずんば、其れ能く國せんや。國陋なること無し」と。厚く之に賄す。秦令狐の役の為の故に、
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